【中編連載小説】
「ちぎれ雲 〜起立編〜」第十五話
星ひかる著
「ABC証券の神坂です。夜分遅くに申し訳ありません。ご主人様でいらっしゃいますか」
そういって電話を掛けてきたのは、私が東京にいたときに面倒をみてやった後輩の神坂だった。
私の送別会の夜、二次会三次会と朝まで付き合ってくれた子分みたいな奴だった。
「ご主人」というのは、無論私のことで、「夜分遅くに」というのは、またなにか善からぬ商品をノルマ化されて、
それがために本部、支店長の詰めが厳しく、数字を出すまで帰れない状況にある、というサインであった。
時計に目をやると、短針は夜の十時を指していた。
いよいよ電話を掛ける先もなくなり、だからといって、ひとりだけ電話していないというのも、またぞろ支店長にどやされる材料にもなる。
そういうとき神坂は、よくこの私を場繋ぎとして使っていた。
「おう、神坂、こんどはなにをやらされているんだ。投信か。株か」
私はどんな理由であれ、神坂からの電話を心から喜んでいた。
「いえね、先日もお話しさせて頂いておりました、例のABCグローバル・セレクト・オープンの薬品コースの件なんですが、いかがでしょうかと思いまして」
神坂はこの私に普通に商品を奨めている。きょうは相当に詰めが厳しいようだ。
「あまり無理するなよ」
「ええ、それはそうなんですが、いまのこの安い株価を思えば買い時かと思うんですが、ご主人様、いかがでしょう」
いつもなら最初の挨拶だけ「ご主人」で、あとは適度に小声で「先輩」と変わるはずなのに、きょうは違う。
いままでにない追い込まれ方のようだ。
「近くに支店長いるのか」
「そうなんですよ……」
支店長が神坂のセールストークに注意を向けているようだ。
「お前……、ひょっとして、佐伯になにかいったのか」
「ええ、そうなんですよ……」
案の定だった。佐伯とは支店長のことで、この私も幾度もぶつかった人物だ。
今回、いくら腹立たしいことがあったとはいえ、神坂が佐伯に対して一言いってしまったということは、この私の責任でもある。
神坂はいわば私の弟子みたいなもので、私も彼を可愛がった代わりに神坂もこの私のことを尊敬してくれていた。
酸いも甘いも一緒に体験した戦友も同然だった。
私が辞めるときには、私の顧客の半分以上を神坂に引き継いできた。
組合の委員長も彼に後を任せた。
その際、再三注意したことに、上司や役員に対する私の態度だけは決して見習うな、ともいって聞かせた。
結局のところ、大企業の中で、突っ張って自分の主張をしたところで潰されるだけだ。
私はそれでいい。しかし神坂は、私ではない。
私なんぞを見習ったがために彼の出世にも影響を招くようでは申し訳のないことだ。
私の罪は、どこまでも広がってしまう。
だが、神坂もとうとう佐伯とぶつかってしまった。
「そうか……、それはまずいことになったなあ。あいつは案外、侮れないぞ。どうだ、謝れるか」
「嫌です」
神坂の小さく短い言葉だった。
〈第十六話へ続く〉
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