日本人観・宮司

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良識ある日本国民の皆様には、成人の日はご存知だと考えます
 
「成人の日」を迎えられ、新成人の皆さんにお祝いを申し上げます。
 
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総務省統計局は2012年12月31日、2013年1月1日現在における「新成人」の人口の推計データを発表しました。
 
新成人(2012年中に成人に達した人、2013年1月1日現在20歳)の人口は122万人(男性が女性より4万人多い)です。
 
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新成人の人口は、統計データが残っている1968年以降は起伏を繰り返しながら全般には減少傾向にあります。
 
そして、昨年に続き3年連続で総人口に占める割合が1%を割り込みました。
 
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※1987年に大きなへこみが確認できるが、これは昭和41年・丙午年生まれの人が成人した年。いわゆる「丙午信仰・迷信」により出産数が極端に少なかったことに起因するもの。
 
新成人の皆さんは、バブル経済崩壊後の「失われた20年」が成育期に重なった世代です。
 
この間、日本は景気が低迷し、中共に国内総生産(GDP)で抜かれて、日本は世界第2位の座を明け渡しました。
 
国内では、大学進学率が50%を超える一方で、デフレ不況から就職難が続いています。
 
新成人の皆さんには明るい展望を持ちにくい時代とも言えます。
 
しかし、日本経済が厳しい状況だからこそ、若い力への期待は大きいのです。
 
新成人の皆さんが、いずれ日本を元気にする役割を担う日がくるのです。
 
既に働いている新成人も、これから社会に出る人も、「社会から求められている」という自負心を持って、仕事や勉学に取り組んでください。
 
そして、新成人の皆さんには、日本の平和を守ることを考えて欲しいのです。
 
中共は、尖閣諸島を武力で奪おうと狙っています。
 
韓国は、竹島を武力で奪い不法占拠しています。
 
ロシアは、北方領土を武力で奪い不法占拠しています。
 
北朝鮮は、国家的テロで多くの日本人を拉致しています。
 
新成人の皆さんは、大東亜戦争とは日本による侵略戦争だという誤った歴史教育を受けて育ちました。
 
しかし、大東亜戦争の真実とは、日本が生きるために行なった自存自衛戦争でした。
 
新成人の皆さんには、日本の正しい歴史認識を知り、子孫へと継承するために正しい歴史認識を守る義務があるのです。
 
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本日は、20歳で日本の平和を守るために殉じられた宮川三郎少尉と、多くの特攻隊員の面倒をみて特攻の母と呼ばれた、鳥浜(鳥濱)トメさんの話を簡単にご紹介します。
 
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1.蛍帰る
 
ラジオが9時を告げて、ニュースが始まった。
その時、わずかに開いた表戸の隙間から、一匹の大きな源氏蛍が光る尾を引きながら、すーと店に入ってきたのであった。娘たちはほとんど同時に気がついた。
 
お母さーん、宮川さんよ。宮川さんが帰ってきたのよ。
 
娘たちの叫びに、奥から出てきたトメは娘たちの指さすほうを見た。
暗い店の中央の天井。その梁にとまって明るく光を放っている蛍を見つけた時、トメは息が止まるかと思った。
部屋の隅にいた兵士たちも集まって、蛍を見上げた。
「歌おう」とだれかが言った。
みな肩を組み、涙でくしゃくしゃになりながら、「同期の桜」を歌った。歌はトメの好きな第3連に進んだ。
 
貴様と俺とは 同期の桜
離れ離れに 散らうとも
花の都の 靖国神社
春の小枝で 咲いて逢うよ
 
2.おれ、この蛍になって帰ってくるよ。
 
昭和20年6月6日、鹿児島県は薩摩半島の中程、 知覧町 にある富屋食堂でのことである。
知覧で出撃を待つ特攻隊員たちはこの食堂に出入りし、なにくれと世話をやく女主人鳥浜トメを母親のように慕っていた。
明日は死に行く少年たちのために出来ることと言ったら、母親代わりになって優しく甘えさせてやるしかない、そう思ったトメは私財をなげうって、特攻隊員たちに尽くしていた。
 
その前日、6月6日は宮川三郎軍曹の20歳の誕生日であった。
 
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トメは心づくしの料理を作って、誕生日を祝うと同時に、明日に控えた出撃のはなむけとした。
 
途中、空襲警報が鳴って、みなで防空壕に入る。防空壕の中で、宮川は幽霊のまねをして、トメの娘礼子たちを怖がらせた。
 
防空壕を出ると、星のない暗い夜がそこにあった。街の灯りも灯火管制のために消されている。食堂の横には小川が流れ、藤棚とベンチがしつらえてある。
漆黒の闇の中、小川の上を大きな源氏蛍が飛び交っていた。
宮川の声がした。
 
小母ちゃん、おれ、心残りのことはなんにもないけれど、死んだらまた小母ちゃんのところに帰ってきたい。そうだ、この蛍だ。おれ、この蛍になって帰ってくるよ。
 
「ああ、帰っていらっしゃい」とトメは言った。
そうよ。皆川さん、蛍のように光輝いて帰ってくるのよ、と心の中で言った。
 
宮川は懐中電灯で自分の腕時計を照らして言った。
 
9時だ。じゃあ明日の晩の今頃に帰ってくることにするよ。店の正面の引き戸を少し開けておいてくれよ。
 
「わかった。そうしておくよ。」とトメが答えた。
 
おれが帰ってきたら、みんなで「同期の桜」を歌ってくれよ。それじゃ、小母ちゃん。お元気で。
 
トメには別れの言葉がない。死にに行く人を送る言葉なんてこの世にあるのだろうか。宮川軍曹の後ろ姿は暗い夜道に消えていった。
 
3.少年兵たちのオアシス
 
昭和17年、知覧に飛行学校(大刀洗陸軍飛行学校知覧分教場)が出来て、富屋が軍の指定食堂となった時、女主人トメは数え年41歳であった。
指定食堂と言っても、健全で清潔で安心して軍人が立ち寄れる所だと推薦してくれるだけの事だった。
 
過酷な訓練に明け暮れ、たまの日曜日に外出しても、何の娯楽もない少年兵たちに、富屋はたちまち大人気のオアシスとなった。
少年兵たちが壁にかかったメニューを見ていると、小母さんが中から出てきて「何か食べたいものはあるかね。」と聞く。
 
食べたいものなら、何でも作ってあげるよ。そのために日曜日には材料を用意してみんなの来るのを待っているんだからね。何でも言ってごらん。
 
少年たちがもじもじしていると、アンコロ餅はどうか、と聞く。
少年兵たちの顔が緩むと、さっそく1個作って、この大きさなら何個欲しい、と聞く。
「3個!」
「おれも!」
 
ためらいながら「天ぷら」と言う少年兵には、「おとといあたりから海がしけていて、白身のいい魚がないから、イカとエビと野菜だけで我慢してくれる?」
 
「でも」
「でも、なあに」
「おれ50銭しか持ってないんだ。エビって高いんだろ」
「アハハ」とトメは笑う。「男はおカネの事は言わないの」
 
着物や家財道具を売りながら、少年兵たちに食べさせてやるので、トメの家は少しづつ広くなっていった。
 
時には、「本日休業」の札を出して、少年兵たちに貸し切りにしてしまう。
少年兵たちは畳の部屋に寝そべったり、トランプや将棋に興じたり、郷里に手紙を書いたり、小母さんの手料理に舌鼓を打つ。風呂で背中を流して貰うこともあった。
 
8.観音像の建立
 
戦争が終わり、年が変わって昭和21年。知覧飛行場で最後の特攻機が燃やされた際、トメは近くに落ちていた棒杭を地面に立てて、娘たちにこう言った。
 
さ、これがきょうからあの人たちのお墓の代わりだよ。
たった一つしかない命を投げ打って死んでいったんだよ。
それを忘れたら罰が当たるよ。日本人なら忘れてはいけないことなんだよ。
 
特攻隊を称えるだけで「軍国主義者」のレッテルを貼られる時代だった。
墓など作ったらすぐ壊されてしまう。こんな棒杭なら壊しに来る人はいないだろう。その代わりに毎日お参りにくるから許してくださいね、とトメと娘たちは手を合わせた。
 
昭和25年、朝鮮戦争の特需で経済復興も始まり、特攻隊への逆風が静まっていた。
トメは毎日の棒杭参りを続けながら、昔なじみの 知覧町 長のもとに通っては特攻隊員たちのための観音像建立の請願を続けた。
 
自分の費用で建てれば、すぐにでも実現できたが、それでは慰霊が私的なものになってしまう。特攻隊員たちはお国のために命を捧げたのだから、その慰霊は公に行われなければならなかった。
 
昭和30年9月28日、知覧飛行場の一角に観音像が完成し、その除幕式の日にトメは像の前の手水鉢を寄進した。
それからトメは毎日ガムやキャンデーを持って、観音像の所へ行き、遊んでいる子供たちを集めては、一緒の掃除をする。
それから「はい、それでは観音様のお下がりをいただきましょう」と言って、ガムやキャンデーを配る。
こうすることによって、自分の死後も、この子供たちの中から、観音像をお守りしてくれる人が育つだろうと考えていたのだ。
 
さらにトメは観音像に至る道に石灯籠を寄進する運動を進めていった。
昭和62年2月、特攻隊の生き残りでトメに励まされた人々の努力によって、知覧特攻平和会館が開館した。修学旅行など参観者は多く、たとえば平成12年には54万人にも及んだ。
 
9.4月の蛍
 
平成4年4月22日夕刻、トメは90歳直前で一生を終えた。
「特攻の母、鳥浜トメ死す」のニュースは新聞やテレビに流れ、富屋は弔問客や取材陣でごった返した。
 
通夜の夜、ようやく遺族が一息入れた所に、一匹の蛍が光る尾を引いてトメの柩のある部屋をスーッと横断していった。
 
「見たか」
「見た」
「蛍だったよな」
「そうだったよな」
 
4月の下旬に蛍が飛ぶはずがない。それも部屋を横切っていくなんて。しかし、居合わせた人々は確かに見たのである。
 
それは蛍になった宮川軍曹が「小母ちゃん」を迎えにきた姿なのだろうか。
それともトメ自身が蛍となって、息子のように可愛がっていた大勢の特攻隊員たちのもとに飛んでいったのだろうか。
 
 
 
■動画
 
普遍的価値観
(特攻隊で散華された方々の普遍的な価値観。)
 
 
泣ける【静ちゃんへの手紙】〜神風特攻隊員の兄と幼き妹〜
(両親を失い、幼い妹を一人残して死んでいかねばならい特攻隊員の兄。)
 
 
新成人の皆さんは、どうやって日本の平和を守るかを考えるべきで、新成人の皆さんが、いずれ日本を守る役割を担う日がくるのです。
 
日本の平和を守るために20歳で殉じられた宮川三郎少尉と、特攻の母と呼ばれた鳥浜トメさんについて、明日の日本を担う若者は涙を流して感謝するべきです。
 
良識ある日本国民の皆様、成人の日についてご考慮下さい。
 
新成人は日本の平和と正しい歴史認識を守れ!
 
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転載元転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘

千葉日台さんより転載:
2009年9/5に日比谷公会堂において社団法人東京青年会議所(栂野慶太理事長)とNPO法人武士道協会(塩川正十郎理事長)が主催で李登輝元総統を講師に新日本創生フォーラム「この国に誇りと希望を」と言う講演会が開催された。
 
今回は坂本竜馬が長崎から京都に向かう船中でかねて国是七条を手本に用意した新国家像に書き直した船中八策を今の日本に置き換えて準えた講演であった。

 
幕末は佐幕派と討幕派に日本を二分していたが、討幕派も薩摩と長州に割れていた。坂本竜馬は土佐藩を脱藩し、勝海舟の門下に入り当時激しく対立していた薩摩と長州の仲をとりなした。坂本竜馬は将軍にこの国づくり案を理解させ、幕府が朝廷に政権を返す(いわゆる大政奉還)事をすれば内戦なしで近代国家に生まれ変わる・・・その希望を託したものが船中八策だそうだ。

大杉栄 追悼!

 
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916日はアナキスト大杉栄の命日です。関東大震災直後の1923年(大正12年)916日、大杉栄(38歳)は、柏木の自宅近くから伊藤野枝(28歳)、甥の橘宗一(6歳)と共に憲兵隊に連行されました。彼らは、三人をめった打ちにしたのち古井戸に投げこみ、上から煉瓦を次々に落として虐殺しました(甘粕事件)。
 
殺害の実行容疑者として憲兵大尉の甘粕正彦と彼の部下が軍法会議にかけられました。実行者としての甘粕と森は有罪判決となり、甘粕は懲役10年の刑罰をうけたものの、192610月にすぐ出獄し予備役となります。そして、19277月から陸軍の予算でフランスに留学します。1930年、フランスから帰国後、満州に渡り、奉天の関東軍特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で情報・謀略工作を行うようになり、大川周明を通じて右翼団体大雄峯会に入ります。彼は、そのメンバーの一部を子分にして甘粕機関という民間の特務機関を設立。満州の国策であった阿片ビジネスでリーダーシップを取った、といわれます。
 
 
日本における無政府主義運動は、明治39年にアメリカから帰朝した幸徳秋水が、神田錦輝館の歓迎演説会で「世界革命運動の潮流」という演説をしたことからはじまりました。幸徳のこの記念碑的な演説で、大杉はじめ多くの活動家がこぞって直接行動論者になりましたが、直接行動論を支持し、アナーキズムに傾斜した人たちも、やがてロシア革命が成功すると相次いでマルクス主義に転向します。そしてアナーキズムの孤塁を守るのは大杉一人だけということになってしまったようです。
(「直接行動」とは、テロや暴動を意味するのではなく、労働組合のゼネストによって革命を実現しようとする理論です。議会に議員を送り込んで政権を奪取する議会主義が「間接行動」と位置づけられていました。)
 
 
『僕は今、日本のボルシェビキの連中を、例えば山川にしろ、堺にしろ、伊井敬にしろ、荒畑にしろ、皆ゴマノハイのような奴らだと心得ている。ゴマノハイなどとの協同は真っ平御免蒙る。社会は、段階を踏んで時計仕掛けの機械のように進化発展するのではない。むしろ、突然変異する生命体のように、予測できないときと場所で不意に変化する。革命が何時いかなる時点で成就するか、誰も予測できないのだ。』
大杉はこうした観点から、必然史観に対抗して蓋然史観を展開します。
 
また、マルクス主義が権力に対抗するには組織しかないとして、中央集権的な組織作りに熱中することを批判します。
『マルクス主義者は、とにもかくにも組織を作ることを優先させる。そして労働者が解放され、自由な人間として行動するようになるのは、革命が成功してからだと考える。つまり、社会革命の後に人間革命がくると考えるのである。だから、ロシア革命に際して、ボルシェビキが他派を弾圧(マフノー運動やクロンシュタット反乱など)して独裁体制を作っても、マルクス主義者たちは黙っていた。』
 
大杉は、猛然とロシア革命に反対しました。
『ロシア革命は、ブルジョアの支配に代えて共産党の支配をもたらしたにすぎない。社会革命のあとに人間革命が来るのではない。人間革命と社会革命は同時進行的に実行さるべきなのだ。労働者が解放され自由になれば、その自由な生き方そのものが既成社会を崩壊させるのである。』
彼は理性より内部生命につながる本能や感情の方を高く評価していました。
 
大杉は、日本にロシア革命をおこしたかったのではなく、ロシア革命のようなものしか革命だと思われないことに、怒りを覚えていました。そこには自由がなかったからです。
 
 
氏には有名な「一犯一語」という言葉があります。
一回投獄されるたびに、外国語一カ国語をあらかたマスターしてしまおうというモットーでした。
 実際、語学力は群を抜いていたようです。なかでもエスペラント語に対する情熱と先駆性は、言語におけるインターナショナリズムあるいはアナキズムを追求した証のようです。
業績としては、『ファーブル昆虫記』を日本で初めて訳したり、 ダーウィンの『種の起源』も翻訳しています。
 
 
アナキズムは、絶対自由主義とも言われますが、「思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ」と言った大杉は、その最たる者であったのでしょう。
 
ロシア革命の顛末を見れば、共産党の掲げた「プロレタリアによる独裁」は、またたくまに「プロレタリアへの独裁」と化し、多大な犠牲者を産み出しました。共産党の欠陥を当初から見抜いていた氏の予想は、やはり、的を得ていたのだと思います。
 
唯一の前衛党が大衆を指導する、というロシアマルクス主義の考え方は、戦後の日本でもまだ信じている人たちがいましたが、基本的には、大衆否定を前提にしたものだったのだと思います。大杉は組織などよりも、まず大衆自身の自立を希求していたのではないでしょうか。
 
 
アナキズムは、元々社会主義の流れの中でも、共産主義に匹敵する大きな運動でした。今でも、西欧の民衆の意識の中には、自然に息づいていると言われます。フランスでは、その精神を表す「無秩序とは、秩序から権力の棘を取り除いたものである」という言葉が、広く語られているようです。次の動画からもそれが感じ取れると思います。
 
 
          昨年の秋、フランスでは年金改革法案に反対して、
          300万人がゼネストを敢行、パリなどの主要都市では
          数十万人のデモが何度も組織されました。その際に
          「諦めないぞ」と大合唱しながらデモをする民衆の映像。
 
 
日本では、幸徳秋水、大杉栄、といったアナキストの指導者達が、国家権力によって虐殺されていき、アナキズムは組織的活動が殆どなくなってしまったように見えますが、入るを拒まず、出るを追わず、といった自由を愛する全共闘のような運動の中に自然に受け継がれてきたのかも知れません。それは、〜〜主義というより、人間の持つ自由への欲求(普遍性)に立脚しているように思います。
 
 
残念ながら、現在の日本では、労働組合がゼネストを打てる状況ではないと思いますが、3..11以降の若者達のデモを見ていると、デモで政治を変えられる時代になりつつあるように見えます。国民が自立して直接行動に訴える、ということがやはり大切なのだと思います。
 
 
今でも、国の本質や警察、検察、マスコミなどの在り方は、戦前と余り変わらないように思いますが、大杉は、日本人が順応主義を棄て、奴隷道徳やそれに基づく古くさい習俗を葬り去れば新しい時代が到来すると考えました。彼が願っていたのは、本来的人間の回復ということでしたが、私たちが本当の自分に立ち返ることができるかどうか、今が正念場なのかも知れません。
 
 
 

転載元転載元: 無心

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ドイツ・ハイデルベルク市内
 
 
(「フランス人とドイツ人―どちらが頭がいい?」
http://blogs.yahoo.co.jp/saipan_is_number1/60943297.html の続き)
 
 
三十年戦争で鎧袖一触(がいしゅういっしょく)の強さを見せ戦局に多大な影響を与えたスウェーデン王・グスタフ・アドルフについてはドイツ国内でも未だに毀誉褒貶(きよほうへん)が激しいようですが、彼を賞讃する側の主旨としてはその参戦動機にフォーカスを当てているケースがいくつかあるようです。
 
その動機、すなわち彼がこの戦争で掲げた宗教的スローガンは①「神聖ローマ帝国(ドイツ)国内の新教徒を助ける」そして②「ローマ教皇を打つ」というものでした。②の理由については、プロテスタント・クリスチャンのグスタフが、新約聖書・ヨハネの黙示録で既述されている大バビロンの淫婦こそがローマ教皇であると解釈していたことに基づいた思想でした。確かにこのようなことが成功していれば欧州はおろか世界の歴史も変わっていたかもしれません。ただ実際には打たれたのは(戦死したのは)グスタフのほうでしたが。
 
しかしこうした高邁な理想とは裏腹に、グスタフ(スウェーデン)の現実を直視すれば、彼の忌み嫌っているカトリック大国のフランスと軍事同盟を結んだこと自体そもそも少なからぬ矛盾を抱えているわけです。
 
そして何よりもこれら欧米人の高邁な理念と逸脱する点は、敬愛すべきクリスチャン将軍(王であるが戦場では実質総司令官として肝胆を砕く活躍をしていた)が近代的な砲兵術(従来攻城用としての役割が主流だった大砲を、小型軽量化して対人兵器として用い、多大な戦果を挙げている)や卓越した戦略など高性能な殺人マシーンとなっており、およそ聖書の教える「隣人を自分と同じように愛せよ」「殺すなかれ」「迫害する者のために祈れ」といった教義とは相反する人物であったことが挙げられるでしょう。
 
フランスに触発されたとはいえ彼の真の目的は、やはりバルト海沿岸における自国権益の確立・制覇だったのでないかと端倪せざるをえません。
 
 
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ドイツ・ハイデルベルク市内
 
 
ちなみにドイツ(神聖ローマ帝国)に対するスウェーデン側の宣戦布告の理由として、アドルフは以下の項目を挙げています。

①ドイツはスウェーデン政府の外交郵便を差し押さえ恣意的開封をしている。
②ドイツは同国内でのスウェーデンの商取引を妨害している。
③ドイツはスウェーデンと交戦中のポーランドを支援し中立を破棄している。
④ドイツはバルト海沿岸地域を軍事占領し、スウェーデンと他の沿岸諸国の安全を脅かしている。
⑤ドイツはリューベックの和平会議からスウェーデンを排除し、スウェーデンの名誉を傷つけた。

しかし明治大学の菊池良生教授によれば、当時の戦争とはえてしてかくなる言いがかりで始まるそうで、戦争の勃発に至るまでの緊張状態を説明するのに偶発事件の連関のみを捉え、より深い原因は無視していたとのことです。
 
さて、かくも貪婪で野心家の為政者達により篭絡(ろうらく)されてきた欧州国民ですが、彼らがここまで翻弄された主要因はなんといっても彼らの持つキリスト教信仰であることは否めないでしょう。三十年戦争の終戦条約となったウエストファリア条約でも、その取り決めの中にはカルヴァン派(日本では英語読みの「カルヴィン」がよく使用されている)の公認という条項が一応ありましたから(しかるに主要な取り決めはやはり各国の領土分配でした)。
 
 
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ドイツ・フランクフルト市内にある教会
 
 
実際欧米諸国に住んでいると、今でも日常いたるところにキリスト教の影響がたぶんに見えてきます。
 
当地カナダに関して言えば、その最たる例は首相が就任式においてキリスト教の教典である聖書に手を置いて宣誓するという法規が未だに続いているということでしょうか。この規定はアメリカの大統領就任式にしても同じです。
 
また私達外国人がカナダの市民権を受ける際の宣誓においても、申請者はすべて聖書に手をおいて宣誓することが法律で義務付けられています。
 
さらに米国ドル紙幣には「私達が信頼する神において」と記してありますが、この神とはキリスト教の神を当然意味しています。
 
特にクリスマスなどは日本からやってきた人がぶつかる文化的齟齬(そご)となるのではないでしょうか。
 
今日の日本では(というか世界中で日本だけのようですが)、クリスマス(厳密に言えばイブらしい)と言えば、恋人か伴侶と楽しい夜を過ごす、もしくはドンちゃん騒ぎをする記念日のごとく大手メディアを始め多くの人々が思い込んでいるようです。されどこちらキリスト教国家では、同日には教会で礼拝やミサを守ったり、また日本の正月のように(同程度のバケーション期間ゆえ)帰郷して愛する家族と一緒にすごすなどという伝統的な様式を今でも多くの人々が守っています。
 
斯様に欧米人にはキリスト教信仰心が歴史的に根付いおり、それを悪用してきたのが彼らの為政者達でした。その結果十字軍遠征や三十年戦争等、聖書にはありえない概念である「宗教戦争」という奇天烈で凄惨(せいさん)な歴史を生み出してきたのでしょう。日本の原発行政のみならず世界の庶民は風紀紊乱なる為政者による苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)に喘ぎ続けるのでしょう。
 
 
参考文献
「ハプスブルク家」 アーダム・ヴァントルツカ著
「聖書」 日本聖書刊行会編
「大砲と帆船」 C・M・チポラ著
「歴史群像」 学研編
「戦うハプスブルク家」 菊池良生著
 
 
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ドイツ・ミュウヘン市庁舎
 
 
全写真;彩帆好男の母撮影 (85年 ドイツにて)
 
 
 
 
 
 

 

転載元転載元: バンクーバー風車小屋便り

棒に怒る日本人さん:
 
 

理解不能な論理は国政の縮図?

町民が、罪を犯したから、お詫びに義捐金を辞退するという決定を町長が下したそうな。自分が受け取る義捐金を辞退するならまだしも、なんで他人が受け取る義捐金まで辞退させるのか。地方政治ならぬ痴呆政治か、まったくもって理解不能な論理だ。

<引用開始>
東日本大震災:義援金を突然辞退、抗議相次ぐ 福島・双葉町長、町民逮捕に「おわび」
 
日本人はやっぱり、十二歳!???

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