|
しばらく振りのエセコラだ。
四月の終わりから、五月にかけて、爆発的な忙しさの中にいた、 と、いいわけがましい……┐('〜`;)┌ きょう実は、私の誕生日なのだった。 エッセイやコラムというのは、その書き手の人と成りを知らないと面白みも半減、いやそれ以上かもしれないくらいつまらないものだろう。 ということで、今回は私の人と成りを表す話しをしたいと思うのだ。 一話ではとてもいい尽くせないのは当たり前で、不定期にシリーズで語っていきたいと思っている。 いま私の仕事は、ビルの総合管理だ。 オフィスビルやマンション、学校、そして病院であったり、ありとあらゆる建物に携わっている。 総合管理には、主に設備、警備、清掃と三つに区分けされる。 総合管理というと大層なものに聞こえるが、その中でも、うちの会社が自前で出来る、得意としている分野は清掃だけである。 私も、この仕事に就いて、五年が経とうとしている。 きょうは、この清掃を通じて感じたことを綴ろうと思う。 エセコラ(5) 【私の清掃論 その1】 私が清掃という仕事に就いて、早五年が過ぎようとしている。 この仕事の話しを頂いた切っ掛けは、本当にひょんなことからだった。 当時私は、奈良で事業を興したまでは良かったが、元の深く考えること無しに行動してしまう性格のお蔭で、 型通りの失敗をし、借金を抱えてしまった。 その後、母と弟に、父親が脳梗塞で倒れたのを機に、半ば強制的に実家の神奈川へ連れ戻されたのだった。 地元に帰って再就職し、五年振りのサラリーマンに出戻り、形だけはなんとか、第二の人生を送っていた。 一年ほど経った頃だった。 お世話になっていた会社でのこと。 私が配属された現場が、突然の契約解除を申し入れてきた。 ある企業のコンピューター化に向けたプロジェクトに参入していた。 私は各社員に、使用しているプログラムのノウハウを指導したり、不具合に対応する仕事をしていた。 そこの社員がある程度、プログラムを理解出来るようになると、 その企業は、うちのリーダー格の社員を直で雇おうと、好条件を餌に引き抜こうとした。 その条件を飲んでしまった社員がいたのだった。 それから暫くして、その企業は、元請けである私の勤めていた会社自体の契約を解除したのだった。 最終的には、話しを振られ一度は条件を飲んだ当人も、その企業に行くことはなかった。 自ら、断りを入れた。 裏切り者扱いされ、彼もさぞかし辛かったことだろう。 両者が、もっときちんとことを運べば、誰も傷付けずにすんだものを、 コストダウンという成果を挙げたい経理の若者の、なんの取り計らいもない、いい加減な対応のお蔭で、全員が傷付いて終わった。 私は、そのとき既に四十を回っていたが、経理の彼とは、歳も一番近かったということもあり、 契約解除の最後の日、苦言を呈する意味で、 この世は因果で出来ているんだ。 その報いが、善しか悪かはわからぬが、いずれ自分の下にやってくる、 こんな意味のことをいった。 契約解除後は、私たち社員は一同に、本社の会議室に集められ、その会議室が、新しい職場となった。 毎日、会議室で自習のようなことをしていた。 ときどき本社の社員が講義のようなものを開いていたが、なんの身にもならぬものだった。 会社もタダ働きの社員を十人を超えて雇う余裕もないだろうに、などと私は反って会社に気遣いすら感じてしまっていた。 そんな自分の近況状況をたまたま高校時代の友人に話したところ、噂が友人の間を独り歩きし、 星が派遣切りにあったらしい、 と当時リーマンショックの煽りで、話題になっていた派遣切りとして、広まっていた。 それを聞いた別の高校時代の友人の一人が、私に電話をくれた。 親父の兄貴がやってる会社で人欲しがってたから行ってみて、 と、自分の置かれた状況が状況だったたけに、翌日には面接の運びとなっていた。 考えなしに行動するから、決断だけは誰よりも早かったのだ。 面接でも相手方は、もう入るのが当然の如く話しを進める。 その日、紹介してくれた友人も含めて飲み会が開かれた。 いままでお世話になっていた会社も、一人でもタダ働きがいなくなればそれに越したことはないのは、充分にわかっていたから、 翌日、辞意を表すると、あっさり認められた。 当然、引き継ぐものもない。 面接の翌々日には、入社していた。 清掃の「せ」の字も知らない私だ。 朝、早すぎるのが苦くらいにしか思っていなかった。 これが私が清掃業に就くに至った経緯である。 よく五年も続いたな、と自分でも感心する。 清掃という仕事は、いわば「3K」で、危険、汚い、きつい、である。 先の設備、警備、清掃の中でも、どうしても下にみられる。 いつだったか、元総理で現副総理の麻生太郎氏がどこか地方に出向いて、 応援演説をした際の聴衆を前にして放った第一声に、 「下々の皆さま……」 という有名な場面があるが、正に、清掃業の作業員は、下々にみられている。 実際、私も若い時分は、清掃員を汚い目でみていた。 ああはなりたくない、とも心のどこかで思っていたかもしれない。 いま、私は清掃員としてこの仕事に付いた。 床に踏みつけられたガムを地べた這いつくばって、ヘラでもってチマチマ削り落としている。 その横をスーツをビシッと着こなしたサラリーマンが過ぎる。 ああ、これも因果応報だな、と契約解除を受けたあの会社の経理の彼にいった言葉を思っていた。 でも、借金も返さなくては、何より生きて行かなくては、と思う。 いまにみていろ、と心の中で叫んでいた。 清掃という仕事は、やってみてわかったが、実に奥が深かった。 石の床に踏みつけられたガム一つとて、削り落としていくと、次のガム跡が気になる。 壁の拭き上げにしても、きちんと薬剤選んで道具を使えば、元の白い壁に戻るのだ。 広い大きな壁を一拭きしたら、もう大変だ。 拭き上げたところだけ白くなって、反って汚ならしく拭きムラが出来てしまう。 全面きれいにしないと終わらない。 この仕事に就いて、もう一つ私自身わかったことに、 自分は案外、完璧主義だったのだな、 ということだった。 中途半端は嫌だった。 徹底的に綺麗にしないと気がすまない。 清掃は、基本、独り作業だ。 日常清掃といって、毎日毎朝早朝、社員さんが出社する前にオフィスに独り入って、 ゴミの回収、床の掃除機かけ、机上拭き、これらを大概、1フロア毎に任される。 そうすると、この大きさの事務室をどのように、どの順番で、どこのコンセントを使って、掃除機を掛ければ早く済むか、考える。 これは右脳を刺激していることに気付いた。 清掃中には、いろいろなことを考えている。 素晴らしい閃きも生まれる。 文章や音楽など創作に力を入れている方には、是非に独りで掃除することをおすすめする。 今回はタイトルの清掃論まで行き着けなかったが、 次回(不定期)は、もう少し深いところをと思っている。 〈私の清掃論 その1 了〉 |
エセコラ
[ リスト | 詳細 ]
|
題して、 【青春の味は肉丼大盛り一丁♪】 「肉丼大盛り一丁♪」 三月の終わり、頭のてっぺんから突き抜けるような、『鵬来』のおかみさんの声が聞きたくて、私は、西千葉までやってきた。 大学時代、毎日のように食べていた。 三年四年生になって、研究詰めになると、実験を途中で抜け出して、昼ご飯に肉丼大盛り、夜ご飯にも肉丼大盛り。 もうここへ来ては、肉丼大盛り以外には頼まないようになっていた。 大きなラーメン丼に特盛のご飯を詰め込み、 そこに、片栗まぶして揚げた肉を野菜絡めて再度火を入れて、 濃いめの味付けのタレで焼き煮込んだ具を乗せた、 そう、それが、私の好物、肉丼大盛り。 これは絶品だ。 このレシピ通り(合っているかはわからないが)の肉丼に、ここ鵬来以外、未だかつて出会ったことがない。 いろいろな中華料理の店で、肉丼のメニューを見つけては注文するが、どれも違うのだ。 西千葉でしか食べられない。 ときどき、冒頭のあの「肉丼大盛り一丁♪」の声が私の頭のなかで響くときがある。 昔を懐かしむときは、大概が気が滅入っていたり、疲れているときであるのは常だが、その日の私も心身共に疲れていた。 気がつけば、総武線のいつも降りる駅を通り過ぎていた。 荒川を渡った。 江戸川を越えた。 ここから駅の間隔が長くなる。 いつの間にか眠っていた。 起きたら終点の千葉駅だった。 相当疲れているな、と感じた私は、あの声を聞く。 そうだ西千葉へ行こう。 西千葉駅に降りるのは、実に二十年振りか。 当時、教授に昇進したばかりの先生に、私の結婚式の仲人をお願いしに伺って以来だろう。 大変お世話になった。 時計をみると、10時40分。 お店が開く11時までには、まだ少し時間がある。 駅周辺を散策してみる。 駅前の居酒屋も既に昔の名前はなく、店名を変えている。 学生時代過ごした面影は確実に減っているようだ。 裏道へ行くと、その傾向は顕著で、よく通った雀荘はもうない。 新しいマンションになっていた。 面影も跡形もない。 正門前に来た。 この向かいには、牛丼カレーが売りだった個人営業の定食屋があったはずだが、もうない。 11時になろうとしていた。 鵬来のある、裏門の方へ足を進める。 なんだかドキドキしてきた。 ひょっとすると、もう、鵬来もあの肉丼もないのかも知れない。 「肉丼大盛り一丁♪」 の透き通った声も聞けないのか。 道を挟んだ左には大学の並木が、以前と変わらずある。 右は、新しいアパートやお店が、私の歩く速度に合わせて過ぎてゆく。 前方に赤い暖簾が、少しの風に揺れているのがみえた。 鵬来の暖簾も赤かった。 これは正しく、鵬来なのか。 店の前に立った。 確かに、鵬来、と書いてある。 私は、暖簾をくぐった。 この日は春休みということもあり、学生が少ないのだろう。 私が最初の客だった。 「いらっしゃいませ〜」 あの声だ。 おかみさんは健在だった。 壁に張り出されているメニューを見渡す。 肉丼の文字をみつける。 勿論、大盛りの文字もある。 私は迷わず、肉丼大盛りを注文した。 「肉丼大盛り一丁♪」 私は独り感動していた。 お目当ての肉丼が来て、私は黙々と食べた。 おかみさんに話し掛けると、涙が出そうだったから、極力、周りを意識せず、肉丼だけに集中していた。 食べている間、店の中は、私とおかみさんと店主で料理人のご主人だけだ。 この空間は不思議と音もなく感じた。 普段大食漢の私だが、肉丼大盛りは、こんなにも量が多かっただろうか、と時間の流れる速度が遅く感じられた。 「ごちそうさまでした」 私はそういって、おかみさんの顔をみた。 昔と変わらぬおかみさんの顔があった。 それまでまともに、おかみさんの顔をみられないでいた。 「実は、私、23年振りに来ました。昔と変わらず、美味しかったです」 と、私がいうと、おかみさん、 「やっぱり。なんとなく面影あって、そうじゃないかと思ってました」 私のことを覚えていてくれたのだ。 三年四年通ったが、毎日のように来ていたのは、一年半くらいなのに、嬉しい限りだ。 私は店をあとにした。 心がスッキリしていた。 疲れもぶっ飛んでいたが、涙がこぼれそうになるのを抑えるのに必死だった。 形ある町の姿は変わってゆくけれど、無形の人の心は変わらない、いや、変わらないでいてほしい。 私のような人間がいうのもおこがましい限りだけれど、思い出の味に出会って感じた思いだった。 〈エセコラ(4) 了〉 |
|
先週の木曜日、天気もとても好かった一日。
現場近くにある、靖国神社に行って来ました。 いつも通るのになかなか本殿には近づかなかった。 別に理由はなくて、億劫だったから。 その靖国神社に行って感じたことを綴ろうと思います。 【九段のお社でお待ちして居ります】 靖国神社といえば、最近は、政治、富みに外交面で、政治家が参拝するしない、でなにかと話題に登る神社だ。 参道を少し行くと、確かに、警察か自衛隊か、装甲車が列をなして停まっている。 十メートル毎に、制服警官が立っている。 立っているだけでなく、あの一降りすれば、ニョキっと伸びる警棒をいまかいまか、と片手に持っている。 どの警官も同じ佇まいで、警戒している。 物心ついて、ひょっとすると、初めて来たのかも知れない。 少なくとも、本殿手前の賽銭箱にお金を入れるのは、初めてだ。 ずっと東京にいて、これは失礼をしたなあ、と反省もする。 さて、二礼二拍一礼を型通り済ませて、遠くにみえる本殿を凝視し、あそこがよくテレビでお目見えする廊下だなあ、などと少しミーハーな気分になり、 そうだ、写真撮っておこうか、とスマホをいじって、いざ構えたのだった。 すると、横から警備の人が駆けてきて、 「写真はダメです!」 と軽く腕を捕まれ、そのとき撮れた画像が、これ。 見事に、警備員さんの白手袋がよく撮れたものだ。 これもある意味、貴重な経験だった。 周りのご主人奥様方も、口を揃えて、 「あらまあ、写真くらいねえ」 と、漏らしておりますと、警備員さんも、 「正面はダメなのです。横からなら大丈夫です」 みんな、それでは、と微妙に横にずれて、ここなら大丈夫? と確認を取ったりして、その場はなんとなく、ほんわかして楽しかった。 確かに、神様を正面からまじまじと撮るのは、失礼なことなんだ、と納得するしかないのだ。 で、私は元来、遠慮深い人間なので、だいぶ後ろに退いて、一枚撮ってきた。 こんなエピソードも生まれて、帰ろうと、本殿をあとにすると、右手に大きな掲示板があるのを見付けた。 このエセコラのタイトルにした、戦争当時、少尉だった方の家族に宛てた手紙が紹介されていた。 私、これを読んで、人目も憚らず、泣いた。 独りだったら、声に出して泣いていたろう。 それは泣くよ……。 でも待てよ、これって、私思うに、戦争を美化し過ぎてないか……。 お国のために命をすてる自分は素晴らしい人間だ、それに恥じない人間になれ、と娘にも送っている。 私は、この手紙を読んで泣いた。 けれど、これは、修学旅行にもやってくる学生も目にすることだろう。 人それぞれで感受する心は違う。 戦争って嫌だね、だから、戦争なんかしてはいけないね、となってくれれば、いいのだけれど。 なんとなく違和感を感じた、靖国神社訪問の一日であった。 でも、平日のお昼過ぎだということもあって、人も疎らで、ゆっくりと散策出来た。 皆さんも、一度、行ってみてください。 〈エセコラ 了〉 さてさて、麻雀格闘倶楽部は、ダメなのです……( TДT) 勝てなくて勝てなくて、きょうも、トップゼロ。 0-2-2-3 だって! 酷すぎです! しかも、きょう気付いたのですが、昨日、ゲーセンにひらがな「ほしひかる」のカード忘れてきてしまった……( TДT) (ノ-_-)ノ~┻━┻ バカだね♪ ではね。 |
|
きょうは、仕事の空き時間に、豊洲の町を散策してきた。
そのときに感じたことを綴ってみたい。 【豊洲にみる今昔物語】 豊洲というと、どんな印象を持っているだろうか。 私が真っ先に浮かぶのは、埋め立て地、である。 水路の町のイメージもある。 地下鉄の駅から地上に出ると、上の写真にあるように、巨大ショッピングモールと高層ビルが、視界に飛び込んでくる。 目を見張る勢いを持つ、新しい町の印象だ。 美しい景観の高層商業ビル、超高層マンションが、高さを競って聳え立っている。 きょうは天気がとても好かったのもあるが、上を向いて歩いていると、うっとりとするほどであった。 ちょっと、首が疲れたので、どこかに座って休むところはないかなあ、と公園を探す。 こういうのは裏の方にあるものだろう、と脇道に入ってみた。 すると、なんとも懐かしい匂いを感じる。 駅から地上に出た瞬間は、豊洲は近代的な町のイメージしか沸かなかったが、ここは違った。 子供の頃に戻った気分にさせてくれる。 私も団地育ちの人間だ。 50階建てのマンションと、エレベータもない、5階建ての団地。 日本の今昔を感じた。 また、匂う。 駄菓子屋があった。 こういうお店には、必ず、意地悪なお年寄りがいるというのが、私の子供時代の定番だった。 世間知らずの子供にとって、親以外に接する数少ない大人が、駄菓子屋の店主だった。 お金の使い方、価値や大切さを教えてくれるところだった。 挨拶の仕方、お礼する心を教えてもくれたところ、それが駄菓子屋だった。 その店の前に佇んだとき、私は、何故だろう、しんみりとしてしまった。 この平成の時代、店を畳もうと思った時期もあったかも知れない。 それでもこうして何十年もの間、商売を続けてこられた、当然、会ったこともない店主であるが、感謝したい気持ちでいっぱいになった。 少なくとも、私の心に潤いをくれたのだから。 また、私の鼻を通して脳に刺激を与える風の匂いがする。 水路だ。 川縁には散歩道がある。 ベンチを見付けた。 しばし、腰を下ろし、休んだ。 昼どきだった。 弁当を買ってくればよかった、と後悔するが、空腹でも、暖かな陽射しと穏やかな風が、私の心を満腹感でいっぱいにしてくれた。 散歩道には、ご近所の方なのだろうか、老夫婦二人がゆっくりゆっくり散歩している。 ご主人のリハビリのためのようだ。 奥さんが献身的に付き添っている。 幸せは、自分の目には、みえないものであるけれど、他人にはみえるものなのだ、と気付かせてくれた。 私は、いま幸せなのだろうか。 苦労を独りで背負っている体でいるけれど、その苦労と思っていることと向き合って生きることが、幸せの始まりなのだ、と感じた。 明日も元気に生きよう。 (エセコラ 了) さて、きょうの格闘は、3戦のみ行った。 と、久々の勝利を掴んだ。 黄龍珠は増えなかったが、クラスコも10万ポイント近くプラスで終わり、復調の兆しがみえた。 また盛り返して行きたい。 明日は用事があって出来ないが、ここ最近、疲れが溜まっているようだから、休憩ということにしておこう(笑)。 ではね。 |
|
勿論、競技ルール卓。 その報告の前に、折角こうして毎日のようにブログ書いているのだし、物書きの端くれのまた端くれでもあるのだから、一日のトップニュースについてのエセコラ(私の造語で、エッセイとコラムの混合融合したもの)も綴っていこうと思う。 ニュース番組を観ていたが、きょうは特に目立った事件事故はなかったようで、ウクライナ動乱のことだったり、九州のカルトっぽい連続失踪事件、そして小保方さん問題再掲くらいのようだ。 この中からきょうは、ウクライナ問題について、私が感じていることを少し語ろうか。 実は、このあと少し書いて、昨日は寝落ちしてしまった……orz 月曜から、トラブル続きで、その対応に追われ、精神的にも疲れていたのかも知れない。 で、本日、改めて綴ろうか。 【ウクライナ動乱の果てにあるもの】 ここ最近、やっと日本も腰を上げて報道し始めた感の強い、ウクライナ動乱暴動化。 この後、第三次世界大戦に発展するのではないか、と懸念する意見もある。 もし本当にそのようになれば、核戦争に地球はどっぷりと浸かるであろう。 各国の保有核爆弾の数を考えれば、すぐさま、5、6発程度の爆弾は落とされてしまうに違いない。 しかもそれは、ほぼ同時期に。 地球滅亡へと突き進む。 土壌や海は汚染され、山の幸、海の幸も我々人間も、何もかもが、放射能を浴びる。 生き残ったとしても、人類が食すものは何もかもなくなる。 各国首脳もそこまで無茶はしないだろうから、第三次世界大戦は、まだないと誰もが思う。 現状、核保有国は、撃つぞ撃つぞ、とある種牽制の意味でその保有している兵器を利用しているに過ぎない。 あくまでいまの段階ではの話しであるが。 戦後、アメリカとロシア(旧ソ)の対立は、資源確保そして争奪を巡った主権争いだった。 しかしながら、ペレストロイカにより旧ソは崩壊し、そのお蔭で、事実上、いままでの期間冷戦を保ってこれた。 それがいまウクライナ動乱を機に冷戦解除か、といわれるようにまで発展してきている。 ヨーロッパと隣接する旧ソ独立国が揃って同じ流れであるのは、懸念材料である。 民主主義をとるのか、共産主義をとるのか。 一向に生活水準の上がらない旧ソ独立国国民の怒りが一気に声を上げた形に、一見みえる。 私はそうは思えない。 きっと裏で手を曳くものが、必ず存在すると思っている。 何故なら、決して共産主義が平等であるわけではない。 それは旧ソ独立国国民もわかっているはず。 昔は良かった、昔に戻りたい、そんな回顧の念を抱く者が大半のようにみえるがそうでもあるまい。 今回の動乱の最大の原因は、ウクライナの経済状態と、地理的条件にあると思われる。 ウクライナが、ロシアと欧州の玄関口である黒海に位置するということ。 そのウクライナには、豊富な地下資源が存在するということ。 この利権を巡る、ロシアとアメリカを含む欧米の争いだ。 ウクライナは、放っておけば破綻する財政状態に、いまある。 独立するときに資金援助した経緯のある欧米と当時、全く援助してこなかったロシア。 欧米は、いわば抵当を得ているとみてよい。 このままウクライナには経済破綻してもらった方が、地下資源も得られ、しかも、そこに軍事配備することで、隣接するロシアに対する牽制にもなり、正に、いいところ取りできるのだ。 そうはさせじと、ロシアは、親露派の多い、ウクライナ東部を自国に取り組むことを条件に、150億ドルの援助をすることを急ぎ発表した。 ロシアは親露派人民を急き立て、欧米は、親欧米派をけしかけ、動乱を作りあげてしまった。 ただ、いま、若干の国力衰退の兆しのみえるアメリカに、ロシアのプーチン大統領が一石投じようとしている構図がある、と私は読む。 その手法は、核戦争ではなく、経済戦争に発展させる、ということだろう。 ロシアは大量の米国債を持っている。 そこに、更には、比較的ロシアに近い最大の米国債保有国である中国を取り込むことで、米国債を売るぞ売るぞ、脅し牽制し、アメリカの一歩を踏み出させないようするだろう。 もしもロシアと中国が揃って米国債を売るようなことあれば、全発行数の三割以上が売りに出されることになる計算か。 こうなると、アメリカも強気には出ることが出来なくなる。 アメリカ経済自体が先に破綻しかねない。 核爆弾落とされるより、早く国は滅ぶことだろう。 いつの時代も戦争は、領土なり地下資源なり、主権の争いである。 このウクライナ動乱の成れの果ては、核戦争ではなく、金融戦争になる、と私は思っている。 米国債が大量売りにあえば、当然、通貨ドルも暴落する。 円高に見舞われる。 ということは、日本経済も衰退の思き目に合うこと必至だ。 元証券マンの私の血が騒ぐ。 第三次世界大戦は、金融戦争となる。 札束はただの紙切れになる。 あまりロシアを刺激しない方がよい。 昔から、窮鼠(旧ソ)猫を噛む、というではないか。 お後がよろしいようで。 ただ、これがいいたかっただけだったりして……(笑)。 ウクライナも旧ソだったなあ。 長々と失礼致しました。 (エセコラ……了) さて、格闘の方は……(´;ω;`) 呪われております。 日曜から三日間、二つのカードで、抜かれた珠は、合計18個! 昨日も酷かった。 いきなりの三連敗スタート。 一枚目の写真のように、ファイト挨拶で、 誰に何を笑われようと 鳴タン出和了後付けは 絶対に致しま宣言!♪ なんて、書き込んでいるのですが、 本当に笑われております。 鳴かずとも何しようとも、結構テンパイしているのですが、 そして結構高い手入っているのですが、 和了れない。 昨日最後は二着だったのだけど、逆転狙うオーラス、機械がいうことを聞かない。 タッチパネルが、うんともすんともいわない。 いきなりのツモ切り。 しかも六萬切り。 次もツモ切り、七筒。 これが最後まで響いた。 結局、わずか、900点差の二着だった。 この呪い、いつ解けるの? 一つだけいいことがあった。 ナオユキさんと同卓できたこと。 TRICK さんも長考挨拶くれました。 ではね。 |



