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【スプラトリー小史 (2) …日本軍の占領と撤退】
第二次大戦中が近づくと、南シナ海は日本と東南アジアの重要連絡線であるとの観点から、1939年に日本はパラセル諸島とともにスプラトリー諸島を占領して南方進出に備えた。
1951年にサンフランシスコ平和条約が結ばれ、日本はパラセル諸島とともにスプラトリー諸島を正式に放棄した。サンフランシスコ講和会議には、台湾の中華民国も、中国本土の中華人民共和国のいずれも招かれず、1952年に日本と中華民国(台湾)は個別に平和条約を結んだが、この際もスプラトリー諸島・パラセル諸島の帰属に関しては言及されなかった。
【スプラトリー小史 (3) …南ベトナムのコミット】
1954年のジュネーブ協定後、ベトナムは17度線を境に南北に分断され、北ベトナムと南ベトナムが分立した。ベトナムの南北分断は1954年から 1975年まで約20年間続くが、この時期にパラセル諸島・スプラトリー諸島の領有を積極的に主張したのは南ベトナムであった。
とりわけスプラトリー諸島は北ベトナムからはまったく離れた海域であって、もっぱら南ベトナムがこの問題にかかわった。1956年、南ベトナムは自国の領有を示す石柱をスプラトリー諸島に建てはじめ、その後も引き続いて各島に石柱を建てている。
【スプラトリー小史 (4) …複雑な多国間問題へ】
パラセル諸島に比べて、スプラトリー諸島がさらに複雑な多国間問題であるのは、フィリピンとマレーシア、さらにはブルネイまでが問題に加わっているからである。早くも1949年に、フィリピンはスプラトリー諸島の領有を宣言し、1970年代はじめから80年代にかけて、実効支配する島の数をしだいに拡大していった。
フィリピンからみれば、少なくともスプラトリー諸島の一部は、自国のパラワン島の沖ともいえる位置にあり、遠方のベトナムや中国がこれをめぐって領有を主張することに不条理を感じたとしても不思議ではない。フィリピンは 16世紀以降400年近くにわたってスペインつづいてアメリカの植民地支配下にあり、スプラトリー諸島の領有を宣言できる条件はなかった。1946年にアメリカから独立したフィリピンは、独立まもない1949年にスプラトリー諸島の領有を主張しはじめたのである。
マレーシアもまた1970年代はじめから、スプラトリー諸島の一部の島々の領有を主張しはじめ、1980年代はじめには軍を派遣して、一部の島にたいする実効支配を開始した。また台湾もフィリピンとマレーシアに先立って、1956年にスプラトリー諸島のうちの1つの島を確保している。
こうして、スプラトリー諸島は中越の二国間問題ではなくなり、のちにブルネイを含めて、南シナ海を囲む6ヶ国がかかわる複雑な多国間問題へと変わっていった。
【スプラトリー小史 (5) …中国の強引な割込み】
1988年2月、中国はスプラトリー諸島に軍事侵攻をおこない、ベトナム軍を排除しつつ、いくつかの島を占領した。このとき、ベトナム軍の艦船3隻が被害を受け、ベトナム軍にかなりの数の死傷者がでた。軍事的にはベトナムの完敗であった。
このように中国は1974年に南ベトナム軍を排除してパラセル諸島全域にたいする支配を確立し、さらに1988年に自国と同じく共産党が支配するベトナムの軍を部分的に排除して、スプラトリー諸島に大きな大きな足場を築いたのである。
1992年5月、中国は突如として、スプラトリー諸島の南西のはずれにある浅瀬「ヴァンガード堆」で石油探査をする権利をアメリカのクレストン・エナジー社に認めることを発表した。ヴァンガード堆はベトナムではトゥーチン堆とよばれており、ベトナム南部とマレーシア領サラワクのほぼ中間ややベトナム寄りにあって、ベトナムが自国の大陸棚であると主張している海域であった。
自国からきわめて遠方の海域の資源探査を第三国の私企業に許可して、その海域にたいする主権を既成事実化しようという、中国のなりふりかまわぬやり方に各国は驚き、とりわけベトナム政府に大きな衝撃を与えた。
1994年以降、中国はさらに強引な既成事実化に乗り出した。1995年2月には、フィリピンが主張する排他的経済水域の中にあるミスチーフ礁に、中国が軍事建造物を設置し、フィリピンと中国の間の緊張が高まった。ミスチーフ礁は、それまでフィリピンが支配していたスプラトリー諸島中の8つの島のひとつであった。
【スプラトリー小史 (6) …実効支配の泥試合】
現在、ブルネイを除く関係5ヶ国は何らかの形で、スプラトリー諸島の一部分を支配している。ベトナムも一部の島に部隊を駐屯させており、他の国も滑走路・軍事基地などの建造物を造って人を送り込んで領有の既成事実化に努めている。1999年段階で、紛争当時諸国はスプラトリー諸島にあわせて4つの滑走路を完成している。
おもにベトナム・中国・フィリピンの三者間で、偵察機にたいする守備隊による発砲や、船舶の拿捕といった事件がときおり発生しているのがここ数年の傾向である。
パラセル諸島と比べて、スプラトリー諸島の現状が大きく異なっている点は、スプラトリー諸島では中国の優位が確立していないことである。中国はスプラトリー諸島からきわめて遠く、しかも領有の既成事実化に大きく出遅れている。それゆえ中国はこの問題に割り込むために、1988年以降なりふりかまわぬ行動にでざるをえなかったのである。
またスプラトリー諸島が多数の国がかかわる複雑な国際問題であることも、パラセル式の中国の思惑どおりの解決ができない原因のひとつになっている。東南アジア諸国にとっても、中国の関与によって問題の包括的解決の糸口を見出せないでおり、いまのところスプラトリー問題は膠着した局面に入っている。
【ベトナム語】
(クアンダオチュオンサ)
【英 語】the Spratly Islands
【中国語】南沙諸島
あくまでもイメージであるが、スプラトリー諸島の多くの島々は、こうした伝統的な無人島のイメージを大きく越えるものではない。
【スプラトリー諸島の正確な位置】
南北は北緯6度50分から12度の間、東西は東経113度3分から117度20分の間にある。
【参考資料】
Luu Van Loi, The Sino-Vietnamese Difference on the Hoang Sa and Truong Sa Archipelagoes, Hanoi, 1996.
William J. Duiker, Vietnam since the Fall of Saigon, Ohio University, 1989.
Bo Giao duc va Dao tao, Dia li Tu nhien Viet Nam (phan khai quat), Nha xuat ban Giao duc,1999.
Tong cuc Du lich Trung tam Cong nghe Thong tin Du lich, Non nuoc Viet Nam, Ha Noi, 2000.
Row grows over disputed Spratly island, http://www.cnn.com/2001/WORLD/asiapcf/east/03/21/China.Philippine.row/index.html, CNN.
Spratly Islands, http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/pg.html, CIA.
Paracel Islands, http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/pf.html, CIA.
Paracel Islands,http://www.encyclopedia.com/articles/09818.html.
Islands in the Stream, http://www.asiaweek.com/asiaweek/99/0416/nat6.html, Asiaweek.
Territorial Claims in the Spratly and Paracel Islands, http://www.middlebury.edu/SouthChinaSea/scs-intro-t5.html.
Alex Magno, Naval Power Play Sets Off Alarms, http://www.time.com/time/asia/magazine/99/0927/spratly.html, TIME.
Convention on the Law of the Sea, http://www.un.org/Depts/los/losconv1.htm, United Nations.
山内康英、「海洋レジームの現状と日本の対応」、
Source: http://www.ni.tama.ac.jp/yama/000102.html
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最近うちの弟が妙に金持ってる思ったら
こんなので稼いでやってやがったよ!!
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なんかムカつくから、俺も明日やってみるわ(ワラ
2009/8/5(水) 午後 7:19 [ トミー ]