歴史上の人物

何時まで続きますか解りませんが努力します。

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第29代 欽明(きんめい)天皇

諡号 
 古事記では、天国押波流岐広命(あめのくにおしはるきひろにわのみこと)
日本書記では、天国排開広庭尊 (あめのくにおしはるきひろにわのみこと)

継体(けいたい)3年 571年 誕生
皇居 磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)
    奈良県桜井市金屋

欽明(きんめい)32年 571年 63歳で没
御陵 檜明坂合陵(ひもくまのさかあいのみささぎ)
     平田梅山古墳(先方後円墳)
    奈良県高市郡明日香村平田

父は 継体(けいたい)天皇
母は 手白香皇女(たしらかのひめみこ)
皇后 石姫皇女 (いしひめのひめみこ)

皇妃(こうひ)蘇我堅塩姫(そがのきたしひめ)で蘇我稲目(そがのいねめ)の長女
       蘇我小姉君(そがのおあねのきみ)で蘇我稲目の次女

540年、物部麁鹿火(もののべのあらかひ)が病で亡くなり、
年老いた大伴金村(おおとものかねむら)が朝鮮(ちょうせん)新羅(しらぎ)を攻撃した際の失敗を
物部麁鹿火(もののべのあらかひ)の息子、尾興(おこし)と蘇我稲目(そがのいねめ)に厳しく追及され失脚(しっきやく)させられ。

神話の時代、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の曾孫(ひまご)の邇邇芸命(ににぎのみこと)が下界(げかい)に降臨(こうりん)の際、道案内をした天忍日命(あまのおしひのみこと)の子孫である大伴氏(おおともし)は滅んでいったのです。

552年、朝鮮国の百済(くだら)の聖明王(さいめいおう)は新羅(しらぎ)との戦い際の援軍を送ってくれたお礼にと、
欽明(きんめい)天皇は、
釈迦仏金銅像(しゃかほとけかねのみかた)と幡蓋若干(はたきねがさじゃかん)そうして経論が送られ(始めて日本の仏教がきたのです)
天皇は臣下に意見をたずねると、仏教導入賛成したのは蘇我稲目(そがのいねめ)で、
物部氏(もののべし)や中臣氏(なかとみし)は。

天照大御神(おあまてらすおおみかみ)に仕えて頃から神を祀り守っていたので、
蘇我稲目(そがのいねめ)意見に猛反対したので、
天皇は、稲目(いねめ)に屋敷内で祀るを認めたので、
稲目は屋敷を寺にして仏教を信仰するとうになったのです。


    

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おはようございます。

いやー、この辺、仏教伝来に纏わる歴史のなかでの政治的対立、この事は、遠く奥羽の地にも大きく影響してきます。
秋田物部氏・出羽三山蜂子皇子などの伝承を生んでいます。

この時、百済から送られた金銅仏とは!等々、興味津々ですね。

それを歴代天皇側から捉えているhtnkさんのブログ…勉強になります。

2009/8/23(日) 午前 6:50 ビナヤカ


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