フラメンコなどつれづれ日記

フラメンコは、自分の限界を感じるところからはじまるものだとおもう。

アート

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 カフカとならんでチェコを代表するカレル・チャペックに
『スペイン旅行記』という本がある。

 1929年ごろのスペイン。そういえば日記に書いた19
28年のセビージャのポストカードのイラストが描かれた時
期と近い。

 本書には、チャペック本人のイラストが多く使われていて
楽しい。上の三枚のイラストもチャペックが描いたフラメン
コ。

 内容は、フラメンコの用語解説をするようにわかりやすく
て詳しい。日本人が、これほどフラメンコを理解できるよう
になるには、あと数十年が必要だったことを思うと、一流の
小説家の観察力は、驚くばかりだ。

チベット

イメージ 1

 ホームパーティでお世話になったフラメンコのMさんの
旦那さん(イギリス人)のギャラリーに行きました。
 
 [禅フォトギヤラリー」の情報
 http://j-camera.net/blog.php?d=20091020174034

 ギャラリーには旦那さんご本人もいらして詳しいお話を
聞くことができました。

 
 いま展示されているのは中国の写真家によるチベット。

 これまであまり見た事がないはじめてのチベットがそこ
にありました。

 そこに写っているのは、100年前のイギリスの外交官
がみた「陽気な性格で、働きながら歌い、気さくで、放埓
で、快活」なチベット人と変わらないだろう。

 冬の極寒は凄まじく、建物と人しかないにもかかわらず、
彼らは素敵な笑顔をしている。

 社会は必ず生きるために必要以上の余剰が生まれる。ジ
ョルジュ・バタイユによれば、その余剰をいかに消費する
のかが、その社会の在り方を決定する。

 イスラム社会は戦争に、そしてチベットは宗教的なもの
に余剰を消費することを選択した。

 今回の写真展では、働く女性と僧侶が対比的に飾られて
いる。つまり生産と消費の在り方を明確にすることで、チ
ベット社会の日常が浮かびあがるようになっている。

 チベットは余剰を、生きるためではなく「瞑想生活に、
この世における感性的人間の自由な遊び」に使うことを社
会が選択したのである。

 うえの写真は、たぶん、王政時代の武技の技が、舞踊
の技として伝えられているのの練習風景だろう。

 ギャラリーは、渋谷の駅前なので、近くに行くような
ことがあれば、ぜひ。

ドレミを選んだ

 明治時代、日本に滞在していたイギリスの外交官の
アーネスト・サトウは『一外交官が見た明治維新』で、

 「音調の十中九までが調子はずれとおもえるような、
西洋の音曲とは全く異なった一連の音程からなる日本
の音楽にヨーロッパ人の耳をなれさせるには、よほど
長い年期を必要とするだろう」

 と書いている。

 私たちは、江戸時代の人ではなく、アーネスト・
サトウの立場にいる。

 私たちは「ドレミを選んだ」のだ。

 音楽が世界共通の何かでなりたっていると考える
のは、幻想である。

 だいたい五線譜で表現される音程のレベルは、限
定されている。

 それは、譜面が五線譜に統一されるまでの歴史を
みてもわかる。

 インド音楽では、インド独特の歌い方が五線譜で
は間に合わないので、譜面には独特の書き込みがな
されているところがあるという。


 あるギタリストが、マヌエル・アグヘータはとき
どき音程がはずれるんだよね、というのをきいて、
最初、彼がなにがいいたいのかわからなかった。ど
うやら音程を聞き分けられる自分の耳のことをいい
たかったらしいけど、むしろ、マヌエル・アグヘー
タの歌がギターの表現レベルを超えているというべ
きだろう。

「愛」と「性」

『「愛」と「性」の文化史』佐伯純子を読む。


 この日記を読む多くの人は春画をみることは、ないだろう。

 でも、江戸時代は、女性が春画を長持ちに入れると衣装がたまると信じられており、現代人が感じるより春画は、多様だった。

 なぜなのか?

 春画から現代人が感じるような「性」や「性欲」を江戸時代の人は、感じていなかった。というより、現代的な「性」や「性欲」という言葉はなかったのだ。

 その「春画」という単語も江戸時代では存在していなくて、「笑い絵」と呼ばれていたらしい。この「笑い」も現代的なものではなく、あくまでも交合のことである。

 では、なぜ交合が「笑い」と結びつくのか?

 日本の芸能は、神を笑わせ、また、歌垣の歌にみられるようなかけあいを通じて発達した。

 そこでは笑いとエロスが融合しており、交合も笑いも、どちらも神の力で幸いを得る宗教的なパワーがあると信じられていたのである。

 春画の生殖器が極端に大きいのも「ご神体」ととらえられたからだ。

 意外かもしれないが、春画で遊女が描かれることは、少ないという。それは、交合が豊穣祈願として使われるとき、出産を禁止されている遊女では、そのパワーが期待できないからだ。

 また、春画には、裸体画が少なく、むしろ装飾的な部分にエロティシズムを増すようにできている。それは、たんに性交をみて楽しむというより、「現世離脱欲」を満たすことを目的としているからだ。裸が美しいと感じるのは西洋画の発想である。

 春画の「笑い絵」としての呪術性は、文明開化からしだいに失われていき、伊藤晴雨の「責め絵」の笑いと結びつかないポルノグラフィーが出現するようになって制限されていく。

好きな仏像

 知り合いの日記で、写真の仏像の左手にもっているものは?という問題を調べるために仏像の見方の本を数冊借りてくる。

 修学旅行で奈良や京都のカッコイイ仏像を見てからファンだけど、それはSFに登場するキャラクターのイメージだった。

 すっかりいい大人になると、秋の夜長にながめる仏像をみて、こころのそこから癒される気がしてくる。

 何人かの人が薬壺ではないか?と指摘していたけれど、薬壺は薬師如来が持っているもので、どちらかといえば宝壺ではないだろうか。といっても、正直、あまりよくできていない仏像で、形がはっきりしないけれど。

 好きな仏像をあげておきます。ちょっとベタだけど。

 
 広降寺の弥勒菩薩半跏像

 興福寺の阿修羅像

 法隆寺の勢至菩薩(せいしぼさつ)

 観心寺の如意輪観音坐像

 薬師寺の日光菩薩、月光菩薩

 東大寺戒壇院の増長天、広目天、多聞天、持国天

 奈良・聖天堂の歓喜天立像


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