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日曜日滝場の帰りに千駄木、全生庵での円朝まつりに行ってきた。去年に続いてこれで二度目。
明治政府の一大事業、文語体と口語体の断絶を改めて国民に理解しやすい新しい文体を作る言文一致運動は幕末に現れ、新聞紙面も「だ・である」調になった1921年を一区切りと見るなら50年かかってようやく国民に定着した大改革だ。新しい文体を模索する時、明治時代絶大な人気を誇った円朝落語の速記本がサンプルとなったという話は一度くらいお聞きになったことはないだろうか。今このブログの文体だって円朝の速記本からそう離れた文体にはなっていない。
しかし、私の知るかぎりでは現在の日本の文体を語る時、漱石先生とかその他の文豪たちの作品や文体について延々語る人はいても、円朝の落語についてふれている人はほとんどいない。
本当なら口先三寸で人に信仰、思想、学問、笑い、ネズミ講、新聞購読、万能野菜きざみなどを売りつける、僧侶、政治家、教育者、芸人、ペテン師、新聞販売店主、香具師などはみな一年に一回はこの円朝の墓参りをして「どうかこれからも口先三寸でやっていけますようお守りください」と言うべきだと思うが、そうする人はあまり多くないらしい。落語協会が主催するこの円朝まつりは落語家の出すカレー、焼き鳥、かき氷などの屋台や演芸などを楽しむのと同時に落語ファンが円朝の墓参り(八月十一日が命日)をするいいチャンスなのだ。
墓に行ってみると去年と同じように円朝の墓に参るファンのために置いてある水手桶はふたつとも空になっていた。空の手桶を両手に持って入り口の水道で水を汲み、また墓の横に持っていく。みんな手桶に水があれば次々にひしゃくで水を墓石にかけていくが、水がなくなるとそのまま拝んで行ってしまう。私のすぐあとに新作落語の若手ホープY家*太郎が水を入れた手桶を持って墓の方に走っていった。一足遅かったね、師匠。もう私がやっといたよ。ところがあとでパンフレットを見たら、*太郎はちょうどその直後奉納落語で円朝の「名人くらべ」を演じるところだった。他のファンのためじゃなくて、自分があいさつするための手桶だったのね。
今年は他の人がいない時、円朝の墓前で声を出して堂々の般若心経一回。「あたしの墓前でお経を読むなんて度胸あるね」と円朝が笑ったような気がした。
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ご訪問ありがとうございます。TBさせていただきました。しかし暑い日でありましたね。
2006/8/8(火) 午前 5:50
では私も、口が上手になるように円朝さまにお願いしましょうか(おい。
2006/8/8(火) 午後 8:10 [ - ]
なるほど。確かに落語は耳からはいるもんですから、文盲の方には絶好の方法ですね。こんなオツな行事、言ってみたいです。
2006/8/8(火) 午後 11:36 [ dewdew ]
不自然な呼吸で脳内に酸素が欠乏したり過剰になったり、極度の疲労や睡眠不足を作ることによって幻影幻聴はいくらでも起こります。その時自分が見たいと思っていたウルトラマンや観音さま、死んだおじいちゃんを見る人もいるのでしょう。でもそれは霊体験・霊能力ではないと思います。
2006/8/9(水) 午後 10:43 [ hiy*y*kko_t*ki*a ]
私には霊能力らしきものはないので「自分は霊能力がある」という人が本当にそんな力を持っているか、なぜそんな体質になったのかわかりません。でも自分の感覚に自信を持って力を高めようと努力する人はぜひ応援したいと思います。ちなみに初心者の滝行講習会では「滝行しても霊能力は絶対つきません」と言われました。
2006/8/9(水) 午後 10:59 [ hiy*y*kko_t*ki*a ]
これが例えば富士登山の最中に、好きなウルトラマンに逢ったと言うなら、間違いなく幻影でしょうが。真昼の橋の上で見たくもない死神と出会えば、それは現実以外の何者でもありませんよ。ましてや相手が私のことに気付いて姿を消し去る瞬間を見てしまったならね。
2006/8/10(木) 午前 8:53 [ - ]
そうですか。滝行しても霊能力はつかないんですか。精神を鍛える以外の効果はないという事でしょうかね。
2006/8/10(木) 午前 9:09 [ - ]
「ことば」を仏教では「言霊・ことだま」と言って、「みたまのことば」とあがんでおります。落語も説教も同じです。「ことだま」です。般若心経尊いことでした。なによりなにより
2006/8/10(木) 午後 5:25
「声、仏事をなす」って言いますよ。いいことしたじゃないですか。 ひややっこさん、「落語」で書庫ひとつつくったら?少なくとも私は読みにきます。
2006/8/17(木) 午後 11:23