|
.
【エセコラ(49)】 『受動喫煙について』 星ひかる著 昨今、受動喫煙の問題が取り沙汰されています。 この言葉もいつの頃からか聞くようになりました。 煙草の煙は煙草を吸っている本人よりも周りでその煙を吸う人の方がより害があるんだ、と最初の頃はいわれていたように思います。 いまでは煙草の煙は単に吸わない人の迷惑、という感じでしょうか。 煙草が悪者になって久しいですが、私にとって煙草は、ストレス発散に大いなる役割を担ってくれているもの。 煙草やめたら、とは他人からいわれることままありますが、やめたら反ってストレスから病気になってしまうと思ってもいます。 七十過ぎて禁煙した方がその数ヶ月後に亡くなった、なんて話も聞きます。 私は昭和四十一年の生まれです。 私の世代では煙草は成長するにつけ付き物でした。 父親の煙草を買いに行くのは子供の仕事でした。 いまではコンビニでは、子供には販売しないでしょうから、これは私たちの世代ならでのこととなりました。 小学校では先生が教室の窓側の机で、休み時間に煙草を吸っていた時代。 灰皿係り、なんて子供ならではのいきもの係り同様のお仕事もありました。 大学生になると寿司屋でバイトしておりましたが、カウンター席で煙草を吸うのは普通に出来た時代。 いまでは中にはあるのかもしれませんが、寿司屋のカウンターで吸うのは少し遠慮してしまいます。 禁煙席が当たり前の時代です。 社会人になってからは、仕事しながら自分の机に各人の灰皿が置いてあるのが当たり前の時代。 電話を掛けながら煙草を燻らせていたものです。 時に上司から怒鳴り声と共に灰皿が飛んできたこともあった。 いまでは、やはり無いことです。 飛行機でも後ろの席は喫煙席、と決まっていた。 地下鉄のホームにだって、必ず喫煙所があった。 こんな環境で育ってきた私に、受動喫煙は迷惑だから、道路でも飲食店でも全面禁煙にする、 なんて云われても、ピンと来ないし、なんで、って反発もしたくなる。 煙草が本当に身体に悪いものなんだ、というのなら、販売しなければいいのだ。 毒、だというなら、販売する方がどうかしている。 煙草を吸わない自分の姿は想像することも出来ない。 吸えなかったら本当にストレスを感じて死んでしまう、とさえ思ってしまう。 なんでこんな世の中になってしまったのだろう。 アメリカナイズドされて、いいことあったのかなあ。 昔の日本が好きだった。 キセルやら葉巻やら、自由に嗜好品を楽しめる時代が好きだった。 煙草って、本当に、毒、なのですか。 〈了〉 |

- >
- 芸術と人文
- >
- 文学
- >
- ノンフィクション、エッセイ



