|
今年も早くも、6月に入ってしまい、一年のおよそ半分が過ぎようとしておりますね。
きょうは生憎の雨降りの一日でしたが、ついきのうまでは、暑い日も続きました。 熱中症対策は抜かりなく過ごしたいと思います。 皆様もどうぞお気をつけください。 さて、先日、前回のブログ記事でもお話ししましたが、なんともヘンテコな夢をみた私でありますが、 この夢をひとつ、夢占いでもって、いったいなにを暗示しているのか、 エセコラとして、自分で検証してみたいと思います。 【エセコラ(10)】 『ヘンテコな夢 自分で夢占い検証してみた』 人は毎日、夢をみているといわれている。 しかも、ひとつの夢ではなく、いくつもみているというのだ。 大概は、起きたら忘れてしまっている。 覚えている夢は、いくつもみたうちの最後の夢だそうだ。 私の場合、起きる直前まで覚えているのに、起きたら忘れてしまう、ということが結構多い。 ああ、いい夢だ、と夢みているときに、これは夢だとわかっていて、この話しは覚えておきたい、忘れないようにしなくては……、 と必死に反芻して覚えるための努力をするも虚しく、起きると忘れている。 これほど悔しいことはない。 いい小説が出来たかもしれないのに、 と苦虫を噛むこともしばしばある。 夢は何故みるのだろう。 「赤ちゃんも夢をみるのかしら……」 の台詞はコマーシャルで有名になったが、 赤ちゃんも夢をみるらしい。 夢をみるのは、その人の願望であったり、気になっていることがあったりすることが影響すると思うのだが、 算段論法からすると、口の聞けない、普段泣いてばかりいる赤ちゃんにも、 ああしたい、こうしたいという願望を持ちあわせている、ということの証明がされる。 人の生活が影響されて夢に反映されていることから、夢占いなんかも生まれているのだろう。 夢には暗示がある、という前提の占いであり、説得力あるかどうかは別にして、面白いとは思う。 素直な私は、霊の存在も信じているし、UFOも信じている。 大切なことだから二度いうが(笑)、「素直な私」は、夢占いというのも案外あり、だと思っている。 先日みた夢(前回のブログ記事を参照)は、いい夢とか気持ち良い夢とか、そういうことでなく、 余りにも奇妙な夢過ぎて、へんに意識しないで、印象的であるが故、覚えていた。 せっかくなので、夢占い検証してみたいと思う。 夢の内容は、前回のブログ記事を参照して頂きたい。 その内容から、キーワードを拾って、ググってみた。 キーワードは、 鞄、鞄を拾う、洞穴、 本、盗まれる、そして最後が芸能人。 夢ココロ占いというところから検索してみた。 「鞄」 夢の印象が良かったり貴重品が入っている夢なら、いま抱いている願いが叶うなど、運気上昇を暗示する。 しかし、印象が悪い夢だったら、なにか不安に思うことがあったり、失ないたくないなにかがあるようです。 金銭面でピンチが訪れるかもしれない。 大きな買い物など控えた方がよさそう。 とある。 これは、中身が本だったのだが、夢の印象は悪くはなく、寧ろ良かった方なので、 いま私が抱いている願いが作家志望であるから、本を出せるのかも! と良い方に考えておこう。 「鞄を拾う」 良い夢です。 金運に恵まれたり、嬉しい知らせが舞い込むなど、幸運を暗示する。 拾った鞄の中に貴重品などが入っている夢なら、より大きな幸運に恵まれるでしょう。 お、これは、そのままの解釈でいいのではないだろうか(笑)。 中身が本だったが、私にとって本は正に貴重品だ、と良い方に考え、幸運に恵まれるかもしれない! 「洞穴」 物事が行き詰まることを暗示する。 困難な状況が待っているかもしれません。 またなにに対しても、消極的になっているようです。 それは自分に自信が持てずにいるからかもしれません。 洞穴から出る夢なら、少しずつ運が開けていくことを暗示する。 自信を持って行動することが、開運に繋がるでしょう。 これは、正にいまの私が行き詰まっている状況と合致する。 評価されないが故、消極的になっている。 今回の夢では、洞穴に入って出てくるので、 自ら苦難に立ち向かい、それを乗り越えるのだ、とこれも良い方に解釈しよう(笑)。 「本」 知識を得よう得たいと思っているようです。 自分をレベルアップしようという向上があるし、また学ぶべきことや吸収し、身につけていかなければならないことがあるのでしょう。 運気は上昇の兆し、充実を感じて生活出来そうです。 そうです、もっと人を惹き付ける文章を書けるよう、日々勉強なのです。 でも大量の本だったので、かなりの勉強が必要のようだ! 運気上昇の兆しがあるのは、良しとしよう(笑)。 「盗まれる」 なにかを盗まれる夢は、幸運を暗示する。 夢とは反対になにかを得たり、ラッキーなことが舞い込んでくる気配。 特に金運や仕事運に恵まれるでしょう。 夢の中で盗まれたもので意味合いが変わるので、物と重ね合わせた解釈をしましょう。 盗まれる夢が幸運を暗示するとは、ビックリしたが、私の夢で盗まれた物は、 本と自分のでなさそうな財布から盗られたお金……。 本はいいとして、他人のお金、というのがどう解釈すればいいのか。 他人が幸運になって自分も幸運を掴む、というと他力本願っぽくなってしまうが、幸運来るなら、善しかなあ(笑)。 これはひょっとして、共作が吉なのか? 最後、 「芸能人」 もっと素敵な自分になりたい、注目して欲しい、という願望を表します。 周囲から良い評価を得たい、認めて欲しいという気持ち、自分はどうみられているのか知りたい、など、 周囲からの目を気にしているのかもしれません。 また夢の中に現れた芸能人は、その本人を表しているのではなく、芸能人の姿をしたあなた自身か、 身近にいる誰かのことを示す場合がある。 その芸能人の個性や、あなたが抱くイメージ、夢の中での行動や態度などから、 その象徴される人物を探り当てることが必要です。 しかし、ただ単に、テレビなどの外的な情報から刺激を受けて夢に反映することもあり、メッセージ性の少ない夢もあるでしょう。 ううん、やはり自信の無さから、他人に認められたい、評価されたい、と思っているのかしら……。 私自身、そんなに意識しているつもりないのだけれど、潜在的に感じているところなのかも知れない……。 総括してみる。 私の運気は上昇傾向にある。 あとは、自信を持って、自分を信じて、願望に向かっていけ! 金運も仕事運にも恵まれているぞ! ということになったのだが(笑)。 要は、占いとは、自分に都合良く考えてこそ、占いなのだ、 と私は思っている。 《エセコラ(10) 了》 |
エセコラ
[ リスト | 詳細 ]
|
きょうの東京は暑いくらいの快晴で、すっかり汗ばんでしまいました。
天王洲に現場があって、週に一度は、芝公園から浜松町を歩いて、モノレールに乗っている私です。 本日のエセコラは、浜松町〜大門〜芝公園の散策なぞを綴ろうかと思います。 ブロガーさんのおかぴろさんがしょっちゅう通っているという、 さくら肉天さんにも初めてお伺いし、とうとうデビューしてしまいました(笑)♪ エセコラ(9) 『散策日記 浜松町〜大門〜芝公園』 毎週水曜日、私は、天王洲アイルの現場に足を運んでいる。 毎回、会議があるのだ。 会社のある神保町から天王洲アイルまでのルートは数あるが、 最近お気に入りのルートは、まずは徒歩で神田駅へ行く。 そこから山手線で浜松町を経て、モノレールで天王洲アイルまで行く。 帰りは、逆に天王洲アイルからモノレールで浜松町に戻り、そこから山手線に乗らないで、 下車して芝公園まで歩く。 そして都営線で神保町へ帰ってくる。 天気の好い日は最高のコースと思っている。 浜松町の山手線外回りのホームの品川寄りに、珍しいものがある。 小便小僧だ。 結構有名であるので、知っている方も多いと思う。 小便を勢いよく放出する、元気な小便小僧だ。 地元のボランティアの方により、季節毎だったり、催し物毎だったり、 いろいろ衣装を替えられることでも、彼は、人気ものである。 この写真は、本日撮影したものではなく、5月7日のものであるので、 男の子の節句ということだろうか、 桃太郎に扮していた。 きょうは、みてくるのを忘れてしまって、どんな衣装を身に纏っていたか知らないのだけれど、 サッカーのワールドカップも近くなので、きっとサポーターに扮しているかも知れない。 来週は、必ずみてこようと思う。 次の写真は、その小便小僧のいる、JR ホームのエスカレータである。 なんでそんなものを撮って、わざわざ皆さんにお披露目するか、というと、 このエスカレータ、滅茶苦茶、速いのである。 おそらくは、通常のエスカレータの倍の速さなのではないか、と思う。 とにかく速くて、一番初め、知らないで乗った私は、身体が着いてゆけず、 後ろに倒れそうになったほどだ。 足腰の弱いお年寄りには、危険なのでは、と心配してしまう。 ちなみにモノレールのホームへ向かうエスカレータも速い。 浜松町の利用客はそんなにもせっかちな人間が多いのだろうか……。 この写真のエスカレータなのだが、写真ではその速さが伝わらないのが残念だ。 エスカレータの写真を撮り終えて焦った。 盗撮と間違えられるのでは! と冷や汗出たが、盗撮もなにも、堂々と写していたので、誰も気にしていなかったようだ。 よかった、よかった。 そして、浜松町といえば、羽田空港を繋ぐ、モノレールは外せない。 私は、浜松町と天王洲アイルの一区間しか利用しないのだが、 このモノレール、その一区間だけで、かなりのスリルを味わえる。 是非とも、浜松町から前に向いて左側に席を取ってほしい。 急カーブあり、そのカーブはかなりの角度で攻めてくれる。 上下動も激しい箇所あって、ちょっとしたジェットコースターの感を味わえる。 さて、本日、現場からの帰りは、浜松町から芝公園までの散策をした。 天気もよくて気持ちよかった。 ここ浜松町〜大門〜芝公園は、徒歩でも10分から15分圏内で、 JR山手線、京浜東北線、モノレールの浜松町駅。 都営浅草線、都営大江戸線の大門駅。 そして芝公園もしくは御成門駅で都営三田線。 と実に、6本の電車が交錯している地区である。 建物も土地開発もされて、新しいビルがにょきにょき建っている。 芝公園の方に行けば、緑も豊かだ。 私は芝公園駅を目指した。 すると、ブログ仲間のおかぴろさんがご紹介していたお店が、確かこの辺りだったなあ、 と思いだす。 丁度お昼時だし、覗いてみようか、と脇道へ入る。 12時を少し回ったところで、サラリーマンの雪崩が起きていた。 いや津波か……。 信号が変わると同時に人、人、人の波。 なんだか人に酔うとはこのことか、と思うほどだ。 やはりこの界隈は都会だ、と改めることもないことだが、そう思ってしまった。 おかぴろさんが紹介してくれていたお店、発見した。 無事辿り着けた。 「さくら肉天」という天ぷらとうどん、そばのお店である。 混んでいるかなあ、と思ったら、二席くらい開いていた。 食券を先に買うシステムで、なににしようか、と選ぶのだが、メニューが多過ぎて迷う。 そうこうしていると、次の人が私の後を並んでいる。 慌てて、ポチと押したのが、さくら肉天丼だった。 これだ。 メインは豚肉の天ぷら。 とても美味しかった、けど慌てていたので、大盛りにするのを忘れてしまった。 食べながらも、この客の中に、クソゲーマーがいるのかしら……、 とキョロキョロしつつ、マスターのお顔をチラ見しつつ、 「おかぴろブログから来ました♪」 という例の合言葉を言おう言おうと、 タイミングを探しつつ、黙々と天丼を食していた。 結局、お昼の真ん中で混雑もしていて、 この大人数の客を前にしては、さすがに恥ずかしさも先に立って、 いえなかった……orz 時間ずらした方が良いようだ。 お腹も満たされ、会社へ戻るため、芝公園駅へ。 やはり最後はここだろう。 東京タワー♪ 日比谷通りを挟んである歩道は木に覆われた、ちょっとした避暑地である。 その他にもここ浜松町〜大門〜芝公園には、美味しそうなお店、料亭っぽいお店もたくさんあった。 こんどは、是非とも夜に来てみたい、と感じた。 さてさて、仕事の時間となりました。 《エセコラ(9) 了》 |
|
半リを三戦して、 3→3→1 なかなか勝てませんね。 でも、見せ場あって、写真撮り損ねたのが悔しいけど、テンパイだけ、四暗刻単騎待ちに! まだ山は結構あって、ドキドキしていたんだけど、結局、上家に和了られてしまった。 この勝負は三着に終わる。 最後の三戦目は、起家でいきなり、五巡目でドラ2をツモって6000点頂き♪ その後も、平和ドラ2の5800点頂き、そのまま波に乗れた。 そのままトップで、しかも四着が黄龍様で、珠一つゲットし、覚醒珠も獲得出来て、 この日の珠プラスマイナス0で行けて、ここで終了としました。 さて、暇なとき、私は、YouTubeなどで心霊動画を観たり、 無料アプリの怖い話しを読んだりしている。 ほんと暇潰しは暇潰しでしかないのだけれど、 霊の存在は信じている。 きょうのエセコラは、私の心霊体験から霊の存在についての話しを綴ろうと思う。 閲覧注意……。 ……(嘘)♪ エセコラ(8) 「守護霊を信じることのお奨め」 いまからおよそ五年前、私は霊体験をした。 当時、私は、五十肩に悩まされていた。 右腕が上がらない。 スーツを着るのも一苦労だった。 上がらない右腕から、そうっとスーツの袖を遠し、左手で右肩を固定させ、スーツが落ちないうちに、左腕を素早く通す。 なんでも左腕一本でしなければならなかった。 そのときは、まだコンピューター関係の仕事をしていたから、五十肩によって仕事に支障を来す状態ではなかった。 二月くらい苦しんでいただろうか。 もう少し長く痛みを伴っていたかもしれない。 そんなあるとき、転職の話しが舞い込んできた。 以前にもお話ししたと思うが、いま仕事としている、清掃会社である。 清掃といえば、身体が資本の仕事だ。 五十肩では、高いところに手が届かないばかりか、右肩が痛いことで、一つ一つの動作が遅くなる。 初めての仕事で、ただでさえ不安なのに、このままでは、五十肩という、 余計な不安要因を抱えての入社になってしまう。 面接を受ける前日のことだった。 普段からそうなのだが、私はいつものように、うつ伏せで寝ていた。 そのときは、両手を頭よりやや上に出した、半分、万歳をした状態だった。 両方の手の甲に冷気を感じ眼が覚めた。 その冷気は、私の手の甲を上から指を絡めるように握ってきた。 うっ、なんだこれは、と思う間もなく、私はぐいぐいと両腕を引っ張られらる。 丁度、海老反りのような形だ。 私は、ああ、あの世に連れていかれる、と思った。 なんとかしなくては。 渾身の力を込めて、引っ張られる腕を引き戻しにかかった。 力はお互い拮抗し、私はどうにか膝まつくまできた。 そして引っ張る者が何者かはわからぬまま、それを背負う形で立ち上がった。 拝むような格好になっていた。 寝室には姿見があるのだが、立ち上がった私は、その鏡の前まできていた。 私はそのとき姿見に映る白い影をハッキリとみた。 肩越しに白い靄が炎のように揺れている。 そのなかに、そっぽを向いて腕組みをしている、眼鏡をかけた男の人がいたのだ。 私は白い靄を引っ張っていたように思う。 段々と力が入らなくなってきた。 また私は引き込まれそうになった。 そのときだった。 そっぽを向いていたその人は、必死になっている私の方に一瞬顔を向けたかと思うと、そのまま消えてしまった。 私は引っ張っていたゴム紐が切れたときのように、布団に投げ出され、うっ潰してしまった。 そのまま眠ってしまった。 朝になり、眼が覚めると、夜中の格闘のことを思い出し、手の甲をみた。 指の付け根のところが、全て赤く腫れていた。 そして、服を着替えるときに気付いたのだが、いままで苦しんでいた五十肩が治っていたのだ。 腕を挙げても痛くない。 肩をぐるぐる回すことも、以前の通り出来るようになっていた。 恐怖というより、不思議な体験だった。 霊が私の五十肩を治してくれた。 これから身体が資本の仕事に就くのを承知しているかのように、彼は私の病を治してくれたのだ。 きっと彼は、私の守護霊だったのだ、と思っている。 守護霊とはその名の通り、自分を守ってくれる霊である。 守護霊については、「うしろの百太郎」に詳しい解説付きで載っている。 ご先祖だったり、全くの他人だったりする守護霊であるが、 一人に6人くらいついてくれているらしい。 多い人だと、十人を越えている。 有名人などは、このクラスらしい。 野球が上手い人には野球の上手い守護霊がついているし、才能と呼ばれているものを持っている人には、 この守護霊自身に才能があり、影響されているという。 酒好きの人の守護霊も、やはり酒好きだ。 守護霊もその人についていることが居心地良いからいるので、 当人が、なにかしでかして、居心地悪いと思えば、見捨てられてしまう。 守護霊は、何処かへ行ってしまうのだ。 少なくなると、三人くらいまで減ってしまうが、こうなると運もつかなくなるという。 運を逃すとか、運に見離される、とかいうのは、この守護霊が逃げて行くことをいっているのかもしれない。 幽霊というとにわか信じ難いが、守護霊というと、現実味が増してくるのではないだろうか。 私たちが幽霊と思っているのは、私の考えとしては、 この世には、違う時空がもう一つ存在し、その時空で生活している生き物が、ときどきなにかの拍子に現れているのではないかと思っている。 彼らと私たちは、いつでもどこでもすれ違って生きているのではないだろうか。 だから、光の波長が合ってしまって、それを可視出来る人間がいてもおかしくないし、 子供や動物には、その可視出来る特殊な波長を持ち合わせていて、見えているのかもしれない。 幽霊の小噺として面白く納得いくものを一つご紹介しておくと、 テレビや小説で出てくる幽霊は、どれも髪の長い女性であるが、これは、 幽霊の社会には床屋も美容院もないから、髪を切れないんだよ、 ということらしい。 これは余談が過ぎたが、私は、守護霊の存在を信じている。 自分の守護霊を増やすためには、守護霊にとって居心地の良い環境を作ることが大切である。 自分が魅力的な人間になる、ということが、なによりの近道である。 自分の戒めとしていつも考えていることであるけれど、なかなか簡単なことではない。 けれど、その努力をする動機付けとして、守護霊を信じることも、一つの方法だし、 無駄ではない、と私は感じているのだが、皆さんは如何だろう。 〈エセコラ(8) 了〉 |
|
きょうの関東地方は、雨が降ったり止んだりのとても変な天気だった。
降ったら降ったで、大粒の強烈な雨。 かと思いきや、止んだら止んだで、太陽が覗きみていた。 さて、前回のエセコラで、身を削って小説を書く、というような話をしたが、 身を削るのはなにも小説だけとは限らず、エッセイにしろ、作曲にしろ、彫刻や絵画、 およそ創作には、付き物と思う。 自分を晒す、さらけ出す覚悟がないと、作品自体の魅力もなくなるだろうし、 嘘は嘘で、他者には直ぐに見破られるものと思うのだ。 しかし、なかなか自分を晒すというのは、普通は憚られるものだし、恥ずかしさもあるだろうし、 私も若いうちは、恥ずかしさが先に出てしまって、出来なかった。 これらブログにしろ、総てを晒してきたか、というと、自信はない。 いまは自分を晒すことは出来ているけれど、それが必ずしも作品の質と比例するものでもないのが残念だ(笑)。 小説は勿論フィクションだから、総て真実を書く必要はないが、 変に格好つけたり、よそ行きの言葉で書いても、それはメッキでしかなく、 いずれ剥がれ落ちてしまう。 どんなに拙い作品であっても、自分の思いや言葉で、真実を書いたものには勝てないという、思いに至った。 プロの作家にしろ、人気ブロガーにしろ、彼らは皆、自分の思いを自分の言葉で、 それこそ身を削って綴っているからこそ、その位置にあるのだ。 この思い、本当の意味において、心の底にある真を語る域まで行き着けた、その人こそ、 作家となれるのだろう、と思う。 なんでこんな話をするかというと、 4年前に書いた文章を先程読み返していて、恥ずかしく感じたからだ。 当初としては自分では精一杯の真実を語っているつもりでいたが、 なんとも、よそ行きで、他人語りの文章でしかなかった。 本当は、義理娘のことを書いたのだが、当時の中では、知人の娘、として登場する。 真髄に行き着くことない、どこかで聞いたことのある、ただのエピソードでしかなかった。 前置きが長くなってしまったが、 本日は、これを大幅に手直しし、真を語るエセコラとして綴りたいと思うのだ。 【エセコラ(7)】 「家族への階段」 以前私は、奈良の地で一軒の小さなお店を持っていた。 居酒屋であった。 そこでの開店当初の話である。 当時付き合っていた女性に、娘がいた。 その娘は、入ったばかりの高校を中退してしまった。 高校を辞める直前、母親から相談を受けていた私は、嫌がる義理娘と話し合いの場を設けた。 「何故、高校辞めるの?」 「早く働いて、お金稼ぎたいから」 彼女は私と目を合わせず、にべもなくいう。 それが彼女が高校を辞める理由だった。 「本当にお金を稼ぎたいのなら、先ずは高校を卒業して、大学入って、就職して、 一見遠回りのように思えるけど、本当の意味においてのお金は、この方が稼げるんだよ」 私は、教科書通りのオトナぶった回答をした。 私はまた続けて、こうもいった。 「いまここで高校辞めたら、あなたの学歴は中卒になってしまうよ。 (新聞の求人広告を広げて)みてごらん。この中のどこに学歴の条件に中卒以上ってある? どれも大学卒以上でしょう。良くて高校卒だよ」 学歴なんかどうでもいいと思っている彼女に、こんな私の言葉が心に響くわけもなく、 ではどういえば良かったのか、当時の私には、考え及ばなかった。 彼女は完全にオトナをなめていた。 自分は子供じゃない。もう早いところ家を出て、独りで住みたい。 彼女は、ついには、そんなことをいいだした。 私の説得は失敗に終わった。 当時の私も彼女のことを自分の娘とも思っていなかったし、 反って、いつも我が儘ばかりいう迷惑な子だ、くらいに思っていたし、 疎ましくさえ思っていた。 そんな私の心理なぞ、恐らくは、彼女に見透かされていたに違いない。 彼女にしてみたら、母親を獲った、悪い奴と思っていたのだ。 結局、彼女は高校を辞めてしまった。 家にも寄り付かなくなった。 それからしばらくして、母親から、また相談を受けた。 いざ高校を辞めて、働こうと思ってはみたものの、十五の女の子に世間は冷たかったようで、 探せど探せど、アルバイトすら見つけることが出来なかった。 彼女も、言葉にこそ出さなかったが、ある程度は、思い知ったようだ。 私の店で働くことになった。 働き始め、彼女は、良く頑張っていた。 彼女の気の強さもあって、なにくそ、と黙々と仕事していた。 私も満足だった。 何より母親が一番安心していた。 働き始めて、二週間くらいしたころ、珍しく彼女が私に相談を持ち掛けた。 「友達がアルバイトしたいっていうんだけど、一緒に働かせてくれないか?」 私も彼女の頑張りをみて、一人くらいならいいか、と快諾した。 そのお友達も高校を中退していた。 二人になってもそんなに目立ってつるむわけでもなく、二人して元気に働いてくれていた。 彼女ら二人を前にして、こんなことをいったことがある。 「本来なら、楽しい気楽な学生でいられたのに、 君たちは敢えて世間の荒波に他人より早く出てしまったわけだから、 それなりの覚悟を持たないと駄目だよ。 君たちが一人立ち出来るようになるまで、ビシビシ鍛えるからね」 と先生気取りで、いったりして、私は私なりに彼女らに誠意をみせつつ、厳しく接していた。 それでも彼女らは、私のいろいろな苦言、小言にも耐えながら、一生懸命やってくれていたと思う。 一月が経ったころ、また彼女はいった。 「もう一人友達を働かせてほしい」 そのお友達も高校を中退してしまった、とのことだった。 私は、えい、もうこの際、全部引き受けて、更正施設の一つにでもなってやろうじゃないか、の思いで受け入れた。 これが、まずかった。 女の子三人だ。 女三人寄ればかしましい、ならまだ良かったが、もうやりたい放題だった。 遅刻は当たり前になり、休憩時間は守らない、 一旦出ていったら、いつまでたっても帰ってこない。 挙げ句、隠れて煙草を吸っていた。 私もぶち切れた。 延々、三十分は説教したか。 彼女らはいった。 「オトナの星さんに、そんなに頭ごなしにいわれたら、 私たち子供は、もうなにもいい返せない」 こういうときだけ子供になる。 隠れて煙草も吸い、酒も飲み、格好だけはオトナの真似をし、 子供扱いすると、親も困らせるくらい暴れるのに。 彼女らは、その日を最後に、三人とも辞めた。 義理娘は、その後、家を出たり入ったりを繰り返して、 いつの間にか、黙って、奈良の地を捨て、東京に出てしまった。 そんな彼女も、いま二十五になった。 あっという間に十年が過ぎた。 彼女もオトナの仲間入りをした。 だいぶ落ち着いてきた。 いまは母親もこちらに出てきて、三人仲良く一緒に暮らしている。 昨年、義理娘と初めて二人きりで飲みに行った。 行き着けの店で、彼女を紹介しようと、私が話そうとしたときだった。 彼女が私を遮り、こういった。 「うちのおとんが、いつもお世話になってます」 私は涙が止まらなかった。 そんな私の姿をみて、彼女は笑っていた。 十年前のあの日、彼女が高校を辞めると言い出したとき、 何故もっと本気でぶつかれなかったのだろう。 お互い遠慮もあったと思う。 本当の親子でないが故、互いの腹の探り合いをしてしまっていた。 私は、彼女から母親を奪ったいやな男だ、という負い目がずっとあった。 もっと早くに彼女の懐に飛び込んで、本音で話し合えば、 こんなに遠回りしなくて済んだのかもしれない。 けれど、いまにしてみれば、決して無駄な時間ではなかった、と思える。 いいや、思いたい。 いま、私たち三人は、ずっと留まっていた、家族への階段を、ようやく一段昇ることが出来たのだ。 〈エセコラ(7) 了〉 |
|
もう疲れが溜まってしょうがない……orz もう歳なんだなあ……。 ┐('〜`;)┌ で、日曜も14時起き……。 庭の草刈り(むしり)して、飯も食わずに、ゲーセンへ♪ 半荘リーグがCなもんで、少しでも上げようと思い、無理無理行った次第なのだった。 きょうなんとか、トップ獲れて、Bクラス確定だけはしたけど、珠が増えな〜い♪ C なだけに、段位様オンリーなんて当たり前にあって、なんかひどい麻雀している人がいるのは仕方ないのか……。 きょうの最後の一局は悔しかったな。 オーラス親で、二着。 トップには5000点差。 なかなかテンパイ出来ないでいて、終盤になんとか平和ドラ1をテンパイ。 これで流局でも二着だからいいや。 て思っていて、思惑通り、流局♪ と、思ったら、三着の黄龍様が、 流し満貫だって!! (ノ-_-)ノ~┻━┻ 逆転でトップ獲られて、三着に終わった私は、折角獲った黄龍珠を持っていかれる……。 ( TДT) ここで格闘はおしまい。 なんだか最近、麻雀格闘倶楽部も面白くなくなってきたな。 年々ひどくなって来ている感があるな。 例えば、この間、ダブリーしたのね。 待ちは、普通に、三六索。 で、なかなか出ない、ツモれない。 終盤、追っかけられる。 あちゃ〜、ってその第一ツモ、捨て牌で、当たる! 一発で掴まされる……。 (ノ-_-)ノ~┻━┻(ノ-_-)ノ~┻━┻ (ノ-_-)ノ~┻━┻( TДT) あり得ないよ。 そんなのが多いんだな。 全てのストーリーは作られている、みたいな。 よくやるよ、本当。 愚痴はさておき、 先日、私の筆名について少し書かせてもらったけれど、語り足りない中途半端なところもあったので、 きょうは、その名前について、語りたい。 【エセコラ(6)】 「筆名星ひかる 三十五年目の春」 私の筆名は「星ひかる」という。 これを私が、物を書くときの名前、筆名にしているわけだが、 「星ひかる」で執筆して、かれこれ三十五年が経つ。 中学生のとき、何故だろう、詩を書くようになっていた。 周りにそういう仲間がいたわけでもなかった。 大学ノートやレポート用紙に書き綴る感じに書いていた。 その詩に曲を付けて、みんなの前で歌って聴かせたりもしていた。 その曲の一つは友達の間では有名で、未だに会うと、からかいながらも、口ずさんでくれたりする。 中学生のとき、林間学校があって、小諸に行った。 このときの催しで、キャンプファイヤーが行われた。 林間学校というだけあって、周りは森林である。 先生の目を盗んで、友達と少し辺りを散策した。 少し行くだけで、民宿から漏れてくる灯りもキャンプファイヤーの火も届かなくなる。 真っ暗な中、木と木の合間から覗きみた星の輝きに感動した。 そのときから私は星ひかるとなったのだった。 一緒にいた友達に、その場で宣言したのを覚えている。 なんだそれ〜♪ と笑われていたように思う。 その後、浪人時代、大学、社会人と、書き続けてきた。 詩と童話を中心に書いていた。 何度か公募にも出した。 詩では、少し規模の大きな同人誌の新人賞とかも頂いた。 童話はからきしダメで、全くものにならなかった。 最終選考の一歩前まで行ったのが、一つあったきりだった。 共同出版の形で本も一冊出した。 母を思って書いた詩集だった。 からきし売れなかった。 お世話になった飲み屋のマスターにプレゼントしたら、 中学生になる息子さんが読んでくれたらしく、 泣いていたよ、と後から知らされて、 この本は、この子のためだけに出したのだ、それだけで充分役割を果たした、 と思ったら、自分で泣けてきた。 嬉しかったのだ。 途中、全く書かない時期があった。 三十八から四十二までの期間だった。 四十二から、小説を書き出した。 書かない四年間が、私に小説を書かせた。 書かない時期は、小説を書くための準備期間でもあったが如く、 堰を切った水が溢れ出るように書きまくった。 たった一年半ではあったが、自分ではかなり痺れていた。 いま、その反動でゆっくりになっている。 けれど、いま尚、書き続けている。 菊池寛がいっている。 「小説なんぞというものは、四十過ぎてからでないと書いてはいけない」 小説を書くということは、身を削る思いで書くことだから、 あまり若いうちから書くと、身が持たなくなる、 といっている。 菊池寛の同世代の作家たちは、芥川や太宰にしろ、みな若くして自ら死を選んで逝ってしまった。 そんなことにならないように、なってほしくない、と思って菊池寛は、そういっているのだ、 と私は勝手に解釈している。 私にもようやく削るだけの身が出来てきたのかな、と思っている。 パサパサのササミ肉程度かもしれないし、分厚いステーキ肉くらいあるかもしれない。 星ひかるになって三十五年。 三十五回目の春を迎えた。 丁度良い区切りのようにも思うが、書くことを止める勇気はない。 改名はありかな、とはときどき感じるが、星ひかるを捨てるまでは、踏み切れないでいる。 星ひかるを名乗る人物はたくさんいる。 色々な職種に股がっている。 それは案外素晴らしいことではないのか。 ○○やっている星ひかるです、□□書いてる星ひかるです、 △△の星ひかるです、 みな家族のようで楽しそうだ。 面白くなってきた。 全国、全世界の星ひかるが集まって、パーティーなんか出来たら、愉しそうだ。 改名は、もう少し先伸ばししてもいいかな。 〈エセコラ(6)了〉 |



