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行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ 三月末。過ぎ去ろうとしている春を惜しんでいるのは、人間ばかりではないよ。長い旅に出る私にとっては、鳥が悲しそうに鳴き、魚まで涙を流しているように思える。 元禄2年(1689)3月27日、芭蕉は千住で見送りの人々と別れ、草加を経て、粕壁(現埼玉県春日部市)で宿泊している。別れに当って「前途三千里」の不安と惜別が去来した。長旅にはもはや慣れ尽くした芭蕉ではあったが、今回は健康のこと、方角が初の東北であったことなど、不安材料は多かった。 The end of March. It is not only a human being that regret the spring when I am going to pass. For me who go for a long trip, a bird calls sadly and seems to shed tears to a fish. Basho parts from people of a seeing off (1689) in Senju on March 27 for Genroku era two years and, via Soka, stays in Kasukabe (existing Kasukabe-shi, Saitama). Uneasiness and unwilling part of "3,000 future villages" came and went on parting. It was the Basho who finished being already used to a long journey, but it was health this time, and there were many a direction having been first Tohoku uneasy materials. いっしょに学習していきましょう。 いつもご覧いただきまして、ありがとうございます。☆教秀☆ For that you have always seen my VTR, thanks. ☆Kyoushhu☆ |
『奥の細道』
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草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家 くさのとも すみかわるよぞ ひなのいえ わたしが住んでいた頃は、わびしい草庵だった。新しい住人には、妻も女の子もいるという。おりから、ひな祭りのころでもあり、きっとかわいい人形を飾ったにぎわいのある家になることだろう。(わたしは旅に出てしまうが・・・) 松尾芭蕉は、門人の河合曽良とともに江戸深川の芭蕉庵から奥州へ旅立ったのが、1689年3月27日(現在の暦で5月16日)、芭蕉46歳の春のことだった。 行程2400kmの旅立ちであり、約5ヶ月間の旅のはじまりである。 When I lived, it was a dreary thatched hut. It is said that there are both a wife and a girl to a new resident. It will be to become a house with the turnout who surely displayed a dear doll in the days of the Doll's Festival from an occasion. (I go for a trip, but it is ...) It was about (a calendar, May 16), spring of Basho 46 years old on March 27, 1689 that Basho Matsuo left from a Basho hermitage of Edo Fukagawa for Oshu with Sora Kawai of a pupil. It is the departure of trip 2,400km, and it is an opening of a trip of about 5 months.
いっしょに学習していきましょう。 いつもご覧いただきまして、ありがとうございます。☆教秀☆ For that you have always seen my VTR, thanks. ☆Kyoushhu☆ http://youtu.be/DSVtZ30f88E |
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※ ただいま、工事中のため、こちらのページへ、ご移動ください。 遊行柳 元禄二年四月二十日 又、清水(しみず)ながるるの柳は、蘆野(あしの)の里にありて、田の畔(くろ)にのこる。此(この)所の郡守(ぐんしゅ)戸部某(こほうなにがし)の、此(この)柳みせばやなど、折((おり)おりにの給い聞え給うを、いづくのほどにやと思いしを、今日(きょう)此(この)柳のかげにこそ立ちより侍(はべり)つれ。 田(た)一枚(いちまい)植(うえ)て立(たち)去る柳(やなぎ)かな 白河の関 元禄二年四月二十一日 心許(こころもと)なき日かず重(かさな)るままに、白河の関(しらかわのせき)にかかりて旅心(たびごころ)定(さだま)りぬ。いかで都へと便(たより)求(もとめ)しも段(ことわり)也。中にも此(この)関は三関(さんかん)の一(いつ)にして、風騒(ふうそう)の人心をとどむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤(おもかげ)にして、青葉の梢(こずえ)猶(なお)あわれなり。卯(う)の花の白妙(しろたえ)に、茨(いばら)の花の咲きそいて、雪にもこゆる心地(ここち)ぞする。古人(こじん)冠(かんむり)を正(ただ)し衣裳(いしょう)を改(あらため)し事など、清輔(きよすけ)の筆にとどめ置かれしとぞ。 卯(う)の花(はな)をかざしに関(せき)の晴着(はれぎ)哉(かな) 曾良 |
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(教秀朗読) 殺生石 元禄二年四月十九日 是より殺生石(さつしょうせき)に行(いく)。館代(かんだい)より馬にて送らる。此(この)口付(くちつき)の男(おのこ)短冊(たんざく)得させよと乞(こう)。やさしき事を望(のぞみ)侍(はべ)るものかなと 野(の)を横(よこ)に馬(うま)引(ひ)きむけよ ほととぎす 殺生石は温泉(いでゆ)の出(いづ)る山陰(やまかげ)にあり。石の毒気(どくけ)いまだほろびず、蜂(はち)蝶(ちょう)のたぐい、真砂(まさご)の色の見えぬほどかさなり死す。 |
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(教秀朗読) 雲岸寺、仏頂和尚山居跡 元禄二年四月五日 当国雲岸寺(うんがんじ)のおくに、仏頂和尚山居跡(ぶつちょうおしょうさんきょのあと)あり。 竪横(たてよこ)の五尺にたらぬ草の庵(いお) むすぶもくやし雨なかりせば と、松の炭(すみ)して岩に書付(かきつけ)侍(はべ)りと、いつぞや聞え給う。其(その)跡見んと雲岸寺に杖(つえ)を曳(ひけ)ば、人々すすんで共にいざない、若き人おおく道のほど打ちさわぎて、おぼえず彼麓(かのふもと)に到(いた)る。山はおくあるけしきにて、谷道遥(たにみちはるか)に松杉(まつすぎ)黒く苔(こけ)しただりて、卯月(うづき)の天(てん)今猶(いまなお)寒し。十景尽(つく)る所、橋をわたって山門に入(いる)。 さて、かの跡はいずくのほどにやと、後(うしろ)の山によじのぼれば、石上(せきじょう)の小庵(しょうあん)岩窟(がんくつ)にむすびかけたり。妙禅師(みょうぜんじ)の死関(しかん)、法雲法師(ほううんほうし)の石室(せきしつ)を見るがごとし。 木啄(きつつき)も庵(いお)はやぶらす夏木立(なつこだち) と、とりあえぬ一句を柱に残侍(のこしはべり)し。 |







