【泣き虫社長の投資日記】☆星ひかる☆

【書庫のお知らせ】なんか最近「競馬!」「エセコラ(エッセイ&コラム」「即興超短篇(一枚の写真から物語創作)」

エセコラ

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このエセコラも今回で30話目になりました。

書き始めたのはいつの日か、と遡ってみると、今年の4月16日とありました。

きょうでちょうど、半年の六ヶ月が経ったのですね。

月、5話ペースですから、おおよそ週一ペース。

実は、エセコラ自体は、数年前に一度、別のブログにて書いてました。

でもそれは、ほんの6話で終わってますから、再発信して30話は、私にしたら上出来であります。

以前は、コラム色が強く、時事ネタを題材にしていた分、自分の力量にそぐわないこと多く、

長続きしなかったのではないか、と自己分析しています。

いまは、思うがまま自由に、エッセイ色といいますか、己のことを中心にしているので、

案外、楽に書けています。

きょうのも、これから書くのですが、己のことを中心に、勝手気ままに綴りたいと思っております。

どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。




【エセコラ(30)】

『私の私小説』


自分がいつから物を書き始めたか、遡るにつけ、

ここでも以前触れていると思うけれど、文通していたことは外せない。

中学生三年のほんの三ヶ月だった。

小学生のころある合唱団に通っていた。

文通の相手はそこの校長の娘だった。

彼女との思い出は残念ながら殆どない。

文通後に会ったのも、高校生のとき一回と、結婚後すぐの27歳のときの二回しかなく、

その後、21年会っていないことになる。

お互い歳を取ったんだなあ、とこうして書いているときに思い出す程度だ。

詩を書いていた。

大学に入り、バイト仲間の同い年の男の子が、バンドをやっている奴で、

よくうちに泊まりに来ていて、彼がギター片手に作曲していた。

彼に、俺が曲作るから、お前は詞を書け、といわれ、歌詞もいくつか書いた。

大学に入るまでは、詩と童話を書いていたが、本を読む方が楽しかった。

小説なんてものは自分には書けない、と見向きもしなかった。

だって、こんなに面白い小説が既にあるんだもの、わざわざ自分で書くもんでもないだろう、とも思っていたから。

童話は、自分ではかなりいけてる、と思っていたが、誰に向けて書いてるのかわからないものばかりだった。

子供向けではなかった。

大人向けに、と思っていたが、それも結局は中途半端だった。

三十を過ぎた辺りから、投稿雑誌に何本か、ショートショートや童話を載せていた時期があった。

審査してもらって、それに通ると、お金を出して載せてもらうことが出来る雑誌だった。

そのときは、それは楽しかった。

なんといっても、自分の書いた文章が、活字となって本屋の店頭に並ぶわけで、毎回ワクワクしながら発売日を待っていた。

でもそこに書いたものは、果たして面白いのかどうなのか、余り気にしない自分がいた。

その雑誌も終わり、私は、転勤で奈良の地にいた。

ここでのことは、いろいろあり過ぎて、書き切れないので、割愛するが、

いま私の小説書きの原点になっている。

エピソードとしては、この奈良の地にいた僅か八年間であるが、一番多く取り上げている。

だが、この八年間に書いた小説は、たったの60枚だ。

詩はいっぱい書いていた。

書くことは少なかったが、人生経験だけは、高く積み上がったのか。

私が奈良から実家に戻ったのが七年前の41歳のときだった。

戻ったばかりのころ、一人の友達に声を掛け、会った。

彼は友達というより私の良き理解者でもある先輩だ。

彼は私にこういった。

「いままでなにやってたんだよ。急に電話してきて会おう、なんていうから、お金の無心にでも来たのかと思ったよ」

私は、ほぼ奈良の後半期、友人関係との連絡を絶っていたのだった。

そうじゃないよ、懐かしくなってね、みたいな、お互いの近況とか思い出話ししながら過ごしていた。

最後に彼が、いった。

「いま仕事探してるなら、また証券界に戻ってこい、といいたいところだけど、それより小説は書いてるのか?

本来なら、お前ならもうとっくに本の一冊や二冊出してなきゃならないのに、なにやってたんだよ……」

彼に幻滅された。

その帰り道、私は、菊地寛の言葉を思い出していた。

「小説なんてものは、四十を過ぎてから書くもので、若いうちから、ああでもないこうでもないというもんじゃない」

私は、自分の人生を物語にしたとて、誰が面白いと思うものか、

誰が共感なんかしてくれるものか、と書く度に、己の真実を語れないでいた。

それは怖かったからだった。

詰まらない人生を書いて、本当に詰まらないものだったときのことを恐れていた。

この四十にして、これまでの経験したことは無駄ではなかった、と思えるようになってきた。

いいや、無駄にしてはいけない、と言い換えた方がいいか。

彼が、彼だけは、私を認めてくれている。

それまで本当の自分を正直に晒して小説を書くことが出来ないでいた私が、

彼との会話のあと、その重い鎧が脱げたのだった。

ブログにしろ私は、ほぼ、この私を晒している。

嘘は書かない。

本来の自分をありのままにぶつけて物語も雑記も書く。

自分の歩いた人生が詰まらぬ物なのか、そうでないのか、それは私が決めることではないのだ、

とあの先輩は教えてくれたから。

しかしながら、私の書く速度は遅い。

ゆっくり、のんびり、それでも書く。

おそらくは、死ぬまで書き続けるのだろう。

それが、私の私流なのだから。

十五で始めた文通が、私の原点には違いない。

彼女のことを久しぶりに思い出した日になったが、

私の思い出す彼女は、いつの日も、若く美しい女の子である。

このことに、勿論、嘘はない。




〈エセコラ(30) 了〉
【エセコラ(29)】

『中村修二氏ノーベル賞受賞から』


一昨日のトップニュースとなった、日本人同時三人受賞のノーベル物理学賞のことに、少し触れておきたい。

青色発光ダイオードを製造、開発し、それを製品化したのが、中村修二氏である。

受賞発表一報から、中村氏を中心に、テレビはこぞって、受賞者の生の声を伝えた。

私は、中村氏はいずれノーベル賞を獲るだろうと思っていたが、一つだけ懸念材料があった。

懸念というよりは、受賞に際して、選考委員に対する印象に心配の種があった。

それは、報酬を巡って、在籍していた研究開発をした会社と裁判を起こし争った経緯があったからだ。

しかしながら、それは発明者にとっては当然の権利の主張であったと思っている。

中村氏は、インタビューで、

「ノーベル賞受賞はご自身早かったという思いですか、それとも遅かったですか」

という質問に対して、彼は、

「通常、物理学は理論だけで評価を受け、受賞に至っています。

発光ダイオードは既に製品化もされているわけで、それを考えると、遅いと思います。

ただ、年齢を考えると、早かったと感じます」

と答えている。

その他にも、中村氏のインタビューは歯切れが悪かったように感じたのは、私だけだろうか。

もっといいたいことがあったろうと感じた。

私は、今回の中村氏のノーベル賞受賞を心から願っていた。

それは、私のこのエセコラの25話『日本から技術者がいなくなる日』にも書かせて頂いたが、

正に第二、第三の中村氏が出てくるであろうと予感させたニュースがあった。

それは、日本の政府と経団連を中心とした大企業によって、

職務発明法案が改正されようとしているからだ。

第二、第三の中村氏とは、ノーベル賞レベルの人が追随するという意味ではなく、

中村氏のように日本を出て海外に拠点を移す、ノーベル賞レベルの技術者が増えていくのではないか、という懸念である。

繰り返しになるが、いま政府は、職務発明に対する法案を改正しようとしている。

それは、一職員によって発明された技術なり製品の所有権のありかの見直しである。

会社の経費、機材なり研究室を使って発明された技術や製品は、会社の財産である、とするもので、

追加で、その発明した個人への報酬額にはなんら法的保証する義務を企業側は、もたない、とするものである。

いまは、発明された技術や製品によって得られた利益に対して、開発者には一定の報酬がなされるようになっているが、

それを法律で取っ払うものである。

従業員には出来るだけお金を払いたくない企業が多い、ということなのだろう。

アメリカにも日本同様に職務発明についての所有権は、会社が持つケースは多いとのことであるが、

日本との違いは、事前的にも、事後的にも、その発明に対して、個人と企業間での『契約』をするのが通例である。

中村氏は、「アメリカンドリームがある」と答えていた。

裏を返せば、日本にはない、と聞こえなくもない。

日本に気を使って、日本を揶揄することはしなかった、大人の対応をとられた中村氏であったが、

話したいことはもっと他にあったように、私にはみえた。

安倍首相は日本の得意とする、技術開発には積極的に投資をする、

といつも話しているのに、なぜか法案は、逆に走っている。

栗原潔金沢工業大学客員教授のブログでの言葉をお借りして、

私なりの言葉でいわせて頂くと、

この法案の真の中身が、

「職務発明の度、従業員と裁判まで起こして揉めてしまうのは嫌だから、

研究段階からでも製品化されてからでも、お互いに納得をする契約ができる、

もっとスムースに契約の運びとなるための善き法案になるのなら歓迎する」

が、一報をみる限り、企業側有利な法案に改正しようとしているようで、

私は納得できていない。

少し前の話になるが、シャープの液晶テレビの技術も海外(韓国)に持っていかれた。

開発に従した社員に、きちんとした報酬を与えていなかったからなのだろう。

他へ行けば、もっと報酬がもらえるよ、きちんとした契約をしてもらえるよ、

となれば、やはり人は動く。

結果、シャープは事実上破綻した。

せっかくの日本の優れた、誇るべき技術が、このまま海外に流出してしまってもいいのか。

それを防ぐには、ジャパンドリームという、日本にいながらにしての正に夢が持てるようにする以外にないと思う。

金を溜め込むだけが仕事の大企業体質を早く改めてほしいと願う。

戦前の起業家はいった。

企業の企業たる意義は、社会貢献してこそ、存在価値がある、と。

この度は、中村修二氏のノーベル賞受賞を心よりお祝い申しあげたい。


《エセコラ(29) 了》

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【エセコラ(28)】

『自己犠牲の教え』



月替わって、10月1日は、ある意味特別な日となった。

私の年下の友達、フルーティストFUKUさんが、私の会社に転職してきたのだった。

私の会社は清掃業である。

FUKUさん、彼は清掃なんて経験ない。

でもおよそ6年前の私もそうだった。

清掃ド素人だった。

清掃業とは、通例、経験者が有利なようなのだが、果たして、本当にそうなのかな、

と私は、思う。

経験者は、「あれとこれとそれをやってね」といえば大概の仕事はこなす。

素人は、付きっきりで手取り足取り指導しなければならない分だけ、雇う側からは面倒なのは確かにある。

だが経験者は、自己流を持っている。

失礼だが、その自己の流儀は、大概が中途半端なものだ。

掃除機の掛け方が雑だから、もう少し丁寧にするよう注意しても、

自分流の長年培った手法と動作でもって行うため、変えようとはしない。

寧ろ、自分はちゃんとやっている、と反論してくる。

清掃業はお客様あっての商売、サービス業なのだから、お客様への対応、挨拶はしっかりすること、

とわかり切ったことまで注意しなくてはならないときもある。

職人気質の人などは、挨拶は二の次になり、ひたすら作業に没頭してしまいがちだ。

その点、未経験者は、至って素直だ。

こちらが要求することはなんでも一つ返事で行ってくれる。

仕事は、ゆっくりだが丁寧だ。

お客様からは一生懸命やっている姿が安心感を生む、と評判は寧ろ良い。

初めて体験することだらけだから、どんな面倒な仕事も、

清掃業ってこういうものなのだな、と受けとる頭も柔らかい。

昨日、きょうと、FUKUさんの応対、作業をみていて改めて感じた。

彼は、うちの会社においては、将来のエース、幹部候補である。

あわよくば社長になって貰いたい、と思って、そのつもりで入社してもらったし、叶えてほしいと思っている。

昨日、彼に、話したことがある。

それは、

「自己犠牲の精神で日々を過ごす」ということ。

他人のために自己を犠牲にすることを常にいれば、世界は広がる、との私の考えをそのままに述べた。

誰か困っている、疲れている人、この場合、作業員であるが、

率先して声をかけ、手伝ってあげる。

上司や同僚から、仕事のお願い、手伝いを頼まれたなら、

出来ない、と即答するのでなく、取り敢えずやってみる。

物理的に不可能でない限り、やってみる。

そうすることが重なるにつれ、下からも上からも信頼されていくものだ。

仕事上、FUKUさんに頼めばなんとかなる、と思わせたら勝ちだと思っている。

無理かな、と思ってやってみると、案外出来たりして、それが一つステップアップすることに繋がる。

成長した証しである。

ベテランは、仕事の中身を知っているから、同じ賃金なら容易な方を選び、常に複数の仕事を天秤に架けてしまう。

容易な方に流れれば、その人の成長はない。

どうせやるなら、文句を言わず、嫌な顔一つ見せずにやることだ。

そこに信頼関係が生まれるのだから。

彼の転職一日目に、そんな話をさせてもらった。

朝、四時に起きて、朝から、日中、そして夜と仕事して、家に帰れるのは、夜の9時である。

FUKUさんがこのスケジュールで、三年我慢して頑張れば、未来は開けるだろう。

私もそうだったから。

そうして来たから。

この業界に入った年齢も、FUKUさんと私は同じ、42歳。

自己犠牲の精神を持って、頑張れ!

FUKUさん!

と、エールを贈った、私、48歳の10月1日であった。

きょうはビールないけど、うまいサンマの塩焼き食べて精をだそう! とご馳走した、

FUKUさん、あと一月で42歳、私、既に、48歳になって久しい、10月1日のランチタイムを二人仲良く過ごした。




《エセコラ(28) 了》
【エセコラ(27)】

『神戸少女バラバラ事件』



とても酷い事件が起きた。

少女を誘拐し、殺し、更には死体に傷を付けバラバラにするなどとは。

一昨日の晩に、行方不明の少女が死体となって見付かった模様だ、というニュースを聴き、

ああ、またしても幼い子供の命が奪われた、と残念な気持ちでいっぱいになった。

22時には、警察が記者会見をすると発表されていたが、なかなか、なされずにいた。

そうこうするうちに、とうとう日付が変わってしまっていた。

そのとき私が感じたことを正直に申すと、

腐乱の進みが酷く、身元確認に手間取っているのかな、

まさか死体の一部分だけなのか、ならばバラバラ殺人事件なのだろうか、

と思っていた。

一夜明けた昨日の朝の一報で、それが最悪のバラバラ殺人事件であったと判明する。

私は、すぐにあの「酒鬼薔薇聖斗」のことを思い出していた。

もう、17年も前のこととなる。

犯人が中学生であったことで、記憶に残る大事件だったと思う。

私は、今回の犯人もまた、この酒鬼薔薇のように、少年なのではないか、と疑った。

ネットを紐解けば、酒鬼薔薇聖斗のことはいくらでも出てくる。

顔写真まで公開されているらしい。

私は、そこまでは見たいとも思わないので開きはしなかったが、子供でも簡単に閲覧出来てしまう。

彼を崇拝する者もいるだろう。

彼の犯行時の気持ちが事細かに事実に基づいて書かれている。

私は、酒鬼薔薇事件の翌年に文藝春秋が発表した、

供述調書全文を読んだことがある。

ホラー映画さながらの描写にヘドと涙が吹き出た覚えがある。

いまこれに近い形のものならネットでいくらでも読むことが出来る。

「自分と同じ感情だ、そうだ快楽とはこういうものだ、ぼくも酒鬼薔薇と同じだ」

と思う少年少女がいてもおかしくないと思った。

「酒鬼薔薇聖斗になろう」

と思ってしまう者もいるかもしれない。

昨日の昼には、容疑者逮捕の一報が入った。

47歳の男性だった。

逮捕の切っ掛けが、死体を入れた黒いビニール袋の中に、

名前の入った診察券とタバコの吸殻が入っていたから、とのことだ。

容疑者が馬鹿でよかったのか。

犯人が自分で「犯人ですよ」といっているような、滑稽さで幕が閉じた。

犯人がこんなミスを犯すだろうか、とも感ずるが、

今後新たな進展をみせなければいいと願う。

狙われるのは、いつも弱者だ。

ナメクジ、カエルの虐待虐殺が始まりで、

猫の虐待虐殺、そしてその刃の向かう先の最後が必ず、少女だ。

年端のいかない少女だ。

まだこれからたくさんの楽しいこと、辛くも楽しいことが待ち構えていたはずの幼い子供ばかりだ。

もう、やめてくれ、こんな事件。

なくなった少女のご冥福をお祈り申しあげて、終わりとする。


《エセコラ(27) 了》

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きょうの東京は朝方雨がしとしと降っていた。

傘も持って出た。

いま九時を過ぎ、青空がみえてくる快晴へと変じている。

今夜は満月なのかな。

昨晩の中秋の名月を拝めなかった私としては、今晩、大きな月がみられることを期待したい。

きょう久しぶりにJRの浜松町駅に降り立った。

品川方面のホームに小便小僧があるのは余りに有名な話しである。

この小僧さん、毎月衣装替えしている。

今月はどんな衣装かな?

お祭り法被姿だった。

チロチロと小便、いいやお水を弧を描いて振り撒く姿は案外かわいい。

私は、小僧さんに問いかけた。

「小便小僧 お前なに思い

         そこにいる」

返事は……、ないな。



【エセコラ(26)】


『自己嫌悪の裏側』



十年ほど前だろうか、ブログで、自作の詩を記事に挙げたことがある。

その詩を読んでくれた方の一人のコメントに私は、頭をガツンと叩かれた。

詩の内容は、自分を蔑むような、なんで自分のようなものが生きているんだ、

みたいな内容だったと思う。

それについて書いてくれたコメントが、

「自己嫌悪に陥る人は結局、自分が好きなんですよ」

と要約するとこのような内容だった。

私は、不覚にもそれまで気付かなかったのだ。

自己嫌悪、自己を嫌悪する、自分が嫌いになる。

でもそれは、いままでは、自分が好きだったからなのだ。

元々自分が嫌いな人間には、自己嫌悪の感情はない、極端にいうとそうなる。

そうか、自分は己れ、かわいさにいままで、独りよがりの我が儘でいたのだ……。

と、またそこで自己嫌悪に陥る。

私が自己嫌悪に陥るときは、いろいろあるが、

仕事で失敗したとき、

酒で失敗したときが最も多いか。

家族になにもしてやれない自分にも思うときがある。

生きていれば誰でもなる感情、それが自己嫌悪だと思う。

自己を嫌って、もっといい自分に生まれ変わるためには、必要だとも感じる。

自己嫌悪の裏側には、自己愛があることを知った私は、

自己嫌悪に陥っても、余り悩まなくなった。

勝手な解釈になるが、自己嫌悪が深くなればなる人ほど、自己愛が強い人間だと思う。

自分を過大評価し過ぎて、こんなはずじゃなかったのに……、

と悩みは深くなろう。

牽いては、自殺への道にまっしぐらになり、危険信号でもあるのが、

深い自己嫌悪であり、強い自己愛なのだと思う。

両者は相反するものであるが、リンクもしている。

あさければ、相手も浅く弱い。

自己嫌悪を無くすことは無理としても、上手く付き合うことで、人の成長もそこにあるのだ。

あのコメントをくれた方には、本当に感謝している。

なぜこんな昔のことを思い出したのだろ。

それは恐らく、先日、僅か12歳の女の子二人が自殺を図ったニュースにあるのかもしれない。

彼女らもなにかに自己を嫌悪し、大きな自己愛を互いに持ち合わせた結果が、

このような悲惨な事件を招いたのかも知れない。

まだ大海を知らない幼さ故、思い詰めてしまい、

周りに意識や目が向かず、その自己愛とともに自己嫌悪を深く強いものにしてしまったのだろう。

亡くなられた子にはご冥福をお祈りしたい。


《エセコラ(26) 了》



小便小僧が、なにかいっている。

下の句を呟いているようだ。


「もらった命なら

   いつか華咲かせや」


小便小僧、ありがとう。


ではね。

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