フラメンコなどつれづれ日記

フラメンコは、自分の限界を感じるところからはじまるものだとおもう。

色々

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 いよいよ明日から3日間、中野のゼロホールでフラメンコの新人公演があります。3日ともいきます。見かけたら気軽に声をかけてください。このブログにも写真がありますが、身長182センチ。体重72キロ。眼鏡。短いヒゲって感じのやつです。女性のお客さんが多いので、間違う可能性は少ないと思います(笑

 科学者で俳人の寺田寅彦はおもしろい。「天災は忘れた頃にやってくる」で知られている。
 昭和十年の随筆には、大津波がくるとひと息に洗い去られて生命財産とともに泥水の底に埋められるに決まっている場所で繁華な市街地が発達して何十万人の集団が利権の闘争に夢中になる。いつ来るかわからない津波の心配より金儲けの方が現実的だからだろう、と書いている。この部分を3・11以前に読んでもそれほど注目することはなかっただろう。さすがに寺田寅彦の視線は鋭い。ほかの随筆もいま読んでもおもしろい。肝心なのは、知識ではなく、問題を解くプロセスにあることがわかる。災難をなくすことはできない。われわらは災難によって養い育まれてきたということを自覚すること。それは個人的な人生にもいえることなのかもしれない。

サッカー。ラテン世界では相手の微妙な心理的な隙を見つけて騙す技術は、民俗学的な特徴ではないか、という話。失念したけれど、ポルトガル語として知られるその技術はしっかりとサッカーファンの間では有名らしい。試合が相手のリズムになっているとき、わざと違反をする。たとえば選手が倒れたとき、医者が直接そこにむかうことは出来ないけれど、わざと入り込んで、審判から注意を受ける。当然の時間稼ぎである。そこでリズムをつかんでいた相手はイライラしてしまう。そのわざだということは、どちらもわかっている。騙し騙されるのがラテン的なサッカー。

 日本の戦国時代。堂々と名乗りを上げて戦うことを美徳と教えられた日本人には、その行為を理解できない。いや、頭ではわかっていてもうまく対応できない。相手を騙すことはある意味ラテン社会の国技なのである。

 サッカーファンとそんな話で盛りあがった。

 ふと思ったけれど、ラテン社会の恋も、いかに相手を騙すのかというテクニックが重要にちがいない。

 車のタイヤを盗む。車の持ち主が途方にくれているときに、その盗んだタイヤをうまくその相手に売りつける。盗んだものはお金を手に入れ、盗まれたものは、運よく無事走ることが出来て喜ぶ。このどちらもハッピーになる、明るい騙しがラテン的なのかもしれない。

 小熊英二『1968』学生運動の背景と細部にわたって探る。上下で2千ページ以上ある。結論的にいえば、なんだかよくわからない動機やエネルギーで若者たちが激しく動いた時代。歴史的にはベトナム戦争に間接的に巻き込まれていた時代。何かをしなければ、という意識があった。それが学費の値上げ反対などがきっかけになって具体的な行動としてあらわれる。

 で、中大もそれらの闘争の影響をうける。たとえば1968年の中大のフラメンコ研究会でも、実力行使をやることを決定して十数人の部員のうち七名が闘争に参加する。

 ところで1968年の日本のフラメンコはどんな状況だったのだろう。ギターを通してのフラメンコ研究が中心だったのだろうか?小島章司がスペインに修行に行ったのが1966年らしいから、踊りにたいしての関心もすでに強かったのか。アントニオ・ガデスが初来日したのが1960年。一方で、パセオはないし、まだ日本人の本格的な歌い手もいないような状態。

 Antonio MairenaのNoches de la Almedaが出るのが1963年か。スペインのフランコ政権は、イタリアやドイツから援助を受けていたことから世界から孤立していたけれど、1953年にアメリカから軍事援助を得るようになると観光資源などで国際収支が黒字に転じるようになった。まさにここでも経済的な背景がフラメンコの世界が活発的になるキッカケがあったことを想像できる。

狂気と表現

米長邦雄は、将棋を意識的に強くなれるのはアマチュア四段までだという。これはプロ的には級のレベルだ。プロの戦いはここが最低ライン。羽生 善治は、プロの世界はあるレベルを越えると狂気の世界に触れるという。

 狂気の世界。これはどの世界でもありえるリスクではないだろうか?精神が支えきれないレベル。人間の無意識は、意識にとって狂気のレベルでありえる。いかにその世界を制御して意識できるのか?サヴァン症候群は、日常的には知的障害がありながら突出した能力が現れることをいう。ここに意識的な練習や試行錯誤はない。

 狂気を制御する力。それを伝統的な社会はつねにその抑止力になってきた気がする。グレゴリー・ベイトソンは、統合失調症(精神分裂病)の分析において、クラスとメンバーのレベルの混同にあるという。表現者個人というメンバーのレベルと社会というクラスが必要とするレベルの違い。

 これ以上行くと狂気に接する予感。身体的には身体が破壊するかもしれないという予感。その予感を乗り越えて表現しようという力。これは身体的な、精神的な欠損が原動力になっているとおもう。


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