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竹内宿禰(たけのうちのすくね)は第12代 景行(けいこう)天皇から第16代 仁徳(にんとく)天皇までの、
5人の天皇{当時は中国や朝鮮では倭国(やまとのくに)の大王と呼ばれていたのです}に宿禰(すけね)は仕えていたのです。
宿禰(すくね)には7男2女の子供が誕生したのです、
そうして、長男の八代宿禰(やしろのすくね)は後に波多氏(はたし)を称し。
次男の小柄宿禰(おがらのすくね)は後に許勢{巨勢}(こせし)を称し、
3男の石河宿禰(いしかわのすくね)は蘇我氏(そがし)を称し、
4男の都久{木菟宿禰}(つくのすくね)は平群氏(へぐりし)を称し、
5男の木角宿禰(きのつののすくね)は紀氏(きし)を称し、
6男の長江曽都昆古(ながえのそつびこ)は本家を継いで葛城氏(かつらぎし)を称し、
7男の若子宿禰(わくごのすくね)は江財氏(えのたからし)を称し、
この7人の息子達は生駒山、葛城山、金剛山の麓に宮と構え、
大和朝廷で権勢を保ち続けてきたのです。
そうして室町時代まで子孫が続いたのは紀氏(きし)と巨勢氏(こせし)文学を生かしたから、だと教わっています。
今回は3男の石河宿禰(いしかわのすくね)の子孫に関しまして書き込んでみました。
石河宿禰(いしかわのすくね)は成人になると、
倭国(やまとのくに)高市郡蘇我邑を本拠としていたそうです。
家系は石河宿禰(いしかわのすくね)〜満智宿禰(まちのすくね)〜韓子宿禰(からこのすくね)
蘇我高麗(そがのこま)〜蘇我稲目(そがのいなめ)と続き。
蘇我氏は朝廷でそ権力の座に就いたのは5代目の稲目(いなめ)からなのです、
一門の波多氏(はたし)、巨勢(こせし)、葛城氏(かつらぎし)が衰えた頃の。
535年、第29代欽明(きんめい)天皇が即位すると、
大臣(おおおみ){現在の総理大臣}であった蘇我稲目(そがのいなめ)が、
長女の堅塩媛(きたしひめ)そうして次女の小姉君(おあねのきみ)の二人の娘を。
欽明(きんめい)天皇の后(きさき){囲われ女}として差し上げたのです、
後に、堅塩媛(きたしひめ)は天皇とに間に橘豊日皇子(たちばなのとよひのおうじ)後の用明(ようめい)天皇を産んだのです。
そうして稲目(いなめ)は孫の用明天皇と天皇の(実の妹の炊屋姫(かしきやひめ)と結婚させて、誕生した皇子が、
堅塩媛(きたしひめ)の孫で厩戸皇子(うまやどのおうじ)後の聖徳太子なのです。
厩戸皇子(うまやどのおうじ)生まれた頃に、
大連(おおうなじ)の{現在の副総理}物部尾興(もののべのおこし)の始祖は、
天照大神の血筋で饒速日命(にぎはやひのみこと)が神武東征の際に。
神武天皇よりも先に、
倭(やまと)を偵察して長髄彦命(ながすねびこみこと)を攻め滅ぼす為に、
長髄彦の家臣となっていた時に長隋彦に武力を認められて。
長髄彦の妹の三炊屋媛(みかしきやひめ)と結婚したのです、
そうして最後に、長髄彦命(ながすねひこ)が捕らわれた際に、饒速日命(にぎはやひのみこと)は
天皇に降伏して家臣として仕えるように話したが。
断わったので、
義兄の長髄命を斬り殺ろしたのです、
{現在、東大阪市石切神社}に祀られています饒速日命で、
それ以来、物部一族は神を祀って来たのですが。
蘇我稲目(そがのいなめ)が朝鮮の百済王(くだらおう)から寄進された、
仏像と経殿を信仰すようになり。
そうして、物部一族は蘇我氏の天皇の即位に関しても反発をしていて、
常に睨み合いが続いていたのですが。
稲目(いなめ)も尾興(おこし)も亡くなって、
蘇我馬子(そがのうまこ)物部守屋(もののべのもりや)の息子の代になっても睨み合いが続いていたのですが。
あるとき、難波(なにわ)に疫病(天然痘)が大流行して飢えて餓死者が多くでたのです、
物部守屋(もののべのもいや)は神をおろそかにして、538年に百済から送られた仏教を信仰するからだと云って。
馬子(うまこ)がたいせつしている仏像と経殿を難波(なにわ)横堀川に守屋(もりや)は投げ捨てたのです。
そうして、用明(ようめい)天皇が病で亡くなると次の天皇を巡っての争いとともに、
蘇我氏と物部氏の対立が激しくなり。
馬子(うまこ)は次の天皇と云われていた物部氏(もののべし)の血を継ぐ、穴穂部皇子(あなほべのおうじ)殺し、
まだ、14歳の厩戸皇子(うまやどのおうじ){後の聖徳太子)の率いる朝廷軍と連合して。
河内国(現在の八尾市久宝寺町}に宮と持っていた物部氏の城に攻撃をしかけたのです、
そうして激しい戦い末。
神代の昔から戦いの神様とて尊はれた物部氏が滅んだのです、
河内の国では蘇我氏の厳しい残党狩りがおこなわれたのですが、
その厳しい残党狩りの網を潜り抜けて生き抜いて蘇我氏を滅ぼしたのは。
645年、飛鳥板蓋宮大極殿(あすかいたぶきのみやだいごくでん)で、
中大兄皇子と一緒に蘇我入鹿(そがのいるか)殺した中臣鎌足(なかとみのかまたり)後の藤原鎌足です。
大化の改新で蘇我氏は完全に滅んだのですが、
藤原氏は平安時代の後期まで其の名を残したのです。
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じっくり読ませて頂きました。勉強になります。ありがとうございました。
2007/11/2(金) 午後 10:21
私の村の神社の祭神「玉垂命」が竹内宿禰という説もあるみたいですよ。私はちょっと違うのではとおもっていますが。
2007/11/2(金) 午後 11:18
すみません、気付くのが大変遅くなりました。これが、メダカですね♪。スイスイ泳ぐと歌にありますが、本当にそんな感じなのですね。
2007/11/6(火) 午後 10:58
大体、「宿禰」という言葉も余り知りません。
野見宿禰もちょっと有名です。菅原道真の始祖
大宰府天満宮の裏に碑があるとか。
表に持ってきてほしいです。相撲の元祖?・・
ゲノム分析で最近日本人元祖北方系モンゴロイド
説が有力に縄文前記以前の話?ゲルマン大移動。
雲南・貴州省やドラビタ・タミル系(インダス
ハラッピー文明担い手.黄色系ゾロアスター教徒)
ユダヤ人も重層的に入ってる。
がマレー語痕跡も沖縄古謡インドネシアの人は
が内容解す。
イカタン。アラスカユーニマク島&マレーシアに。
カナダ北極圏バフィン島にはイカルィット。・・
マダガスカルにも、ドラビタ語が根付いている。
諸葛亮孔明に終に服した南蛮族。衛温・諸葛直の
伝説(呉誌、孫権から2万の大軍を賜った)=同根。
インダス河口で瀕死の重症アレクサンドロス・・
荒苦雷神(荒神山古墳・・カエサルも3度墓参?)
2016/3/2(水) 午前 2:45 [ まかちゃん ]