フラメンコなどつれづれ日記

フラメンコは、自分の限界を感じるところからはじまるものだとおもう。

フラメンコ

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もうすぐ新人公演。楽しみ。出場者のフラメンコを感じ、それをいかに言葉にするのかという課題があるので、自分の位置のようなものをそれなりに模索中。審査員ではないので技術的な細かいところまで集中するのではなく、基本は、どこまでここの奥までフラメンコを感じることが出来たか、というレベルを言葉にすることになるだろう。
 
 川本三郎さんが興味深いことをいっている。
 演劇批評について「批評家のほうが偉そうに、何か完成品というものがあって、それに比べて演出がこうだ、演技がこうだ、そういう批評はうんざりしたのね。採点主義というのは、ほんとに困ったものだね。おもしろい芝居というのは、読み手のほうが勝手に読んで、ふくらませちゃうじゃない。演出が考えてもいないようなことを、こっちが考えていく、そのおもしろさなのにさ」
 
 演劇をフラメンコに置きかえてみれば、たしかに、あたかも完成したフラメンコがあって、減点していくような批評は、ある。でも、そうか観客なんだから、どんどん妄想して楽しめばいいのか(笑 本当のフラメンコの楽しみは、演劇と違って、どちらかといえば観客として楽しむというより、参加者としての楽しみの方がよりおもしろいんだけどね。 

 グアヒーラ。人気のある曲。キューバを経てフラメンコに取り入れられた。では、そのキューバ音楽はどのような世界なのか?八木啓代・吉田憲司『キューバ音楽』をチェックしてみよう。

 キューバ音楽の物語は、18世紀のマリー・アントワネットからはじまる。ロココなヴェルサイユ宮殿にあきた彼女は、郊外に田舎風の宮殿をつくり、農婦の格好をし乳搾りのまねをして楽しんだ。彼女の影響でフランスの貴族たちもまねる。この田舎風のモデルは、イギリスにあった。そのときカントリー・ダンスも取り入れた。その英語をフランス語に訳さず、英語をフランス語読みして「コントルダンス」と呼ばれ一世を風靡した。ショパンもそのスタイルを真似て何曲も舞曲を書いているらしい。当時のフランスは世界中に植民地を持っていた。当然ハイチなどでも流行。そこにフランス革命がおこる。フランス革命の精神は黒人達の解放を促進し、革命がおこる。その激戦を逃げるようにして難民達はスペイン領のキューバにやってくる。こうして「黒い肌のフランス人」たちがフランス文化をキューバにもたらす。そしてキューバは、憧れとともに彼らを取り入れる。なるほど、激しい黒人の踊りなのに、なぜかフリルとリボンでいっぱいの衣装で踊るのは、ここに起源があったのか。かくして「コントルダンス」がキューバで流行する。

 しばらくしてキューバのコントルダンスはダンサと呼ばれる舞曲に変化する。ダンサはスペイン語で踊りのこと。この音楽はダンサ・アバネーラ(ハバナ風舞曲)つまり、ハバネラのこと。このハバネラは、ヨーロッパでも大流行。ツゴイネルワイゼンのサラサーテやスペインのアルベニスらもこのスタイルで曲を書いている。ビゼーの『カルメン』は、個人の書いたハバネラの盗作らしい。またハバネラはアルゼンチンにわたり、タンゴが生まれる。ビゼーの「カルメン」がパリで初演されたとき「ハバナ風タンゴ」と呼ばれた。このあとも複雑な音楽の流れがあるけれど、省略。簡単にいってキューバ音楽は、黒人起源でもあり白人起源でもあり、それらが混ざり合って出来上がったということだ。

 で、グアヒーラは、そんな複雑なキューバの音楽に影響をうけてスペインにやってきた。細かくは濱田さんの『フラメンコの歴史』を参照。グアヒーラは、カフェ・カンタンテの時代に有名な歌い手によって広められていく。

 mulata(ムラータ)混血の女性には驚くほどの美女が登場することがある。グアヒーラもそんな美女のイメージ。

 池川寿一フラメンコ・ギター教室の発表会にいってきました。一年に四回発表会があるという。出来上がったものをすぐに本番にのせることで、いっそうのテクニックの身体化を目的にしているようだ。いろいろなレッスンのパターがあるけれど、本番に勝るレッスンはないだろう。もちろんリスクもあって、本番の失敗をいかに処理できるかという精神的なレベルもある。この精神的なレベルを先生から弟子に教えるのが一番難しそうだ。がんばって練習すれば身につくものではないのだから。他の教室を知らないけれど、女性のギターさんが多いのが目につく。フラメンコの楽しさを感じつつテクニックを身につける。そんなわがままなレッスンを可能にしているのは池川さんの人徳なのだろう。

 今年の新人公演に出るという方のブレリア。ニーニョ・リカルドが、一番大切なフラメンコ・ギタリストの心得を聞かれて「ガッツから弾くことさ」と答えたらしいけれど、そのことをいきなり思い浮かべました。オリジナルのブレリア。新人公演では楽しみにしています。

 で、最後は教室のギターさん全員でのセビジャーナス。飛び入りで躍らせていただきました♪音にあふれた温泉に入ったような心地よさ。シギリージャを踊った美女と今週は立て続けに二つのライブをこなしたゲームマニア?のマリポさん。終わってから、踊り、よかったです♪と声をかけられました(笑 普通の発表会ではありえないよな(笑

 建築史家の井上章一によれば、桂離宮に、磯崎新はマニエリスムに通じる美を見、黒川紀章はバロックの精神を感じ、丹下健三は、桂離宮に、縄文と弥生が、創造的世界で統一されていると考える。建築について知るつくした三人ですら、結局は桂離宮を通して自分自身を語っているようなものになっている。個人だけでなく、時代の精神も同じで、桂離宮は、二十世紀初頭までは、手のこんだトリッキーな意匠が特徴だと考えられていたが、1930年代当たりから、簡素な日本美があり、わび、さびににも通じると言われるようになった。それが1960年代に入って、最初にあげた三人のように、以前のトリッキーだという視点に近づいていく。

 評価は、個人や時代によって変化する。まして現在も生きているフラメンコの評価となると様々だろうけれど、結局は、フラメンコを通して自分自身のことを語っているわけだ。そしてそれは自分自身のフラメンコの環境に大きく影響を受けている。というか棲み分けていく。個人的なレベルでは、フラメンコラジオで、様々なフラメンコを聴くことで、自分自身のフラメンコの考えを相対化していった。マニアになる必要はないけど、すぐにフラメンコとは○○だと結論を出す前に、もっとフラメンコを聴けばいいのに、とあらためて思う。

 スペイン建築。イスラム建築の細かい装飾。たとえばサマランカ大学の正面は、建築の構造と関係なく精緻な浮き彫りによって壁が覆われている。基本的な構造に細かい飾りつけは、フラメンコの歌にも共通するだろう。譜面に出来ないような細かい音。そう考えると、ギターのラスゲアードも、ある意味、細かい飾り付けのように聴こえる。ロシオ・モリーナの細かい動きについて日記に書いたけれど、彼女の細かい振り付けは、スペイン建築的な美的な構造をふくんでいる気がする。建築という三次元の空間表現を四次元の時間的表現への変換ともいえるだろうか。建築という古い構造が、踊りにおいて新しい構造を獲得ようだ。


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