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生と死のはざまとは・・・その頃よく思ったのが、死とは・・・。
その世界とは・・・と言うことだったが、一度目の薬錠飲んだ時は思い出せてもその後の事は全然記憶に無く、次の事故の時は其れこそ前後の事など何にも思い出せない、何処でどうして、何とぶつかったのか?
何一つ分からない、思い出す事は一切無かった。 周りの者の言葉で朧に想像するだけ、だから、若しそのまま気がつかなければそれが次の世界への旅たちだったのだろ・・・。
それにしても次の世界は随分と近いのだと感じずにはいられなかった。
「ところで、あの藤崎が、こないだ、冬さんの家の周りをキョロキョロしながら通っていたのを見かけたぜ」
ある日週に一度くらいの割で幸子と一緒にオートバイで往復2時間もかかる貝塚市民病院に見舞いに来てくれていた小倉が何気なくそういった。
「ふうん・・ほんま・・・」と冬太は気の無いような返事をしていたけれど、内心は、何となくホットしたような心が流れていた。(彼女なら俺の取った行動が何時か分かってくれると思っていた、そのとおりになったのだ。)
あれっきり姿を消した冬太のその後が少し気にはなっていたのかもしれないとも思った、
人生とは不思議なもの、一月の入院の後突然現れた絵の中の少女のような友子との淡い恋、それが何時ものように自分から去った後、今度従妹蓉子との許されない恋・・。
本当に絶望の恋だった。愛しくって愛しくってたまらない少女との別れはやがて冬太の魂を削りとるような苦悩を日々目の当たりに与える・・・。
それは正に地獄絵ではあったが、これはキット神様が死を夢見る自分への罰なのかも知れないという諦め、それはこの人生への諦めでもあった。
残された最後の力でたどり着いた父の里で、少女千恵子と遭遇して、この世ではじめて生きよう!と心に誓った思いも空しく徒労に帰したが・・・。
その一つ一つが生きた証として滝川冬太の心には流れている・・・。
あの頃から何十年と月日は流れ近鉄大阪線のNからMへの線路脇の道や家並みも今ではスッカリ変わっているが、時折車を馳せらす都度、フト、遠いあの頃のターキや藤崎の姿が浮かんで来るのだ。
(あの道を曲がって道路から2軒目だった筈なのだが・・・)そう思っても、
今では遠い日のあのあばら家の家並みは何処にも見当たらない、新しい建物が立ち並ぶその光景には何にも答えは無さそうだ。
それでも何故か今も雲の隙間から一瞬覗かせる陽の光のように滝川冬太の心に温かいものを感じさせてくれているのだった。
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