【中編連載小説】
「ちぎれ雲 〜起立編〜」第二十一話
星ひかる著
「なにかあったのか」
私も神坂にならって、自然と小声になっていた。
「支店長と課長の動きが怪しいんです」
課長とは、いわゆる支店長の次席であり、神坂たち部下を直接指揮する職にある。
神坂たちの数字が伸びなければ、それは課長大村の責任にもなるし、部下の要望や不満も一手に引き受けなければならぬこともある。
その反面、部下との意思疎通は案外取りやすく、慕われやすい立場にもある。
いわば兄貴的中間管理職といっていいだろうか。
私も辞めるまでは大村課長には、大変お世話になった。
「最近、頻繁に二人で飲みに行くようになったんです」
「ほお、珍しいな。そんなに仲良くなかったろう、あの二人」
私が相槌を入れると神坂は続けた。
「そうなんですよ。その動きさえいままでなかったことなんで、おかしいなあ、と思っていたら、昨日、支店長が私のところへやって来て、先輩のことを聞くんですね」
神坂は辺りを気にしているのか、少し口ごもった声でそういった。
「私は、こちらからは全然連絡も取っていないですし、いまなにやっているか、どこにいるかも知らない、といってやりました」
「それは信用しないだろう」
私は、笑った。
私の持ち株は神坂を担当者として口座が残っているし、つい一週間前も注文を出したばかりだった。
「まあ、それはそうですけど」
神坂は不貞腐れていた。
「で、他になにか聞かれたのか」
「先輩からもらった顧客のことをあれこれ言い出して、終いには、課長に少し分けろ、交換でもいいから、というんです」
「大村さんにもいろいろお世話になったから結構あげたつもりだったけどなあ、不満だったのかなあ」
「そうじゃないみたいです。支店長は、先輩が他の証券会社に入って、いずれ顧客を移すんじゃないかと勘繰っているみたいなんですよ」
「なるほどね。そう考えた時期も確かにあったけどな。私の息の掛かった顧客を自分の支配下に置いて、直ぐに持っていけないようにしようってのか」
「そうみたいです」
そのとき電話口の向こうから、佐伯の怒鳴り声が微かに聞こえた。
会議にかこつけて、達成出来ていない数字に対して、佐伯がみんなに喝を入れているのだろう。
私の目の前に、佐伯の赤くした顔が浮かんだ。
彼には充分に尽くしてきたつもりであったが、そこまで私を嫌っていたのか、と改めて悲しくなった。
支店の数字ノルマを達成させるためにも少しでも顧客を減らしてなるか、との思いなのかもしれない。
「先輩、すみません。そろそろ会議出ないとやばそうです」
「おお、そうだな。『どうすんだ会議』だな。それじゃあ、明日の寄り付きでH株を三千株買い付けしておいてくれるか」
私は担当の神坂にいった。
「わかりました。買い付け後、いつものように残金を振り込んでおけばいいですね」
「頼むわ。俺の生活費だからな」
「いいところ売ってましたもんね」
「じゃあ、頼んだぞ」
「はい」
「奴さん、荒れてるみたいだけど、くれぐれも無茶はするなよ」
「はい、わかってます」
電話は切れた。
私はベランダに出て、煙草に火を点けた。
部屋の中で煙草を吸うとヤニ臭いと妻が怒るからだったが、きょうは外の空気にあたりたかった。
神坂の表向きは明るく振る舞っているけれど、時々みせる寂しい声が、いつまでも私の耳に残っていた。
いまの私は、彼になにもしてやれない。
当たり前の静かな奈良の夜も、いまは私の心を押し潰すほどの脅威を持っているように思えた。
そんな夜空には冬の訪れをみせるかのように、星が瞬いている。
明日もいい天気になるのだろう。
そして、いつもと同じ、いつもと変わらぬ一日を迎えてくれればいい、と私は願った。
〈第二十二話へ続く〉
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