フラメンコなどつれづれ日記

フラメンコは、自分の限界を感じるところからはじまるものだとおもう。

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茶の本

 はじめてこの本を手にしたときのどきどきした感覚が
思い出される。

 本文は、わずか70ページにもみたない。

 題名も簡潔に「茶の本」。


 作者は、岡倉天心。

 

 たぶん手もとにある本は三冊目だとおもう。

 
 薄い本なので、気がついたら無くしてしまっているの
だ(笑)


 最後に読んだのはいつだっただろうか、それなりに
「読めた」と考えていた。


 でも、あらためて読んでみて、肝心なことを読めてい
ないことに気がついた。


 たとえてみてば、あそこの柱がある。そこの屋根があ
る。ここに入り口がある、ということを確認しただけだ
った。

 しかし大切なのは、それらによって生まれる「何もな
い空間」なのだ。

 「何もない」ことによる存在感。

 では、「何もない」ことでなにが生まれるのか?

 それは、その場所を共有しているものたちの想像力で
ある。

 
 茶室は、その想像力が加わって完成されるのである。


 これらは日本の美術や音楽にも共通するところだ。

 水墨画の空白や音の「間」を想像してほしい。

 高野秀行の「神に頼って走れ!」集英社を読んでいたとき、
家の近くをいしやきいも屋さんが通っていることはなんとな
く気がついていた。

 そして本のページをめくって軽いめまいが。

 そこには、


 
 窓を全開にして裸で団扇をぱたぱたあおいでいたら、窓の外
から「いしや〜きいも、やきたて〜」という音声が。


 という文章でした


 家の外の「いしや〜きいも、」という音が。

 本の中の「いしや〜きいも、」という文字とシンクロしま
した。


 これはなにか宇宙からのメッセージ?(笑)

幸田露伴に学ぶ

 幸田露伴の娘の幸田文は、掃除のしかただけでなく、おしろいのつけかた、豆腐の切りかた、障子の張り方や借金の挨拶も恋の出入など、母親から教えられることは、すべて父の露伴から習ったという。

 掃除は、まずその道具の工夫からはじまり、ごみは上から落ちるから天井のすすの掃除からはじまる。

 それをぱたぱたとやっていたら、怒られる。掃除に限らずすべての動作からでる「嫌な音」なくさなければいけないという。

 
 ではその露伴の掃除の腕前は、どうなのか?

 箒の持ちよう、使いよう、畳の目・縁・動作の遅速、息つくひまもない細かさだったらしい。

 雑巾がけにしても、幸田文が芝居を見るようになってから、あのときの父の動作の印象は、舞台の人と同じだということに気がついたという。

 
 掃除に限らず、こうした身のこなしの折り目のような決まりごとは、日本人がなくしたもののひとつだろう。

 
 たぶん日本舞踊も、もともとはそんな日本人がもっていた身体能力の上に成り立っているはずである。

 フラメンコなど民族舞踊は、文化として決まった身体の動きを知らないと、技術だけ身につけようとしても、どこか違うものになるはずである。

誕生の災厄

 ルーマニアの思想家シオランを調べなおしていて、その「誕生の災厄」を読み返している。

 すべては生まれてきたことにはじまる。

 シオランは、誕生を災厄であるという。

 われわれは誕生という災害の生存者であるというのだ。

 
 たまたま知り合いのお医者さん=フラメンコダンサーの方の日記のタイトルが「死亡率100%」というものを書かれている。

 つまり生まれたからには、その死亡率は100%だというもの。

 お医者さんがいうと、また違うレベルの問題も浮かんでくるけれど。


 そういえば、糸井重里がずいぶんとむかしに、ヒトは例外なく死という病気にかかっている、といっていたことが、つねに頭にあった。


 
「誕生の災厄」の第一章は、つぎの文章でしめられている。



 生まれないこと、それを考えただけで、なんという幸福、なんという自由、なんという広やかな空間に恵まれることか!

イカの哲学

 イカの目は、人と同じくらい高性能らしい。

 イカがこれほどの高性能な目から得られた情報をどうしているのかわかっていない。

 だから、中沢新一は、「イカという生物は自分のためにではなく、自分を包み込んでいる、自分よりも大きな存在のために、地球の観察を続けているバイオカメラなのだ」と考えたりする。

 地球上の様々な種は、最終的には、ひとつの種だということができる。

 つまり地球上においては、孤立した種は存在せず、すべては大きなネットワークの中で働いているということ。

 その意味で、ヒトの脳が処理するデータもその一部なのである。

 その知性と生命。中沢新一は、その地球生命のつながりを保とうとすることを「イカ的」と呼ぼうではないか、という。

 この発想は波多野一郎の「イカの哲学」から得たものだ。


 波多野は、アメリカで大学のころ、大量のイカをあつかうアルバイトをしながら、もしイカが話せたら、イカとコミュニケーションが取れたらどうなるだろう、という発想から、他者としての文化を実存的に感じられるようになれば、そこから世界平和の鍵があるのではないか、と考える。

 中沢新一・波多野一郎「イカの哲学」集英社新書は、なんとも不思議な本だ。


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