【中編連載小説】
「ちぎれ雲 〜起立編〜」第二十二話
星ひかる著
四日後、ABC証券から十八万五千円の振り込みがあった。
先日、H社の株式を三千株買い付けた際に残った金額を神坂がそっくり振り込んでくれたものだ。
このお金は当分の生活費となる。
共働きの私たち夫婦は、それぞれが決まった金額を家計に入れることにしている。
私の持ち分は、家賃の九万円と駐車場代の一万円の合計十万円である。
その他、光熱費は妻が持ってくれる。
食事の買い出しも妻であるが、外食は私だ。
どっちが得かはわからないが、妻とはいえ女性と食事に行ってその支払いを女性に任すのは、元々私の性に合わないから、このままでいいと思っている。
外食になると俄然妻は欲望そのままに高いものしか食べないのは、もう結婚する前からわかっていることだから、私も旨いものしか食べなくなった。
子供がいない分、自分たちの人生を謳歌するのに、拍車を掛けているともいえる。
私は、生活費の持ち分である十万円を残し、八万五千円を銀行から引き落とした。
なんとかこの資金で遣り繰りしなければならない。
証券会社時代から比べると半分以下であるが、いまこれといった付き合いのない私には充分にやっていけるだろう。
いいや、妻がいつ何時、外食に行こうと言い出すかわからない。
その分も残しておかなくてはならないか、と私は、不覚にも少し溜め息をついた。
八万五千円など、証券会社にいる頃には、一晩でなくなってしまうこともあったが、この生活なら大丈夫だろうと思っている。
一日の大半は独りなのだ。
独りでいると、こんなにもお金を遣わなくて済むのだということに、ある意味、私は驚いている。
飲みに行ったとて、飲食代は当たり前の一人分だ。
私自身、久しぶりの酒を貰ったばかりだが高が知れていた。
近年、独身者が急増している理由は、これなんだと感じた。
独りでいると煩わしさもなく、何事も自分のペースで事を進められる。
私が四六時中独りでいたのは、ほんの短い期間であったが、こんな経験を一度でもすると、止められなくなるというものだ。
今月は、この資金でなんとか乗り切れそうだが、私のいまの生活費を稼ぐ方法は、この株の売買によるものしかないのだった。
私が独自に考えた方法がある。
株式というのは、そもそもその会社に投資をするということである。
それは、何十万株持っていようが、たった千株だろうが一株だろうが、株主という観念から同じ意味を持っている。
投資をするわけだから、誰もがその株式には見返りを期待する。
その一つが配当であり、もう一つが値上がり益であろう。
大抵の人は値上がり益を狙って株を買っているのではないだろうか。
業績が悪ければ、配当が減るのかゼロになるのか知らないが、その株式は売られる。
また、上がり過ぎたものは、いずれ下がる運命にもある。
売られるということは、その会社の株式を持っていた株主が、考えていた見返りが望めないと判断したか、評価以上に買われ過ぎたためにその会社の株式を手放す「売り」という行為に出たに過ぎない。
下げ相場の中で育った私は、どうしても株が上がり続ける現象には、疑心暗鬼になりがちで、この性質を生かすべく、ある方法を編み出したのだ。
ただ、株というものは本来、上がらないと利益が出ないものである。
勿論、下げ相場でも儲ける方法はある。
信用取引による空売りがそれであるが、最悪、破産することもある。
なるべくなら、それは避けたい。
そこで私が取った方法は、先に現物株を売っておいて、再度、同じ銘柄を買い戻すという、至って単純な商いなのであった。
今回の私もH社の株を二週間前に五百五十円で三千株売っておいた。
そのH社が、私の目論見通りに下げ、それを四百八十円で買い戻しただけだ。
総てがこのように上手くいくとは限らないが、H社とは実に十年を越えての付き合いである。
毎日のように株価をみてきた。
その株の持つ特徴も癖も知り尽くしているといっていい。
あとは市場全体の強弱やファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)、海外市場等の外部要因とを加味しながら、売り時買い時を判断すればいい。
もし売ったあとに、好材料等が出て上げてしまうようなら、様子をみるか、株数を減らして買うかすればいいだけのことと思っている。
塩漬けになっている株をずっと持っている人の話をたまに耳にするが、私の目の前に当人がいれば、この方法に沿っての助言をするだろう。
なにもしないで、ただじっと持っているよりかは、こうして少しでも利鞘が稼げるのであれば嬉しいはずだ。
失敗しない第一条件として、お金が出来たからといって、決して違う銘柄を買わないことである。
まして、証券マンに奨められたからといって、飛び付かないことだ。
証券マンが声高に奨めてくるということは、それはいま、どうしても買って欲しい銘柄なのである。
そう、それはノルマ化されている銘柄と踏んだ方がいいだろう。
少なくとも、十四年以上、証券マンという人種であった私は、彼らの一押しで奨めてくる銘柄には乗らないだろう。
なにをおいても、自分が一番熟知している銘柄で勝負することだ。
決して、ぶれないことだ。
これこそが、魔物潜む相場に参加する上で最も大切なことだ、と思っている。
〈第二十三話へ続く〉
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