フラメンコなどつれづれ日記

フラメンコは、自分の限界を感じるところからはじまるものだとおもう。

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食べる

フラメンコの歌詞で食べるという行為をしているものはほとんどないようだ。(手もとにあるものだけだけど)たとえば、

 Corre y preguntale a un sabio
cual de los dos perdio
el que comio sus carnes
o el que publico su mal.

自分の肉を食べたものと自分の悪事を公にしたものと、どちらがより失ったか

という歌詞は、単純な食べるという行為に還元できない意味をもっているだろう。別の歌詞では、レモンをかじる行為と人生の苦渋を重ねて歌っている。食べ物が出てきても、お前の歯は、アロス・コン・レチェのよう、というたとえに使われる。

Aquel que tiene tres viñas
y el pueblo le quita dos
que se conforme con una
y le dè gracias a Dios.


 エンリケ・モレンテがマルティネーテで歌い、エンリケ・エレディアがカーニャで歌っている。

 三つのブドウ園の二つを盗まれても一つだけでも神様に感謝しろ、と歌う。

 単純に、集中した富にたいしての批判だと思った。でもそれならなぜブドウ園なんだろう?

 そういえばフラメンコでブドウが歌われることは意外に少ないかも。すこし探してみたけれどブドウが歌われているレトラは見つからなかった。なぜだろう?

 キリスト教的にはワインは重要な役割がある。そういえばワインが歌われているレトラも思いつかないな。
 つまり自由に好き勝手に、歌われているわけではない。自由にうたわれているようでも、フラメンコで歌われるレトラには、日本人にはわかり難い仕組みがあるはずだ。すこしそのことを考えてみよう。

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