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大好きな市川雷蔵(8代目)の、遺作に近い作品。当初は話も練られてて立ち回りも面白かったので、当然のようにシリーズ化された「若親分シリーズ」の最終作です。
メインタイトル
学生の頃、友人に誘われて「若親分シリーズ全作上映」に通っていたとき、シリーズが進むにつれ初期の面白さもドコへやら、もう中だるみもいいトコ、この作品で「やっと終わりなんだ」と思ってなかば義務感のように観てました。
でもなぜかこの「千両肌」だけは、妙に鑑賞後も惹きつけられてたんです。
初めて観たときからずっと「豪華だけど駄作だ」と思いながら、まあ雷蔵の啖呵が気持ちよかったから魅力的に思えたのかなぐらいに思ってました。
けど社会人になってから、ただ単純に最終作と言うだけではない、妙なもの悲しさや違和感を感じたから惹かれるものがあったんだということに気付きました。
それは、当時の雷蔵の状況によるものも手伝っていたのかもしれません。
とぼけてるけど強い長門勇
まずシリーズ初期と較べて、雷蔵の立ち回りそのものが少ないんです。初見では長門勇の演じる昇天斎辰丸が立ち回りを頑張っているので目立ちませんでしたが、ビデオが普及して何度も見返すことができるようになって、雷蔵が動いていないコトに気付きました。
さらによく観てると、海岸を走るシーンなども含め、雷蔵の立ち回りシーンは「かなりの頻度で吹き替え」なのが目につきます。
この映画の公開年(1967年末)の翌年に直腸ガンで入院されたということなので、この作品よりもさらに後に撮影された眠狂四郎なんかは吹き替えが多いとはわかっていたのですが、この作品を撮影している頃にはすでに、かなり体調が悪かったのかもしれません。
昇天斎辰丸(長門勇)の立ち回り後、南条(雷蔵)は話し合い
さてこの映画は、お話だけなら、まあ正直バカバカしい部分が多いです。そのかわり細かなエピソードも色々盛り込まれてて、俳優陣もかなり豪華(ヒロインに藤村志保/カフェ女給に久保菜穂子/旧友の海軍少佐に藤巻潤の他、長門勇/坂本スミ子/東野英治郎/三島雅夫/松竹からのゲストで山口崇と財津一郎)で、いかにも「娯楽巨編ぽい」んですが、そのくせ鑑賞後は、なぜかなんとも言えない寂しさが残ります。
最も大きい要因は、ラストで旅立つ若親分・南条武の姿。
この「若親分シリーズ」のラストシーンは、南条が旅立つ「お別れシーン」と決まってるんですが、いつもは笑顔も交えつつ前向きに歩き出すんですよ。それが今作に限っては、その明るさが消えてます。それどころか絶望すらしていたんじゃないかとも思えます。
新型魚雷のエピソードで、水上(藤巻潤)と再開
若親分・南条は、元海軍の軍人さんです。先代の親分が「ヤクザは俺の代だけでいい」と、武を海軍の高官に預けてて少尉になっていました。ですが、その親分=父親が惨殺されたと聞いて退役し、組を引き継いで「若親分」と呼ばれるようになった、というのが第1作です。
でも、退役したからと言っても、海軍時代の同期達との絆が切れることはありませんでした。さすがに直接連絡を取り合ったり便宜を図るというようなことはないのですが、直接会っていなくても、言葉を交わさずとも、互いに信頼しあえる友人だと描写され続けてきました。
だから若親分は、シリーズが進むにつれて、組が潰され、子分が死んでいき、濡れ衣を着せられるなど、次々と降りかかる困難に辛い思いをしながらも、自分を信じてくれる友人達が居るからと奮起し、戦ってこれたに違いないんです。
ところがこの最終作「千両肌」では、その海軍時代の同期達に、新型魚雷のスパイ容疑をかけられてしまいます。
海軍時代の同期たちから詰問される南条
すでに親はいません。組もありません。子分達も死んでしまいました。彼は文字通り一人で生きてきました。そしてこの作品では、策略にはめられたとは言え、残された心の支えだった「友人達との絆」も失いました。
この「千両肌」の中で、若親分の男気に惚れた大杉(三島雅夫)という男からスカウトを受けますが、そのとき大杉から「ヤクザは裏道」「ヤクザはクズ」「そんな道は捨てて、俺を手伝え」といった内容のことを言われ、こんな啖呵を切れたのも、同期の友人たちの存在があったからに違いないんです。
「無職だろうが、ヤクザだろうが、人間のクズだろうが」
「この体に流れてんのは親から貰った日本人の血だぜ!」 その後、昇天斎も「国を愛する国民として、義務を果たさせて欲しい」と協力してくれ、盗まれた図面を無事に取り戻し、南条にかけられたスパイ容疑も晴らすことができました。でも彼はそのまま、誰にも会わずに旅立っていきます。
歩いていかず、船に乗って寂しそうな顔をします
ラストの彼の寂しそうな背中は、おそらくそういう彼の心情を受けてのものだと思うんですよ。
いつもなら、どんなに辛いコトがあっても、お別れするシーンでは関係者に対して「きちんと挨拶を済ませて」から(前向きな気持ちで)歩き出すんですが、今回は、昇天斎や劇団の団員、かつての海軍の仲間たちなど、それぞれの場所で、皆が口々に「来なかったな」「詫びたかった」「もう一度会いたい」と言って南条を待つなか、彼は一人で船に乗って去って行きます。
何回観ても辛いんですね。おそらくそこが、私がこの映画を好きな理由なんだと思います。まるで脚本の時点で「雷蔵の遺作だよ」と言ってるみたいにも思えてしまいます。
また「親からもらった日本人の血」という台詞を雷蔵に言わせたのも、制作サイドの雷蔵に対する愛情から、追悼の気持ちをこめていたのかもと感じるのは、深読みしすぎでしょうか。
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