50代〜七段合格
50歳になり、剣暦は40年代に入りました。
40歳代で、あれだけ欲しかった、七段に対する思いもだんだん覚め始めていたが、七段審査の午前の部の最後の年51歳の11月の東京審査では、なんとしても受かりたいと思って望んだが、審査の受審番号が決まり名前を呼ばれたので、受審票を持ってステッカーを垂に貼ってもらう時、私の前に呼ばれた方は白い剣道着と袴で片手に短い竹刀を持っており、何か違和感を感じながら自分の順番が来るのを待ち自分の順番が近付いたので、面を付け椅子に座ろうとした時に、審査会場の係りの方が最初の方は二刀流なので立会いは3回行ってもらいますとの事で、私もすっかり動揺してしまい、椅子に座りながら考えたのは、二刀流とは試合をやった経験があったが審査とはやり方が違うので、思い切って私の尊敬する北海道で只一人の九段だった菅原恵三郎先生が若い頃、二刀流の方と試合をやった時下段に構えて逆胴で勝ったと言う話を思い出し、私もそうしようと思い、自分の順番が来て初めの声で立ち上がり、思い切って下段に構えて、じりじり攻めたら相手の二刀の方は間合いを嫌って下がり、結局お互い一本も打たずに時間が来てしまい、その後中段の方2名と行ったのですが、二刀流の方とやった後はなぜか、お互い試合のようになり全く審査になりませんでした。
結局ラストチャンスと望んだ午前の部の最後の審査も神様のいたずらで終わりました。
二刀の方は武蔵会のSSK先生と言う方で、たまたま一緒に受けていた私と同じ年齢のOOMY先生の知り合いで、返りはSSK先生の車で東陽町の駅まで送ってもらい、駅の近くのレストランで3人で食事をして分かれました。
SSK先生は次の年の宇都宮の審査の午前の部で合格されました。私はその時既に52歳だったので午後の部の第一会場で不合格でした。
この頃から七段は諦めていました、ただ受けないと受からないので、審査は受け続けました。
お金だけが飛んで生きました。
只午前中より切迫感がない分、午後は受けやすくなりました。
また対戦相手の方々も、スピードが遅く、間合も近くなり、スピードでは負けない感じでした。
椎間板ヘルニアの手術から10年を超えた52,3歳の頃から少しずつ稽古後の次の日の朝の起床は楽になってきました。
只、肉離れや、膝の痛みなど加齢による症状がじわじわと出始めました。
ここで考え始めたのは、七段が取れなくても六段で死ぬまで剣道は止める事は出来ないので、振りかぶって一足一刀からガバッと打っていく面打ちは老いてから無理の様に感じ、近間からスナップを利かした、面打ちに変えていかなければ、生涯剣道は無理のように感じ、剣風を変える事を考えました。
只、どうしても大先生方に掛かり打ち込みをやると一足一刀から思い切って打ち込むことを強制されるので、上の先生には掛からない事にしました。
その代わり、子供との稽古では打ち込み・掛かり稽古、地稽古では打つにしても必ず足を使うようにしました。
また大人が多い時は、なるべく元に立たず、子供と一緒に切り返し、打ち込みを行い、右足は地べたを這うように軽く出し、左足で蹴る様にして打つようにしました。
特に効果的だったのは、20秒間で大きい面打ちと小さい面打ちを交互になるべく継ぎ足をしないで一足一刀から連続して打てるだけ打った事と、中学生相手に指し面の合面を何回も連続して行ったことです。
隙は一瞬なので、見えた瞬間に体は反応しないと打つことが出来ません。打つ瞬間に溜めがあると瞬時に反応しません。
それと手首のスナップを習得する為に、父の形見の摸擬刀をテレビを見ながら、腕を振る時は強く振らず、正面で止めるときにスナップで強く打つように心がけました。また右腕と左腕の力を同じにしないと空を切った音が出ないので、左右の腕の力が同じになるようにし、左腕も伸ばすようにしました。(ただ5年後位にやりすぎて小指がばね指になってしまい余りの痛さにやめました。しかし手首だけで竹刀で打つ打力は増しました。)
更に剣道形も、なるべく仕太刀の時は1本目、2本目の抜き技の時は打太刀の木刀が当たる寸前に抜くようにしました。また打った時は打太刀の方の髪の毛に触れる位の所でとめる様にしました。それと応じてから打つまでを間髪をいれずに早く打つようにしました。
いずれにしても工夫あるのみで、先生方には頼らず、「我以外皆師」の心境で子供だろうが、大人だろうが吸収できる事は何でもやりました。
そんなことで、50歳代は過ぎていきました。
審査は必ず受けましたが不合格、ただ市民大会は入賞(優勝2回、準優勝2回、三位2回)の常連になりました。
55・6歳頃から、あれだけ辛かったヘルニアの後遺症の腰痛が消え始め、朝もすんなり起きることが出来るようになって来ました。
そうすると不思議に、間合いが段々関係なくなり
「岩立先生の言葉、間合いなんて関係ないよ。」の様な、また「倉澤先生の言葉、加藤お前に地稽古はいらない打ち込みだけやれ」その後100本面打ちをやった効果がやっと出始め、相手が遠い間合いの時は遠くから、近い間合いの時は近くから何と無く簡単に面打ちが出来るようになって来ました。
その後、OKI先生から誘われ、東部支部の稽古に行き出し、TNK先生から「自分が楽に打てる間合いまで攻め込み、そして打ちなさい。」といわれ最初は中々出来ませんでしたが、何が足りないのかを考えていた所、急に「佐藤博信先生の無言の教え」を思い出しなるべく蝕刃から交刃、更に自分の一足一刀に入る時に剣先をなるべく動かさず相手の喉に付ける様にしたところ、誰とやっても、自分のイメージの剣道が出来る様になってきました。
審査に於いても、57歳の京都、東京でほぼ続けて「もう一歩」に入り(この時は、それまで使っていた父の形見の防具がぼろぼろになってきたので、思い切って安い道具を買い胴だけは以前から持っている高い胴にしました。ただ安い防具は「もう一歩」まで合格した時は父の形見の防具をリフォームしたのを着けました。)、やっと自分の審査のパターンなってきたのですが、どうしても一人目が旨くいかず、二人目は結構手応えが有る様な状況が58歳の時も続きました。
59歳の1月末で剣暦が50年になり、51年目に突入したのですが、いままでは偶に相手の起こりがはっきり判る時は有りましたが、不思議に誰とやっても相手の起こりが見えるようになって来ました。そうすると市川で只一人の八段照井先生が以前面打ちの動作と言って殆どスナップだけで打つ動作を見せて下さったのですが、相手の起こりを瞬間的に左手を伸ばしながら右手のスナップを利かせば、無理して飛ばなくても簡単に当たるようになり、そうすると相手が怖くなくなり四戒がなくなりました。
今年の名古屋審査の前に東部支部のOGW先生から、審査だから竹刀をなるべく動かさず張ったほうが良いんではないかとのアドバイスを頂き、名古屋審査に望んだ時順番を待っている時に、ふと思い立ち、蹲踞したときに剣先を相手の喉にしっかり着け、立ち上がりながら一歩前に出るときに、さも突きを出すようにしたところ、今まで相手が直ぐに自分の間合いに入ってきてあわてる事が多かったのですが、その様に立ち上がって一歩前に出たら、相手は一瞬躊躇する様な動作を取り、自分の剣道がやっと出来ました。更に二人目はもっと激しく動揺し間合いを嫌ったので、結局いいところが無しでしたが、自分として初めて審査から、何かを得ました。
その後8月の岩手の花巻の審査では、前日に中尊寺金色堂に高校時代からの念願が叶い、お参りすることが出来、パワーを貰い、これで地方審査は打ち止めと心に刻んで、審査に望みました。
(何回も落ちたお陰で、妻には申し訳ないが、色々な所に行くことが出来、日本の各地を知ることが出来ました。)
審査の相手は以前の私なら苦手としたのですが名古屋審査の教訓を生かし同じように立ち上がったところ、立会いした二人とも動揺したように見え審査で初めて二人にバクバク当たりました。
それで今回の東京審査に望んだのですが、運良く神様の計らいで第二審査場の最後から2番目の組で3人でした。
審査に望んで、平常心と自分の心に勝つことだけを考えて望みました。また相手が誰が来ようと絶対受かる気持ちで望みました。
今回初めての経験は今まで何十回も審査を受けましたが、ある程度は内容が覚えていたのですが今回の審査では、初めの号令で立ち上がった時相手の方が右に回り込んだので、私も合わせると何時ものパターンになるので、咄嗟に何時もの倍以上の声、倍以上の長さの気合を入れた所、相手の方がしっかりした構えに直されたので、よしっと心で叫んだのは覚えていますがその後のことは全く覚えていません。またなぜか今回は審査が終わった後、面を着けた場所に戻って正座し面を取って、しっかり礼をした瞬間に立会いが終わった様な気がしました。
立合いの間に向かう時に礼をし、最後は正座の礼で終わりました。
動画を取ってもらったのですが、見た感じでは、
50年間に習得した全ての技を出していましたし、相手としっかり合気になりながら相手を圧倒している様子が移っていました。
50年掛かって七段になり、判ったのは
これでやっと剣術の基本が終わり、これから剣道に移行していくのだと言うことです。
相手があっての剣道
正に「交剣知愛」そして「至誠」
本当の意味での生涯剣道の入り口に立ちました。
また50代最後に習得した立合いの極意は
しっかり15度の礼をして三歩で開始線で蹲踞し相手の喉に剣先を着け、初めの号令で立ち上がりながら相手の喉を突き刺すようにして蝕刃まで先に入り、その蝕刃の間で気合を入れて相手と合気になるまで張り合い、相手の気が充実した時に交刃から自分の一足一刀に攻め(この動作を起こす時にどうしても四戒が起きるが、自分の心に勝ち捨て身になることが肝心)ここで待つ、もし相手が居ついて剣先が外れたり、打ちかかる起こりが見えた時は先先の先で打ち、それが一瞬遅れ打ちかかられた場合は対の先で相打ち、完全に遅れた場合は後の先で返し業と言う、剣道の先のセオリーがやっと判りました。
最後に範士十段持田先生の様に、どんな相手が来ても相手と同じに使えるように修行することがこれから死ぬまでの目標です。