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転載:
平九郎の部屋さんより

執筆予定枚数と品質

 
執筆の苦労話を、いつも読ませていただいています。(わいわい)
まんぐーすさんより:

異色の芥川賞作家に聞く [ふと考えること]

 
「苦役列車」で第144回芥川賞を獲得し、異色の芥川賞作家として名が知られるようになってきた西村賢太さん(43歳)は、その日暮らしの中卒フリーター作家。親子2代で逮捕歴もあるという経歴の持ち主です。
最終学校歴が中学卒業の芥川賞受賞は、1998年の第119回、花村萬月さん以来。西村さんは東京都出身で11歳のとき、運送業の父が事件を起こして逮捕。中学を出てから港湾作業員、警備員などで生計を立てていたとのこと。

東京放浪記(つづき)

東京放浪記(つづき)
 
    二
浩介は手持ちの金をあまり持っていなかったので、フリーターのアルバイトはいろいろやった。
その時は「国際情報」という医者向けの分厚い写真月刊誌のセールスだったが、少しも売れないので、埼玉県の蕨という田舎の畑の真ん中で、寝ころんで一日を過ごした。
浩介は空の雲を見ているうちに眠ってしまった。
暗くなり蕨駅まで戻って来きたが、ポケットには金が残っていなかった。
セールスは、そのまま辞めようと思った。
駅員の無表情な顔を見たが、まさかキップをタダで売って下さいとも言えないので、何気なく駅前の自転車預かり所へ入って行った。
 奥に年取った夫婦がいた。
 「東京に知り合いがいるので、そこへ行って金は返すから」
 と、頼んでみた。
 「大変だねえ」
 と、おばさんは妙に励ますように五百円札を蝦蟇口の財布から出した。
 「返すのはついでの時でいいよ」
 この金も、浩介はその後蕨には一度も行っていないので、返した記憶がない。
 電車に乗り継いで東京の亀有駅で降りた。
 そこには、シナリオの講座で知り合った山田という浩介より五歳くらい上の男が、四畳半のアパートで暮していた。
 部屋に入って行くと、もう一人ジャンパー姿の、少しニヤけた青年がいた。
 「部屋、狭いんだよね」
 「いえ、かまいません。二、三日でいいですから」
 と浩介は、平気ですと言った。
 「こっちは平気じゃないんだけどな」
 山田はさすがに憮然としたが、少し考えると、
 「よし、高野さんちへ行こう」
 三人揃って近くのアパートへ移動した。
 「よし、今晩はスキヤキだ!」
 と山田は、買い物に行って来ると飛び出した。
 結局その晩、高野さん夫妻の六畳でスキヤキパーティをやり、高野さんが勧めた日本酒をしこたま皆んなで呑んだ。浩介はすぐ酔って、そこで寝てしまった。
 朝、明るくなって起きると、三人はごろ寝でいたが、高野さん夫妻がいない。
 「居るよゥ
 と、押入れの中から声がする。
 ふすまが中から開いて、高野さんが下段に、
奥さんが上段から寝ぼけた顔を出した。
 「あ、そこでいつもねるんですか?」
 と、浩介は思わず聞いた。
 「寝ないよゥ。君たちが来たから寝れねえじゃねえか」
 高野さんはカラカラ笑いながら、押入れから出て来て言った。
 「おれあ、子供の時から二畳間で、三人で暮して来たんでえ」
 「また来てもいいわよ」
 と、押入れの上段にまだいる奥さんが言った。
 外の朝の下町は、仕事に出掛ける人たちの声で騒がしくなってきた。
 浩介は、すぐこの家を後にしたが、なぜか二度と来れないなと思った。
   
     三
 いつまでも事務所の宿直室に寝ているわけにもいかなかった。浩介は前から母に聞いていた、遠い親戚の家があるという川崎の矢向という町に行った。
 「家賃は月の初めに払ってね」
と、無愛想に言う奥さんだった。浩介はその無愛想さに我慢して、奥の三畳間を二千円で借りた。
母に部屋を借りたという手紙を出すと、お礼を言いたいと、母が夜行で来た。
「よくここが判ったね」
と、浩介が訊くと、
「もう何十回でも、人に訊いて訊いてやって来たのさ」
と、母は平気な顔で言った。
母は奥さんに挨拶をすると、三畳間で一つ布団で一緒に寝た。母は、向こうを向いてスヤスヤ眠っていた。母の体温は温かかった。
 浩介はなんだか、母の柔らかい体に女を感じたが、そのまま眠ってしまった。
 母は、いくらか金を浩介に渡して田舎へ帰って行った。
 矢向の駅まで送ったが、後は自分で行けると、母は一人で電車に乗って行った。
 
浩介はまたひとりの生活になった。
定食を出す安い食堂で夜は食事をした。
「君、いつも一人で来るね」
 隅のテーブルで食事している男が声をかけてきた。
 浩介があいまいな返事をすると、男は続けて話し出した。
「君は若いからいいねえ」
男は浩介の歳を訊いた。
「ハタチか。いいねえ、若いということは……可能性がいっぱいあるからねえ。僕ア、もう四十だよ。嫁の来てもいないし、これからの人生暗澹たるものだよ」
 浩介も言った。
 「僕だって、これからのこと判りません」
「いやあ、君は若いよ。若いということは財産だよ。君、仕事は何やってるの?」
「機械設計です」
「いいじゃないか。僕ア文系なので、理系はさっぱり判らんが、これからの日本は工業が発展すると思うよ」
「僕は、絵を描きたいんです」
「絵かあ。僕ア絵画も苦手だが……小説を書きたいんだ。芥川賞を狙ってるんだけど、なかなか原稿用紙に向かうことができなくてねえ……文章はなかなか書けなくて、マスばかりかいているよ。ハハハハ」
男は下卑た笑い方をした。
 浩介は、黙って金を払うと食堂を出た。
 
 六か月ほど経ったある暑い日、啓介は山手線に乗った。
電車に乗ると、中に汚れたセーター姿の男が座席で横になって眠っていた。
大きなイビキをかいていて、周囲の乗客は離れて座っていた。
浩介は、その男の顔を見るともなく見た。定食屋で会った男に似ていると思った。
浩介は、離れた席に座った。
車窓を流れる街を見ながら、浩介は東京にはもう永くは住めないだろうと考えていた。
                             (了)
 

東京放浪記

(以前に書いた小説をアップします)
 
東京放浪記
 
   一
 その頃、浩介は二十歳であった。
 浩介は一人で東京へ出て行った。理由は、働いていた会社が倒産しそうになったのをきっかけに、映画の世界に興味が深かったので、東京へ行けばそのチャンスがあるだろうという若気の至りの安易な考えの上でのことであった。
 当時は、夜行列車で朝東京へ着いた。
 麻布にシナリオ研究所という機関があったので、昼は設計事務所で働いて、夜はそこで映画界の講師たちの講義を聞いた。
 
 その頃のある日のことである。
浩介が有楽町の数寄屋橋あたりを歩いていると、日劇のビルの上からスルスルと白い垂れ幕が降りてきて、それには「皇太子の結婚決まる。相手は正田美智子さん」と書いてあった。
 それは昭和三十五年のことで、今の天皇が美智子さんと結婚を発表した年であった。
 
 浩介は、なぜ有楽町を歩いていたかと言うと、東宝の本社が有楽町にあったからだ。
 東宝の本社は「有楽座」という映画館があるビルの上階にあった。
 なんだか天井の低い事務所で、浩介は「東宝」という映画会社にしては、みすぼらしいなと思った。
 そこの文芸部を訪ねると、シナリオ研究所の紹介者の名刺を見せて、
「黒澤監督の撮影現場を見学したい」
 と、浩介は文芸部長にいきなり切り出した。
「ああ、撮影所に電話しておくよ。しかしクロさんは気難しいから、なかなか見学は難しいと思うよ」
部長は、シナリオを二冊引き出しから取り出すと、
「これ、持って行きたまえ」
 と、ポンと浩介の前に置いた。
 そのシナリオの表紙には「加納部長殿」と書いてあり、その一冊のタイトルは「用心棒」であった。
 文芸部長はその時言っていたが、「映画界はいいシナリオを求めているので新人たちを育てる」という気風が当時はあったのだ。
 
 浩介が成城の砧撮影所の守衛の前に立つと、
 「ああ、電話で聞いているよ」
 と、あっけなく入れてくれた。
 「今日は黒澤組の撮影は休みだよ」
 守衛は、ニコニコといつものことのように言った。
 撮影所の建物の中へ入ると、そこは別世界だった。塗料の強い匂いが充満していた。
紹介者があったせいか、二十代の撮影所員がステージの中を案内をしてくれた。
 暗いステージの一角に「バー」のセットが組んであり、そこだけ煌々とライトが当っていた。
 リハーサル中で、ふと見ると、セットの一角で植木等と谷啓が台本を見ながら、時々宙を見上げ、セリフを暗唱していた。映画の中の『スーダラ社員』と全く違って、二人は真剣そのものの表情だった。
 係の人が別のステージへ案内して、
「あれが『天国と地獄』の豪邸のセットだよ」と、指差す先には、ステージの大きな壁一面の青いホリゾントをバックに、三船敏郎の権藤邸のミニチュアセットが建てられていた。それは映画で見るより安っぽかった。 
また、
「これが『椿三十郎』の馬小屋のセットだ
よ」と、映画で観るよりチャチな造りの小屋に案内してくれた。
「クロさんの撮影は、どんな人でもなかなか見せてくれないよ」
 と、係の人は明るい顔で慰めるように言った。
自分は「いいです」と、ある満足感を得て、撮影所を出て、成城の町をバスに乗って後にした。
 
 シナリオ研究所の話に戻すが、現役で活躍しているシナリオライターが次々と講師で来て、
「君たちが育つとボクたちの仕事なくなるんだよね」
 と、皆一様に苦笑しながら同じことを言った。
「しかも原稿料は、高くて一本二十万円ほどで、監督に直しをさせられて大変なんだよ」
 と、なぜか暗い顔をして言った。
しかし浩介は、二十万円という天文学的数字を軽く言う講師を羨望の眼で見ていた。
 
 東京での生活は、まさにフリーターであった。浩介は上京の時、夜行列車で東京駅へ着くと、まず売店で新聞を買って求人欄を見た。
近い所がいいかなと、大井町の小さな設計事務所へ面接に行った。
 そこの社長は、
 「寝る所がないんなら、しばらく宿直室で寝るといいよ」
 と言った。いわゆる住込みである。
 そこでしばらく働いていたら、ある日、その社長が、仕事が終わる頃、
 「ああ、君。明日休みだが予定ある?」
 と話しかけてきた。ないと言うと、
「家へ遊びにお出で」
と言って地図を書いてくれた。
 
翌週、浩介は世田谷・烏山の駅を降りた。
当時の世田谷には、まだ雑木林がずいぶん残されていた。
「これが武蔵野なのか」
と、浩介は思った。
太宰治が三鷹で入水自殺をした頃、雑木林で写した雑誌の写真を、浩介は思い出した。
雑木林の奥に、社長の思ったより小さな家があった。
「僕は若い時、新潟から出てきたんだよ」
社長は書庫を指さして、
「好きな本、貸してあげるから持って行っていいよ」と言った。
「僕は俳句がすきでねえ。これが若い時、田舎から上京する時詠んだ句だよ」
と、社長は一枚の和紙を取り出した。
それには、
「麦踏むや 上京の念 止み難し」
と、筆で書いてあった。
平凡な句だな、と浩介は思ったが口に出さず、二冊ほど本を借りて帰ってきた。
浩介はその会社には六ヶ月しか居なかったが、社長の家には再び行っていないので、借りた本を返した記憶がない。ただ、社長は上京して数十年、親に反対されて東京へ来たことを未だに強く思っていると、新米社員の浩介に熱心に語った。
その柔和な表情を浩介は今でも覚えている。
                                              (つづく)

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