【中編連載小説】
「ちぎれ雲 〜起立編〜」第二十三話
星ひかる著
私の取った方法は信用取引でも「空売り」を行うことで可能だ。
だがひとつ間違えれば資産を失うこととなる。
最悪、借金を負うこともある。
からくりはこうだ。
信用取引で株を売るためには、日本証券金融から株券を借りなければならない。
その借りた株券を市場を通して売るのである。
売却代金は自分の手元に来るのではなく、強制的に日本証券金融に預ける形になる。
借りた株券はいずれ返さなくてはならないわけで、この一時保管された、日本証券金融に預けた資金は、その返却用株式の買い付け代金として使われるのである。
五百五十円で売ったH社の株券三千株を今回のように四百八十円で買い戻せれば、その鞘だけが利益となって残る。
読みが外れて、H社の株価が六百円に上昇し、そこで仕方なく買い戻し決済をすれば、預け金だけでは足りなくなり、一株当たり五十円の損失が発生する。
往復の手数料も掛かるから、三千株なら二十万円ほどの損金になるだろう。
もっと上がってしまうことだってある。
その分だけ損失も膨らむことになる。
損金は現金で支払わなければならず、現金が用意できなければ、預けている株券や投資信託を売ってでも作らなければならないのだ。
信用取引を行う際に預ける株券や投資信託はこういうときのための担保なのである。
担保を越えて損失が発生することも信用取引の売りではあることだ。
そうなれば、銀行預金を取り崩すか、それもなければ、どこかで借金をして来なくてはならない。
株での損金を銀行が貸してくれるとは思えないし、期日は決済を入れた日から四日後と直ぐにやってくる。
銀行借り入れの審査を待つ余裕すらなかろう。
そうなれば、いわゆるサラ金や街金と呼ばれる小さなファイナンス会社から借りるしかなくなる。
こうして借金地獄はやってくる。
信用取引は、そういう怖さを持ち合わせているのである。
私は、証券会社時代、幾度となくこういう危機に遭ってきた。
だがそれは、私自身のことではない。
総ては、顧客がしたこと。
彼らが犠牲になってきた。
私が奨めたものであっても、それは総て顧客の自己責任によるものであった。
私の懐は痛まないものの、心は壊れていった。
私が無理に奨めた結果がそうであったとしても、顧客にはなにもしてあげられなかった。
私が責任を感じて、損失を埋め合わせようものなら、それは損失補填といって、立派な犯罪である。
顧客が要求しても罪になる。
昔、高台にある豪華な屋敷に住む顧客がいた。
彼は私の初めての株の顧客だった。
始めは良かった。
上手く行っていた。
いつしか信用取引をするようになっていた。
あるときから資産がみるみるうちになくなっていった。
そして、彼は最後、私にこういった。
「君が、この坂を登って来なかったら、なあ」
後に続く言葉はなくとも、彼の無念さは充分、私に伝わった。
そのとき見せた、彼の瞳を私は未だ忘れられないでいる。
やはり安全にゆくには、現物の売りから入って鞘を取ることだと思っている。
持っている株の上げ下げをただ観ているだけでは、所詮、少ない配当金しかもらえない。
どうせ観ているだけの塩漬けにしてしまうくらいなら、少しでも鞘を取って、また同一銘柄を同株数買い戻すことで、自分で配当金を作ろうじゃないか、との発想から出発した取引である。
それはたとえ僅かでも、幾ばくかのお金が手元に残ることで、気分もよくなろうというものだ。
帳簿上は株数に変化なく、なにもしなかったのに預り金が増えていると思えば尚更で気持ちも良い。
今回も私は、元いたABC証券で取引をしたわけだが、やはり体面営業の証券会社の手数料は高い。
往復三百万円程度の約定金額で三万円を越える手数料を取られてしまう。
そろそろ私も、手数料の安い、ネット取引を考えなくてはならないと感じた。
〈第二十四話へ続く〉
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