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つつじが岡公園の新公園といわれている場所です。
昭和5年に完成しました。 キリシマツツジの群落があります。 新公園の道路を挟んで池があります。 池とつつじを撮ってみました。 水辺があると花は生き返るようにも感じます。 満開のキリシマツツジです。 これでもかというくらい咲き誇っています。 ただもう参りましたと謝るばかりです。 今回の栃木の旅は朝早くおきて 足利フラワーパークで藤をみて、足利市内に寄り、 群馬県の大田で芝桜をみて、帰りに館林のつつじに 寄りました。 館林の近くにも芝桜の咲いている場所があります。 足利フラワーパークの隣には栗田美術館という伊万里焼のたくさんある 美術館もあります。 佐野ラーメンを食べるというプランもいいと思います。 足利は本当にすばらしい町でした。 |
栃木県
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館林つつじが岡公園のつつじです。 ちょうど入り口のつつじ山になっているような場所です。
いろいろな種類のつつじが咲いています。 しばらくつつじ園の中を歩いていくと このようにつつじのトンネルになってます。 つつじの木は人の背丈よりもだいぶ大きいです。 上から見たほうがつつじは良く見えます。 3種類のつつじです。 3つとも写るように撮ってみました。 ひとつひとつの木が大きいので少し離れて撮りました。 |
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大田の芝桜を見て、帰りの高速道路が混む前に 帰ろうと帰途につきました。 ところが、まっすぐ帰れない性格なのか、 栃木県まで戻ったところで、館林にも寄ることにしました。 大田でつつじが満開だったので、館林も満開かなっと ふと思いついたのです。 大田から車で40分で着きました。 入り口で入場料500円を払います。 つつじが岡公園は園内に50品種、約1万株のツツジがあり、樹齢800年を超える ヤマツツジや高さ5メートルを超える古木などもあり、日本一のつつじの名園と 呼ばれています。昭和9年に国の名勝となりました。 公園の起源は徳川家康の勇将、館林城主榊原康政が寵愛した側室のお辻が正室の 妬みを買い、城沼に入水して果てた。その側室の名前にちなんだつつじを植え、 霊を弔ったのが始まりといわれています。 ちょっと疑問です。800年を超えるつつじの古木があるので、 戦国時代より前にはつつじがあったということですよね。 鎌倉時代にはつつじが植わっていたことになります。 入り口を入ってすぐに大きなつつじがありました。
全体として満開のピークは過ぎていました。 4月の終わりくらいが満開だったようです。 それでも1万株のつつじがあるので、十分に見ることが出来ます。 公園を一周するのに1時間くらい。のんびりと歩いていきます。 面白いつつじの花がありました。 これもつつじ?って思いますが、○○○つつじと書いてあったので つつじだと思われます。 何つつじだったか名前は忘れてしまいました。 |
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足利学校の敷地内には図書館があります。 建物は大正4年に建てられ、和洋折衷様式の特徴をもつ建物です。 足利学校の重要な書物が収められています。 漆喰の白との色のコントラストがなかなか良く、 シックで高貴な印象を与えています。 この図書館は、蔵書3万2千冊で、古書1万7千冊、郷土資料5千冊、その他一般参考図書1万冊からなっています。 古書としては、貴重な宋版(南宋時代の刊本)や室町時代の写本があり、 77冊が国宝、98冊が重要文化財に指定されています。 建物の中に入ってみましたが、天井が高く、静かで落ち着いた気分になります。
たくさんの資料が展示されており、ゆっくりと見ることが出来ます。 足利学校の敷地の裏のほうには、元代官である茂木家累代のお墓がありました。 先人の努力や苦労があって、こうして現代にまで足利学校が大切にされているのがわかりました。 |
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昨日の孔子廟の建物の中に孔子像が収められています
中は明かりがなく暗かったのですが、 なんとなくみえるでしょうか? 木造の小さな像でした。 字降松(かなふりまつ)という松です。 天文年間、読めない字や意味のわからないことばなどを紙に書いて 松の枝に結んでおくと、翌日にはふりがなや注釈などがついていたことから 学徒だけでなく、近所の人も利用するようになり、「かなふり松」と 呼ばれるようになりました。 こういう指導法もあるのですね。 孔子廟の横には足利学校跡の復元された建物が建っています。 足利学校跡は昭和57年に発掘調査が始まり、昭和63年から建物復元工事が開始され、 平成2年に完成しました。 建物は江戸中期の姿に復元されました。 藁葺屋根のきれいな建物です。 中は資料館になっています。 |




