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本日は、1968年(昭和43年)1月5日、叔父の故高橋勁氏に連れられ、札幌狸小路四丁目に在る、中川ライター店(入って突き当りが模型コーナーで正面にエンジンが並んでいました。店内も飛行機が一杯で私にとっては天国に見えました。)でUコン用エンジンOS-15Ⅲを購入してから、丸50年が経ちました。
本当はENYA-15Ⅲを買う予定でしたが売り切れで、OS-15Ⅲは在庫に有った為、叔父にOSで良いかと聞かれたので、何もわからないので、良いですと答え購入しました。
同時にUコン機「スクラッパージュニア」他一式購入しました。
まさか、このOS-15Ⅲが自分の人生を決定づけるものになるとは思ってもいませんでした。
また同時に、未だ上手く飛ばせませんが、Uコン歴も丸50年になりました。
模型エンジンと剣道共に50年(剣道は54年)他に目求めずよくも飽きずに続きましたし、まさかプロになるとは思いませんでした。
(只、中学1年の夏休み前にしかたなく野球部をやめる迄は、
第一が野球、第二が模型、第三が剣道でした。)
模型エンジンの歴史の内設計のプロ歴は通算26年になりました。
模型エンジンに小学六年で魅せられ、大学でエンジン設計を習い、
まさかプロになるとは思ってもいませんでした。
(剣道に関しても、まさか大学で剣道部に入るとは思ってもいませんでしたし、教授に当時日本に二人しか居なかった範士九段に授業で直伝で教授して頂くとは考えてもいませんでした。)
しかし、今考えると模型に関しては、母方の伯父故仁禮保男氏に初めてプラモデルを作って貰い、プラモデル製作が趣味になり、貯まったプラモデルを入れるケースを、父方の叔父の故西武治氏に作って貰い(スピードパンの加工冶具も作って貰った。)、プラモデルが飽きてきたころ、母方の叔父故高橋勁氏にエンジン、Uコンを教えて貰いました。
剣道は父の故加藤信久がやっていたので、これも必然的でした。
エンジンにしても剣道にしても情報が無ければ、やっていなかったと思います。
今考えると模型エンジンと剣道をやるために生まれて来たのかもしれません。
これから追記で入手して放出したエンジン、現在あるエンジン(58台)の中から特に思い出が多いエンジンを古い順に紹介していきます。(全てがもし有ったら100台は越えていると思います。)
第1番目 OS−15Ⅲ(画像は当時のエンジンでは無い。)
このエンジンは、私を模型エンジンにどっぷり浸からせる基を作ってくれたエンジンで、ENYA-15でなくて良かったのは、何にでも使えたからです。このエンジンで、スタント、コンバット、ラットレーサー、スピードをやりました。(以後OSファン)
特にスピードは私の模型人生の元です。
このエンジンは、Uコンも少しは飛ばせるようになり、Uコン技術という雑誌を見ると大型の機体がカッコよく見えたので、お金を貯めて中学2年の12月、左足の小指の手術をして入院して居る時、叔父の高橋勁氏に頼んで買ってきて貰い、退院後嬉しさの余り、学校に持っていき、友達に見せた記憶が有ります。
最初は町田の「スタント・ムスタング」を作り、その後自作で3機程作って、豪快な飛行に酔いしれましたが、スタントに飽きスピードを始めた時に友人にやりました。
第3番目 OS−H29R(画像は当時のエンジンでは無い、現在無)
このエンジンは、上手く飛ばせないスタントに飽きた高校2年生の時
の12月頃、何時も行っている模型店の「北海模型」の店主の野々村氏から、先日問屋のブンカ札幌に行ったらOS−H29Rが売れないで残っているので、誰か欲しい人を探して欲しいとの事で、私に要るかいと聞かれたので、要りますと答え購入しました。
スピードは叔父の家で見た事は有りましたが、どんな物か雑誌を見てもわかりませんでしたが、回してみるとその甲高いエンジン音に見せられ、ちょうど仲間で同じくスピードをやって見たいと言ってくれたので、雑誌の見よう見まねで私はH29R、彼は29Ⅲで、兎に角形にだけはしたのですが、スピード機は離陸スピードがいるという事がわからず、何回も落としましたが(機体が頑丈なので簡単に壊れなかった。)その内彼が離陸スピードがいる事に気が付き、思い切り走ってぶん投げてくれたら、上手く飛行しそのスピード感にしびれてしまい虜になりました。自分の求めていたのはこれだと思いました。
その後ダリーを作り、滑走から離陸までの感動は今でも忘れません。
その後スピードの虜になり、雑誌を読み漁ると、エンジン設計者が主にやっている事が判り、その時から飛行機よりもエンジンが中心になり、大学でエンジン設計をやりた思いが強くなりました。
只、飛行機も好きなので、航空科を受けましたが、私の頭のレベルでは無理かもしれないと思い、滑り止めの交通機械科に入りました。
OS−H29Rこそが本当の意味で、私の人生を作ってくれたエンジンです。
このエンジンは、高校の修学旅行の折、東京で自由行動だったので、ラジコンを始めた友人と、叔父の友人が経営していた船橋のフタバ模型に行き買ったエンジンです。(帰りは錦糸町のステーションホビーに寄りました。ST-G15RVを買うお金は有りませんでした。)
初めての外国製のエンジンでした。
これ以降外国エンジンが主流になって行きました。
本当はステーションホビーの広告に出ていたST−G15RVSPが欲しかったのですが、フタバ模型には無くて、15レーシングで売っていたのは、KOSMIC−K15RVSPとK&B−15Sの2台でした。
値段は同じ位だったので、チューンドパイプが付属のKOSMICを購入しました。
帰りの汽車で何回も箱から出して触りまくっていたら、同級生から
「よっぽど好きなんだね」と言われました。
当時学校でも古典の先生から、君は学校でエンジンを回していると息子から聞いたが本当かいと言われ、そこまではしませんと答えました。
KOSMIC−K15を買った当時は、チューンドパイプのパイプインのさせ方など判っていなかったので、満足な飛行はできませんでした。
只、このエンジンのカタログデータの24000rpmを回せるプロペラを作成し、その後エンジンをいじくって27000rpm迄回した記憶が有ります。
現在は回るかどうか判りません。
第5番目 HGK−15R(オリジナルの形では無い。)
このエンジンは、東京に大学受験に行った折、渋谷から歩いて店を探しながら西麻布のレブアップモデルㇲに行って買ったエンジンです。
その時初めてエンジンの大家F氏に会いました。
F氏は叔父を知っていたので、色々話をしました。
只、F氏はROSSIの方が回るよ、ROSSIにしないかいといいましたが
当時はHGK−15Rに夢中でした。
(国産純レーシングエンジンでしたから。)
このエンジンは色々と思い出が有って、当時HGK社でレストレポートを募集していたので、ベンチテストのみでしたが書いて送ったところ、入選し景品としてHGK−15Sが送ってきましたし、Uコン技術にも乗りました。
このエンジンを実際にスピード機に付けて飛ばしたのは、買ってから10年後位でした。
このエンジンはトルクが少なかったので、2枚プロペラでは回転が上がらず、1枚にしてようやくカタログデータの33000RPM近くまで回りました。
只、天候が悪く、湿気が多いとなかなか思う様に回転が上がらず、上がってうまく飛んだときは、私が下手糞だから、パイロンでの操作が上手くいかず接地してしまいましたが、回転が上がった時の音は、心がスカッとする様な音でした。
このエンジンは大阪の大学時代に買ったエンジンです。
剣道部が忙しくスピード機は殆どできませんでしたが、仕送りのこずかいを節約し貯めて、当時、神戸の姉の家から大阪大東市の大学まで2時間半で通っていましたが、偶に部が休みの時は三宮駅近くのセンター街に在った星電社の模型店によく足を運び買ったエンジンです。このエンジンが出た当時は休みが有れば、売れていないか見に行きました。漸くお金が貯まって買った時は、嬉しくて眠れませんでした。
他にも、STーX15RV、X15FI、XケースのG15FISP、X−29RV等も買いました。(現在は有りません。)
60RSRを飛ばしたのは買ってから10年後の昭和61年頃の頃だと思います。
機体は作ってありましたが、中々飛ばす場所が無く念願がかなった時は飛び跳ねました。
飛行機の操縦というよりも、投げたことは無いがハンマー投げの様でした。
私に一番合っているエンジンです。
第7番目 SAITOー40
このエンジンは昭和55年大学を卒業と同時に入った会社で最初に設計したエンジンです。
それまで有った、FA−30の部品を使い、故会長(当時社長)の指示で将来の事を考えて、シリンダーを分離したエンジンです。
その後設計したFA−80Tのロッカーカバーで覆った構造や試作の
FA−90の時設計したロッカーブラケットを組み立て式にした事等が現在の形の基本になっています。
また故会長がこだわった、フロントに配置したカム構造が、現在の4ストの主流になっています。
私は一度退社して出戻りましたが通算で26年設計をやっています。
出戻り後の最初の作品はFAー182TDです。
これまで試作で終わったモノや製品になったモノを合わせると50台位は設計したと思います。
またFA−40は初めてのラジコンに搭載したエンジンです。
故会長の指示で機体はピーバリーという全てを組み立てる古典機みたいな構造の肩翼機でした。
アパート住まいだったので、台所の床を工作台にして、胴体と翼を組んだ記憶が有ります。フィルム張りも初めてでした。
完成に半年位掛かりました。
このエンジンは、昭和56年の晴海のラジコンショーで、当時外国雑誌に出ていたので、ホビープロダクトのブースに行きこのエンジンを取ってくれないかと聞いたが、日本では需要が無いので需要の有るボート用しか入荷していないし、Uコンスピード用は需要が無いので部品供給ができないので無理だと言われ、俺はエンジン製造会社の設計をやっているので部品は何とかするからとホラを吹いて頼んだが、無理との事で諦めて会社のブースに戻って落ち込んで、次の日から普通に仕事をしていたら半年後位に突然会社にホビープロダクトから電話が来て、何事かと思ったらエンジンを入荷したから要るかどうかの確認の電話で、金額を聞いたら55000円との事で、急に言われてもなかったので一週間待ってくれと言って電話を切り、貯金で足らない分を母から借りて何とかお金が出来たので電話して買ったエンジンです。
ですからもしかしたら日本に最初に入ったエンジンかもしれません。
当時飲み屋が通いしていたので、貯金が無かった。
エンジンは会社に送ってきたので、当時会社にはHGKが倒産したのでエンジンの大家故大場雅夫氏(スピードエンジンの楽しい話をよく聞かせていただいた。)も居られ、現社長と大場氏と3人で分解して各部品を見た記憶が有ります。
このエンジンも購入後10年位してから飛行させましたが、腕が抜けそうな位引っ張られ、私の体力では無理と判り会社の同僚がボートで使いました。そのためオリジナルの形では無くなりました。
只、ボートで使うと排気のタイミングが早くボートには合っていないようだとの事で、Uコンスピード機用とボート用ではタイミングが違うのかもしれません。
もう一度、お釈迦の部品を交換して回してみたいものです。
※特別追記ー悲しい情報
ネットで検索したら、中川ライター店は後継者が無く、2015年に
100年以上の歴史に終止符を打ったとの事です。
叔父故高橋勁の葬儀にも参列して下さった、中川昌三氏もなくなったそうです。ご冥福をお祈りいたします。
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