歴史上の人物

何時まで続きますか解りませんが努力します。

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第78代 二条(にじよう)天皇
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諱(いなみ) 守仁親王(もりひとしんの)
 
康治(こうじ)2年6月18日 (1143年7月31日) 誕生
父、後白河(ごしらかわ)天皇の第1皇子
母、源懿子(みなもとのいし)
中宮、藤原育子(ふじわらのいくこ)
 
守仁親王(もりひとしんのう)の母は出産後に急死したので、
祖父(そふ)鳥羽法皇(とばほうお)に引き取られたのです。
 
叔父(おじ)の崇徳上皇(すとくじょうこう)は我が子、
重仁親王(しげひとしんのう)を即位させよう図ったのですが、
父の鳥羽法皇(とばほうおう)の第1皇子の、
崇徳上皇(すとくじょうこう)弟の雅仁親王(まさひとしんのう)
後の後白河(ごしらかわ)天皇が即位したのです。
 
鳥羽法皇(とばほうおう)に引き取られていた守仁親王(もりひとしんのう)は9歳出家(しゆっけ)したのですが、
重病の近衛(このえ)天皇が亡くなると
父、後白河(ごしらかわ)天皇の命で守仁親王(もりひとしんのう)は16歳で即位したのです。
 
鳥羽法皇(とばほうおう)が亡くなると、崇徳上皇(すとくじょうこう)と後白河(ごしらかわ)天皇の対立が激しくはり、
その翌年、平治元年(へいじがんねん)源義朝(みなもとのよしとも)と藤原信頼(ふじわらののぶより)等が、
平清盛(たいらのきよもり)が熊野詣(くまのもう)での留守中に。
 
後白河上皇(ごしらかわじょうこう)と二条(にじよう)天皇を御所(ごしょ)から連れ出し幽閉(ゆうへい)したのです、
熊野詣での途中に事件を知った清盛(きよもり)は京の六波羅邸(ろくはらてい)に戻り、
上皇(じょうこう)と天皇を救い出し。
 
源義朝(みなもとのよしとも)と長男の義平(よしひら)は平氏(へいし)軍に殺され、
1167年、清盛(きよもり)は最高職の太政大臣(だじょうだいじん)に就いたのです。
平治の乱(へいじのらん)
 
父の後白河法皇は信仰心が強くまた、二条(にじょう)天皇は父の院政(いんせい)には抵抗を続けていたのですが、
病に倒れ幼い我が子、2歳の順仁親王(のぶひとしんのう)を即位させたのです。
 永万元年(えいまんがんねん)7月28日(1165年9月5日 23歳で没
    香隆寺陵(こうりゅうじのみささぎ)
     京都市北区平野八丁柳町
 
 
 
 

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こちらのブログサイトも復活ですね。良かったですね。

讃岐に流され、その後、怨霊と化した祟徳上皇を祀る白峰陵は、今年、大河ドラマの影響もあって、今年は、他県からも、訪れる人が増えているそうですが、地元の氏神としても、ずっと、崇敬が冷めることはなかったようです。香川県の人のブログで、そのようなことが察しられる記事を見たことがあります。

平安時代と云えば、怨霊ですが、現代でも、やはり、恐いものだと思います。

2012/4/24(火) 午後 6:36 五節句


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