|
今年も円朝まつりの季節が来た。
千駄木の商店街では八月ひと月「円朝まつり」(去年も見た三枚目の画像ののぼりは商店街のものだったらしい)というのをやっており、それと落語協会が円朝の菩提寺の全生庵で一日だけやる「円朝まつり」、それに加えてイイノ・ホールでの落語会「円朝祭」の情報が混同されやすい、ということで今年から落語協会感謝祭と名前を変えた(と落語協会のホームページには書いてあった)ということだが行政のつけたようなつまらない名前になってしまった。ただし名前が変わっても中身の方は去年とほとんど変わりない。
この週末滝が小爆走すれすれ(心経一回だけなら何とか完全に中に入れる)だったのと36度という体温と競う暑さだったため、今日千駄木の駅を降りた時にはかなりへばっていた。
「このままだと本当に気分が悪くなるかもしれない。もう円朝のお墓参りだけして、まっつぐ帰ろう」
と思って坂を上っていったが、円朝の墓に水をかけ、線香(滝場のお堂用の「好文木」)をあげ心経一回唱えたら、本堂の日陰で一休みして帰った方が楽な気がしてきた。
本堂前の大階段はステージの代わりとなるもので、ここで円朝まつりのフィナーレ、住吉踊りも披露される。大階段の一番上でしばらく休みながら、眼下の四枚目の画像のような光景をずっと見ていた。
大勢の聴衆を前に演説や説法を聴かせる人の目には一般聴衆/大衆というのはこんな風に見えるのか。みんなが一斉に自分の方を向いてしんとしたらまた全然別の光景になるのだろうか。
こういう風景を見るとつくづく自分は大勢の人の前で話をするタイプではないな、と思う。ただの連絡事項とか「それでは長らくお待たせいたしました…」と言うくらいなら百人以上の人の前でしたこともあるが、相手と対面で向き合って話さないと何だかお腹に力が入らないよ(そんなことないですか?これをお読みのお坊さま、神主さま、司祭さま?)。
自分に忠誠を誓う側近以外に等身大に見える人間がいない独裁者が、こんなに小さく虫のようにしか見えない大衆をいつもバルコニーから見ていたら、虫の命ほどの扱いになっても全然不思議はない。
少し気分がよくなったが行列に並んだり飲食したりできるほどではないので、ぐるっと境内を一回りだけして帰ることにする。実は今年円朝まつりでぜひ見てみたいものがあったのだ。それは
体温温度の東京での涼しげな着物姿!
大体体温に近い温度の東京などというものは長い江戸/東京の歴史のなかで本当にこの十年くらいのもので、それでも涼しげな和服というのは、ありえるのだろうか? あるとすれば落語家かお囃子の師匠の着物姿では?
結論から言うとものすごい人混みを三分で移動したくらいでは、そんな意気を見せる芸人はいなかった。でももうとにかく帰ろ…
うとした出口のところで、今日見た落語家の浴衣の帯の締め方の中で(本当に今日はベテランも若手も帯の結び方ひどかった! もちろん寄席の時だって羽織の下の帯の結び方どうなっているかわかったものではないが)唯一さすが噺家といえる結び方をしている人がいた。
これは誰だ。きっとものすごく厳しい師匠(昔の金馬のような)の弟子だぞ。小走りになって前に回ると
円朝の弟子筋の円生の弟子の円丈の弟子の……
天どん……(五言絶句)。
がちがち古典のバリバリベテランじゃなく
若手新作落語の天どんの後ろ姿が一番すっきり……(呆然。
気を取り直して五番目の画像を本人に見せ「とてもすっきりした帯の結び方なので撮ったけれど、失礼だったら今すぐここで削除します。ごめんなさい。でもその結び方の名前教えていただけませんか?」と言ったら
「全然OKですよ。でもこれ一番普通の結び方で名前はないです」
明日周りで「私は落語をまあかなり聴いている方といえるかな…」と鼻を高くしている人に「ブログ読んでいたら昨日の円朝まつりで暑くてもすっきり帯締めてたのは天どんだけだったって書いてあった」と言って反応を教えてくださいませんか?
でも名前がない結び方なんてあるのかな。
|