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昭和37年(1962年)4月北海道士別南小学校(1年1組担任池 敏先生)入学と同時に模型(主にプラモデルとゴム動力ライトプレーン)を始め今月で50年になりました。
小学校に入る前にゴム動力ライトプレーンは叔父(母の妹の夫)の高橋 勁氏(故人)(後にUコンの製作と模型エンジンの師匠)が、プラモデルは伯父(母の兄)の仁禮保夫氏が作ってくれました。
またプラモデルを飾るケースは叔父(父の妹の夫)の西 武治氏(故人)が作ってくれました。(その後20年後にスピードパンの加工治具を作ってくれました。私の宝です。)
模型製作は母が理解を示してくれ、入学式の帰り道筋に有る文化堂という模型・文房具店で初めてプラモデルを買ってくれました。
その後2〜3ヶ月毎位にプラモデルを買ってくれました。
なぜか私の周りには模型に影響を与えてくれた方々が居りました。
そして、まさかラジコン飛行機用4サイクルエンジンの設計者に成るとは思ってもいませんでした。
プラモデル以後は
昭和40年スロットカーレーシングの36分の1の一番安い物を、新聞配達をして買いました。
昭和43年1月5日に叔父の高橋 勁氏と一緒に札幌狸小路の中川ライター店でUコン機(ジュニア・スクラッパー)とエンジン(OSー15Ⅲ)を買いました。
(この時は、お年玉と古谷製菓の懸賞で1000円小切手が2枚当たったお金と小遣いなどを貯めて買いました。)
機体は叔父と一緒に作り、塗装は初代北海道模型連盟会長の清野 進氏(故人)が叔父と友達だったので、塗ってくれました。
これ以後殆どプラモデルは作っていません。
昭和45年OSー35Sを入手しスタントムスタングを飛ばしました。
しかしスタント機には興味が湧きませんでした。
昭和48年初めてスピード機(OSーH29R搭載機)を飛ばしました。
これ以後競技会には出ませんが、現在もスピード(主としてD級)を飛ばしています。
またこの年初めて外国製エンジン(KOSMICーK15RV)を買いました。
昭和55年初めてラジコン機(Pーバリー、エンジンはSAITO-初代40(私の最初の作品))を製作し飛ばしました。
この時のラジコンの師匠は、斉藤 源氏(初代社長)です。
(現在は殆どラジコンを飛ばしませんが、還暦を過ぎたら旧型エンジンでオールドタイマーを飛ばすのが夢です。)
その他の趣味(一時的に凝ったもの)
剣道(現在も続き剣歴は48年です。)
少年野球(中学1年の途中で野球部を辞めるまで小学校2年から夢中でした。)
ウルトラライトプレーン(現在は操縦しませんが、死ぬまでにはもう一度操縦したいで す。過去に認定員の資格も取りました。)
ペナント収集(現在は一枚も持っていません。)
記念切手(Uコンを買うために、母に叱られましたが、全部売りました。)
ビューグルというピストン1本の管楽器(鼓笛隊で12名のメンバーに選ばれ毎日うるさいから止めろと言われながらも、夢中で吹きました。もし当時母がトランペットを買ってくれたら人生が変わっていたかもしれません。高くて買えませんでした。
家から見える山の頂上で、夕方夕日に向かって、高校のブラスバンドのお兄ちゃんが
「夜空のトランペット」を吹いているのに憧れました。)
LPレコードの収集(100枚位買いました。現在は妻の実家に有るはずです。)
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