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1977年12月6日
読売巨人軍王貞治がハンクアーロンの記録を抜いて756号世界記録を達成した年
私と同級の(歳が同じ)スティーブジョブスがアップル1号機発表した年
土木工学
4年間専門知識学んできました。卒論は発電工学の君島教授の
外研で東京電力千葉我孫子の電源開発研究所
「内燃力火力発電所とその周辺における振動特性」卒論テーマ当時の宮城沖地震の
実際の波形を主任研究員の元お手伝いしながら勉強していました。
就職は土工事日本一日本国土開発に入社しました。
中央高速道路 山梨県双葉工区でした。
日本道路公団の発注なので毎日公団の職員がきて、法面検査、転圧、土質、測量
検査、検査の毎日でした。
ただでさえ甲府盆地は暑いのに、両側法面、毎日200台のダンプ 20台の重機 土ぼこり、でこぼこ道
10分も現場に立っていたら、頭がくらくらして、林の中に何度も逃げていました。
今の若い人でしたら3分で全員熱中症になっています。断言できます。
朝5時起き、夜中12時まで仕事、月一日の休み、お金をつかう暇がありませんでした。
初任給は同期で市役所に勤務していた小林が7万円で私が20万でしたからはたから見たら、
うらやましいかもしれませんが、正規の仕事時間より残業時間の方が多いのですから当然です。
今でしたら、超ブラック企業、即日営業停止でしょう。
A工区 転石発生状況 写真1
次の現場は千葉県成田空港A滑走路保安施設用道路でした。本滑走路は既に出来上がっていて、
毎日真上をひっきりなしに航空機が飛んで行くすごい現場でした。
所長は成田紛争の中現場で指揮をとった柳井という人で、ひと山はなれた所
から手を振って「おーい小野」急いで行くと、「タバコくれ」軍隊生活そのもでした。
顔は日焼けでヘルメットのひもの線がくっきりとわかる
空港公団発注の鹿島建設とのJVでした。
土木の現場は大手ともなれば下請け、下請け、孫請けまで上から数えたら10社
ぐらい入っていて、末端にいわゆる土方がピンハネ、ピンハネされても儲かる
構造になっています。
現場に鹿島の社長視察にきたらじゅうたん、副社長でしたら山砂を敷いておでむかえします。
盆、正月は現場所長ともなれば下請けからのお歳暮
机の中に100万円札の束が当たり前のようにおいています。
新卒の現場監督でも下請けから毎晩キャバレーや飲みの接待誘いがあります。
いまの時代こんな事したら即日賄賂逮捕でしょう。あとから考えたらたいがいの事はゆるされる
良き時代でした。
あれから38年
2018年7月7日午前0時30分 高梁川支流小田川堤防決壊
2018年7/7朝10時twitterのタイムライン見たら次次に衝撃的な写真が目に入ってきました。
中でも衝撃的だったのが、交通標識の自分の住んでいる船穂の標識を見た時でした。
専門家ですので、標識設置基準知っていたので一瞬にしてどこが、どれくらいの浸水深さか理解できました。
(車道部から5.0mを標準とし、少なくとも4.7m以上)
まさか自分の住んでいる所が!
それもそのはず「関東脱出本気で移住マニュアル イーストプレス」の本の中では、安全で暮らしやすい
町の条件とはなんだろう地震津波自然災害からもっとも縁遠い地域、放射能リスクもなく、全国一に紹介
されていたからです。2位奈良県3位沖縄県台風だけガマン
また明治26年10月高梁川他堤防決壊 船穂村(現在倉敷市船穂町)7名死亡、岡山県423名死亡いらい堤防が強化され
以後125年間大きな水災害はなかったからです。船穂町誌P359
その証拠に私の家の周りは2〜3年前からどんどん新築の家が建ち、本年は昨年までは裏の田んぼだった所に新築のアパート
家が何と50軒も建てられているからです。倉敷美観地区にある井上邸(国の重要文化財10億支援)と並んで江戸初期に建てられた我が家は回り
をとり囲むように新築の家に包囲されてしまいました。外から見たら異様な光景です。部落の人数より外部からの人数の方が多くなったのですから
100年に一度どころか200年に一度もないと本気で信じていました。
全国一安全な県はれの国岡山県安全神話が崩壊した一日でした。洪水で死亡するなどおとぎ話でした。
写真2 7/7午前9時朝日取材班へりから撮影した船穂町道路標識
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