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自由民権運動と現代(2)
松沢祐作『自由民権運動』(岩波新書)読後感の補足です。著者は文末でつぎのように述べています。著者は近年の多様な市民運動の発展について「運動の季節」としながらも同時につぎのように記しています。
「運動のなかには、運動内部でしか通用しない論理を振りかざし、運動内部と外部を切断してしまうような言辞を吐く人々がいるように思われた。本来、そうした運動にシンパシーをもっていてもいいような人々を遠ざけ、むしろ運動の潜勢力を失わせているように見えた。そうした現在進行中の運動のあり方が、自由民権運動の敗走の過程と重なって見えなかった、といえば嘘になる」。
私も市民の一人として多様な市民運動の発展を応援したいと思い、各種集会に時々参加するようにしていますが、今後も応援したいと思えるような快い催しもあれば、「内部と外部を切断するような言辞を吐く人々」を目にすることも少なくありません。このような人々は、民主主義とは個々人の多様な意見に耳を傾けることから始まるという基本的な視点が不足しているように感じます。
本書には「戦後デモクラシーの敗走の過程」について再考する貴重な視点が含まれていると考えます。
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無題
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松沢祐作『自由民権運動<デモクラシー>の夢と挫折』(岩波新書、2018)の読後感。
明治維新から150年。日本近現代史を俯瞰するうえで「自由民権運動」の実像と遺産を知ることは「明治維新とは何だったのか?」を考えるうえで不可欠でしょう。同書はその全体像を知り、またその「歴史遺産」の意味を考えるうえで優れた視点を提供してくれる好著と思います。
著者は同運動を「戊辰戦後デモクラシー」と特徴づけています。この視点は、近代日本の「デモクラシー」運動が大きな戦争の後に生まれていることに注目した優れた政治史学者である、三谷太一郎氏によるものです。日露戦争、第一次世界大戦の後の「大正デモクラシー」、第二次大戦後の「戦後デモクラシー」がそうです。同書は運動の形成期から後半の「激化事件」による暴力的運動の実相、運動の終焉まで丁寧に描かれ、運動の全体像を理解するうえで大変有意義でした。著者は文末でつぎのように述べています。「自由民権運動は、すでに終わった過去の歴史的出来事である。そのことを踏まえたうえで、それでもなお運動が追及した課題のなかに、今日なお終わっていないものがあるとするならば、それは安楽な暮らしを待ち望み、その意味での「憲法」を待ち続けた秋田の一農民の夢なのではないだろうか」。自由民権運動のなかで多くの「私擬憲法」つまり「マイ憲法」が作られたことは、新井勝紘『五日市憲法』(岩波新書)に詳しく述べられていますが、「憲法」と「私」との近さを両書から実感しました。
「私の夢」と「憲法」との距離は?と自問自答すると「近からず、遠からず」です。その間に魑魅魍魎の奇怪、醜悪な「忖度」族が繁殖していることもその一因です。私たちのささやかな「夢」も忖度族によるルール無視の「悪質タックル」によって壊されていると感じます。
両書および三谷氏の『日本の近代とは何であったかー問題史的考察』(同)で著者が伝えたかったことを「忖度」せずに熟考するつもりです。
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映画の冒頭にギリシャ悲劇の代表的作家アイスキュロスの言葉「戦争の最初の犠牲者は真実である」が出てくる。この秀作のメッセージはこの言葉に尽きるといってよいだろう。国家による「正義の戦争」の定義が真実に反するどころか真実そのものをいかに蹂躙したうえで成立しているかを、名優たちの抑えた演技によって見事に映像化している。
ハイテクの結晶ともいうべきドローン兵器の不気味さがそれを増幅している。ドローンはそれが「平和利用」されれば、災害救援など多様な分野で活用できる技術であり、各分野で実験が行われていることは周知のことである。ハイテクによって「正義の戦争」のステレオタイプ化がますます進行していくであろう。ステレオタイプは時間も空間も「凍結」し、現実と虚構の境界を消去してしまう。国家的仕掛けとしてのステレオタイプ化の不気味さを、この作品は雄弁に示してくれる。アイスキュロスが描いたギリシャ悲劇の世界はけっして過去のものではない。
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気鋭の論客であった清水慎三さんが他界して20年になる(1913-1996)。私は同氏の『日本の社会民主主義』(岩波新書、1961)や編著『統一戦線論』(青木書店、1968)は鋭利な問題提起の書であり、半世紀前の著書であるが、今読み返しても同氏の鋭敏なセンスに感銘を受ける書である。同氏が存命であれば、最近の我が国の社会・政治動向をどのようにとらえていたであろうか?という思いを込めて随想を『現代の理論』デジタル版、第9号(2016・8)に寄稿した。関心のある方は同誌HPをご覧いただきたい。 http://gendainoriron.jp/ (2016・8・8)
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ノーマ・フィールド『小林多喜二−21世紀にどう読むか』(岩波新書 09年)を読んで |



