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『じゃんじゃん横丁』 星ひかる 道彦は、五年ぶりに、大阪の通天閣にやって来ていた。 ただ通天閣界隈が懐かしかったからではない。 仕事に疲れて癒しを求めて来たわけでもない。 昔、道彦が一時期、関西にいたときにお世話になった、スナックのマスターの訃報を聞かされ、 いてもたってもいられなくて、やって来た。 マスターと知り合った当時、道彦は、前職を退職後、ひとり事業を起こしたばかりだった。 二つの事業をやっていた。 始めは上手くいっていたが、結局は、どちらも潰してしまう。 事業を撤退し、東京へ帰るときも、なにかと気遣ってくれた、そんな心優しいマスターだった。 道彦の関西最後の夜、自暴自棄になって飲んだくれたが、彼は、なにもいわなかった。 「きょうは道彦さん、飲みたいんだから、とことん飲ませてあげなさい!」 マスターは、酔っ払い相手に戸惑う店の女の子たちに命じるのだった。 カウンター越しに向き合っているマスターは、ただ黙って、一緒に飲んだくれてくれた。 マスターと目が合う毎に、二人は笑った。 翌日、道彦は、東京へ帰って行った。 マスターと会うのは、その日以来だった。 きょうのマスターは、物言わぬまま、柩に横たわっている。 目を合わすことも出来ない。 目は瞑ったままだ。 「マスター! 起きろよ!」 道彦は、マスターを起こそうと、頬に触れたが、冷たかった。 あまりの冷たさに、自分の心臓までが冷えた思いにかられ、そのままうずくまっしまった。 道彦は、通天閣の夜の街を歩いていた。 じゃんじゃん横丁の串カツをマスターと一緒に食べた思い出が甦った。 あのときの道彦は、お金儲けばかり考えていた。 結果を早く求め過ぎた焦りも確かにあったが、自分の浅はかさの現れだったに違いない。 道彦は、ここの串カツを食べながら、マスターに説教され、慰められたことが、 いまでも忘れられないでいる。 マスターは最後に、 「道彦さん、あまり気張んなさんな、あなたなら大丈夫だから」 そういった切り、ただ飲んで、ただ笑っていた。 道彦は、マスターのいなくなった関西の夜を、この目に焼き付けておこうと、通天閣を仰ぎみた。 道彦は再び、じゃんじゃん横丁の串カツ屋を目指し歩いた。 途中、ヒョウ柄の服を着た大阪のおばちゃんに声をかけられた。 「お兄ちゃん、一緒にのもか!」 大阪に来たことを実感する。 おばちゃんに手を振り横を過ぎると、こんどは、 ひたすら後ろ向きに歩いてくる、おっちゃんに出くわす。 大阪に来たことを更に実感する。 道彦は、独り笑った。 大阪の夜空に向かって笑った。 笑いすぎて涙が出てきた。 道彦は、こんどは、涙が止まらなくなった。 マスター、ありがとうなあ、いまの自分があるのは、マスターのお蔭や〜! 道彦は、心の中で叫んでいた。 こぼれ落ちる涙は、マスターへの感謝の印だ。 町は人で溢れていたが、恥ずかしさの微塵も感じなかった。 マスターがいっていた。 「道彦さん、泣きたいときは泣いていいんやで。泣きなはれ」 道彦は、マスターと二人カウンターに並んだ思い出の串カツ屋へと歩みを進めた。 きょうも通天閣はいつもと同じに光っていた。 〈了〉 ※このマスターは、実在します。 いいえ、実在しました、か。 六年前に癌で亡くなりました。 このマスターがいなければ、いまのかみさんとは出会えていませんでした。 物語同様、優しい男でした。 当時、まだ六十代前半だったマスターは、まだ高校生の息子と中学生になったばかりの娘を残して亡くなりました。 この息子が、私の詩を読んで泣いてくれた子です。 マスター、天国で元気に暮らしてますかねえ。 あなたの息子さんはいま元気に社会人やっていると聞いてますよ。 大丈夫だからね。安心してね。 優しい男になってます。 マスター、ありがとう。 天国に届いたかなあ……。 ではね。 |
即興超短篇
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星ひかる 雲一つない秋の青空の下、道彦は、熱海に来ていた。 人混みに疲れていた。 晩秋の海をみたくなった道彦は、抑えることの出来ない衝動に駆られ、 気が付けば、電車に飛び乗っていた。 熱海なら、道彦のところから二時間と掛からない。 いまの仕事に就く前には、何度も訪れたことのある町でもある。 電車賃も僅か千円で行くことが出来た。 着の身着のままで行く、道彦にはそんな気まぐれな旅だった。 宿も取っていない。 適当なところが見付からなければ、夜中までに戻ればいいことだ。 そんな無計画な行動を時折みせるのは、道彦のいつもの癖だ。 熱海駅に着くや、道彦は他には目もくれず、海岸を目指した。 急勾配の坂を下るに従い、潮の香りを感じた。 人の匂いはない。 清んだ心地好い潮風が道彦を海へと誘(いざな)う。 熱海特有の小さな浜辺に着いた。 それにしても、きょうはやけに空が青かった。 雲一つない、なんの混じり気もない青い空を眩しく感じた。 道彦は、気付いた。 自分の心が、都会の人混みと喧騒に汚されたとき、この熱海に来たくなることを。 道彦は、波打ち際に立っていた。 波は黒かった。 それはまるで、幾人もの心の奥に潜む汚れた埃を、洗い流したかのようだった。 道彦は、波頭に手を伸ばした。 黒い波に触れた。 冷たさが身に沁みるのがわかった。 黒い波、その中に、道彦の都会で溜めてきた心の埃も、こぼれ落ちたに違いなかった。 道彦は、青く澄み亘る空に、もう一度、目をやった。 雲が一つ出来ていた。 その雲は、正に、さきほど道彦の指先よりこぼれ落ちた、心の埃の化身であった。 その雲が、まだ小さなことに、道彦は、ほっとした。 自分はまだまだ生きて行ける、と感じる瞬間だった。 寒空の中、道彦を独り、晩秋の海に向かわす本当の理由がここにあるような気がした。 規則正しく打ち寄せている波頭をみつめた。 その黒い波は、もはやいまの道彦には用はないとばかりに、 足元から沖へと引いていく。 辺りは静寂に包まれ、道彦の目には、遠くに打ち寄せる波の映像だけがあった。 海辺を後にするときが来た。 道彦は踵を返した。 すると目の前には、道彦より少し年配とみられる紳士が、新たに海岸に降り立っていた。 道彦に替わり、波打ち際へと向かおうとしていた。 すれ違うと同時に、さきほどまでの静寂が破れた。 再び、波の打ち寄せる音が、道彦の鼓膜を刺す。 道彦は、紳士の後ろ姿を見送った。 彼もまた道彦同様、波頭に手を伸ばした。 その瞬間、辺りは、みるみるうちに暗くなった。 道彦は、空を見上げた。 そこには、いつの間にやってきたのか、大きな黒い雲が空一面を覆っていた。 波頭に手を伸ばしていた紳士も曇天に変わった空を見詰めていた。 彼は、無言でいた。 肩が震えているのがわかった。 道彦は、紳士のもとへ歩み寄っていた。 自分でもなにをしていいかわからなかったが、 「急に雲が増えてきましたね」 道彦は笑顔を向け、話しかけていた。 紳士は、はっと、我に返ったようだった。 びっくりした顔を道彦に向けた。 「ああ、失礼。驚かすつもりはありませんでした」 紳士は、ジャケットのポケットからハンカチを取り出し、目元を拭う。 道彦は、黙ったままでいる紳士の横で、海に向かって話した。 「山の天気も変わりやすいですが、海も侮れませんね。さっきまでの青一面の空が、この雲ですからね」 道彦は、紳士の横で尚も続けて話した。 そうしないとならないような気がしていた。 「実は、私、きょうここに、心のつかえを棄てに来たんですよ。うまく棄てきれたかは、まだわかりませんが……」 道彦は雲をみていた。紳士もまた、同じ雲をみていた。 道彦は、更に続けた。 「ほら、もうだいぶ明るくなってきましたね。よかった。 少しずつですが、黒い雲もどこかへ飛んでいきましたね、よかった……」 紳士は天を仰ぐ形のまま、目を瞑っていた。 「さてと、私は、ここに来ると必ず行くことにしてる寿司屋があるんですが、 ちょっとだけ顔を出して帰ります。きょうはどうも失礼致しました」 道彦は、浜辺を後にし歩みを進めた。 「あ、あの!」 紳士が初めて声を発した。 道彦は、振り返った。 「あの……、私もご一緒しても、よろしいですか……」 紳士の先程までの元気のない姿からは一変した道彦の心にも響く声だった。 「ええ! もちろん!」 道彦は笑顔で応えた。 紳士も初めて笑顔をみせた。 こんどこそ、二人並んで、浜辺を後にした。 道彦は一人振り返って、空を仰ぎみた。 道彦のみた空は、すっかり元の雲一つない青空に戻っていた。 一点の濁りもない深い深い青色をしていた。 いつまでも、そうであってほしいと思った。 〈了〉 本当は、昨日、短篇を書き上げようと思っていたのですが、 熱海旅行から帰ってきた翌日のきのうは、やはり疲れていたようで、 それでも、朝4時30分に起きて、いつものように、20時まで仕事しました。 家に帰ったのが21時で、風呂入ってご飯食べたら、もうそのまま眠ってしまったのでした。 結局、創作おサボりとなりました。 熱海に来ましたから、先ずは海! とこの一枚の写真を選択。 本編同様、波打ち際に行くと、海水が黒いのです。 冬の海だから? 元々、汚れているから? とにかく黒いのになんとなく心を奪われた、というか、想いがいきました。 この黒が汚れなら、その海を汚したのは人間です。 人間が生活するだけで、自然は破壊されてゆく。 楽しい熱海旅行でしたから、それに沿って物語も書けばいいのですが、 何故か私が物語を書くと暗くなります……。 ネクラなのかなあ。 シリアスと呼べるかどうか、わかりません。 心は入りますけど。 旅行に行くと、俗世間と離れられるのが何よりで、 人間、本来、ぼうっと、ゆっくりする時間は必要で、 やはりそういう時間ほど、自分で作っていかなくては、と思いました。 たまには旅行くらいしないと、開放感を味合わないと、息苦しくなるだけですからね。 ゆっくり、のんびり、行きましょう! そう、生きましょう♪ ではね。 |
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星ひかる 道彦は、イライラしていた。 煙草が吸いたかった。 取引先とその事務所で行われた打ち合わせに、一時間も費やし、 道彦の煙草吸いたい病の発作が始まろうとしていたからだ。 道彦は、最低でも、一時間毎にニコチンを身体に補充しないと、発作を起こす体質だった。 ぎりぎり、やっと外に出たはいいが、辺りに喫煙所が見当たらない。 最近は路上喫煙でも罰金に処される。 二千円も取られる。 二年前、この条例間もない頃に、一度だけ捕まったことがあった。 苦い思い出だが、背に腹は変えられない……。 道彦は、表の大通りから一本路地裏に入った。 この路地は、大通りと平行して走る道で、文字通り裏道になり、周りに人は歩いていなかった。 道彦は、早く早くと、急く心に押され、煙草に火を点け吸い上げた。 肺いっぱいに煙草の煙りが回る。 毛細血管を通して、脳天に突き抜ける。 この至福のときが堪らないなあ、自然、道彦の顔は溶けたようになるのだった。 静かな路地もなかなか趣ある家が並んでいて、それを眺めながら歩くのもいいなあ、と感じた。 道彦には昔から変な癖があって、表札の名前をみるのが好きだった。 友人や知人と同じ名前の表札を見付けると、その彼らの顔を思い出したりしていた。 また、珍しい名前の表札に遭遇すると、メモに取って、あとでその名前の云われや生息圏などを調べたり、 他人からみたら、しょうもないことをするのだった。 ここでも、やはり珍しい名前に出会い、くわえ煙草のまま、メモを取っていた。 そのとき、後ろの方から、自転車を猛スピードで漕いでいる音がする。 静寂の壁を突き破って、道彦に迫ってきた。 これは自分に向かって漕いでるなあ、と道彦は後ろを振り返った。 正に道彦にぶつからんかの勢いであった。 道彦は思わずのけ反ってしまった。 「あ、あ、あなた、い、いま、煙草吸ってましたね!」 とその自転車の主は、どもり気味に叫んだ。 「ええ、この通り、吸ってますが、なにか……」 道彦は、くわえていた火の点いた煙草を人差し指と中指で挟み直して、その自転車の主にみせた。 「あ、あ、あなたね、こ、ここは、路上喫煙禁止なんですよ!」 あらら監視員だよ、と道彦は天を仰いだ。 二千円もあれば何本の煙草が買えると思っているんだ、とも思った。 「ば、ば、罰金です! す、直ぐに払った方がいいですよ! ど、どどど、どうしますか!」 なんともこの監視員は、どもりながらも結構強気だった。 「どうするもこうするも違反したんだから仕方ないです。払いますよ」 道彦は素直に応じた。 それに気をよくしたのか、監視員は、一冊の伝票らしきものを取り出し、 「そ、それでは、領収書を、か、書きますから、お、お名前をお願いいたします」 先ほどよりは少し滑らかな口調でいった。 道彦は、吸い終わった煙草を携帯灰皿に押し込んで消した。 「あ、そうだ、どうせ捕まったんだから、もう一本吸ってもいい?」 道彦はこの際、図々しくなっちゃえ、とばかりに、監視員に尋ねた。 そして更に、 「それとも、もう一本吸うと、罰金が倍になったりするの?」 と付け加えた。 「あ、い、い、いいえ、そんな、キャ、キャ、キャバクラみたいな延長料金とか追加料金はないです」 テンパったのか、監視員は、妙なことを言い出す。 「あれ? あなたもそっち系好きなのねえ……。ぼくはスナック派ですよ」 道彦は、この監視員が面白くなり、からかってみたくなった。 「い、い、いいえ、わ、わ、私は別にそんなんでは……。そうだ、早く名前を!」 と話しをはぐらかそうとする。 「まさか吸ってる時間も関係するとかじゃないよねえ? キャバクラみたいに……。 だから、ぼくはスナック派なの」 道彦もいう。 「い、い、いいえ、それもありません。ただ五時までですけど」 と監視員は応じる。 道彦は時計をみた。 「そうなんだ。いま四時五十五分だから、あと五分しかないじゃん、寂しいねえ」 おどける道彦を無視するように、監視員は、 「そんなことより、は、早く、お、お、お名前を!」 「あら、そう? じゃあ名前は、カミと申します。 上と書いて、カミと読みます」 道彦は、煙草に火を点けながら答えた。 さっきみた表札の珍しい名前を拝借したのだった。 丁度、領収書だ、上様になるし、と思った。 「上と書いてカミですか……。め、珍しい名前ですね」 監視員は、目をぱちくりしながら、道彦の顔をみている。 おもむろに、領収書伝票をセットするのだが、適当な台がなくて、なかなか思うようにいかない。 道彦が手伝ってあげようか、と思っているところで、ようやくセット出来たようで、 「え〜と。か、み……さま、と……」 監視員は、声に出しながら領収書に書き入れていた。 監視員の動きが止まった、というより、硬直したようにみえた。 「え? か、み、さ、ま、ですか?」 道彦は深々と頷いてみせる。 監視員が顔を上げて、道彦の頷く姿を目にした。 どこからともなく、夕焼け小焼けのメロディーが流れてきた。 監視員が道彦の姿をみたまま、ガタガタ震え出した。 道彦に向かって拝んで、ぶつぶついい始めた。 道彦のちょうど後ろには、大きな夕陽があった。 橙色に燃える大きな夕陽が、まるで道彦の後光のように、そこにあった。 「神様……」 監視員は、そう呟くと、領収書を慌てて鞄に押し込み、急ぎ自転車に跨がると、 さっき来た道を一目散に駆けていってしまった。 あっけに取られたのは道彦も同じで、 「あれ? お、お、お〜い! ば、罰金はいらないのか〜!」 と遠くに行ってしまった監視員の後ろ姿に叫びかけるのが精一杯だった。 なんだったんだ、と道彦は、さっき点けた煙草をまともに吸うことも忘れていた。 もう一本吸うか、と煙草を取り出したが、 「いや、もう止めておこう……」 独りごちて歩き始めた。 曲がり角に差し掛かり、そこを右に行くと間もなく、喫煙所があった。 なんだ、こんなところにあったじゃん、と道彦は吸い寄せられるように近付いた。 そこには、大勢の煙草を吸っている人がいるのだが、端からみた道彦の目には、 その光景が、なんとも虚しくみえるのだった。 まるで囚人のたまり場のようにみえるのだった。 煙草吸いの自分たちには、いやな時代になったなあ、と道彦は感じながら、その場をあとにした。 それにしても、さっきのあの監視員は、なんだったんだろうなあ、 とも考えたが、気になる監視員のことは直ぐに忘れて、 取られずに済んだ二千円の使い道に、道彦の頭は切り替わっているのだった。 こういう場合、元から考えなくとも、道彦の頭の中には、 居酒屋のマスターの顔が浮かぶようになっている。 たまにマスターの顔が、焼き鳥屋のママに代わるだけだ。 橙色に燃える夕陽は、都会の街並みに静かに埋もれてゆくところだった。 きょうの夕陽は特別に大きかった。 〈了〉 ※当初、書き始めは、喫煙所での一コマにするつもりでした。 ところが、監視員が登場してきて、俄然様相が変わります。 監視員のおっちゃんが、面白いのです。 自分でも不思議でしたが、結局、掛け合いになりました。 最近、こういうパターン多いなあ。 即興の面白さかな、とも思いました。 さて私、本編同様に、路上喫煙で罰金払ったことがあるのです。 実は、そのときの捕まり方が、本編通りでして、 後ろから自転車漕ぎ漕ぎしてきた監視員のおじさんに捕らえられたのでした。 最初の言葉も同じ。 いま払った方がいいですよ! といわれたのも事実です。 なんだこのおっさんは! とマジに切れそうになりました。 でも、逆らえば、公務執行妨害の現行犯逮捕もあり得ますので、 もしこれをお読み頂いている皆さんで、このようなことがあったら、 諦めて、その場で、支払うことをお勧めします。 その前に、煙草吸うな、とかいわれそうですが、 それは、煙草吸いにいっても無駄です〜(笑)。 ここからは、煙草嫌いな方は、読まないか、読んで頂けるなら、 小噺としてよんでくださいませ。 よろしくお願いいたします。 私たち煙草吸いは、ある意味、命賭けて吸ってますから。 受動喫煙、云々、いいますが、そんなこといったら、昔の人は皆、癌で死んでます。 小学校の先生は、教室の先生用の机で吸ってましたから。 灰皿係り、なんてのも、飼育係り、同様、人気の係りでしたよ。 受動喫煙とか、たぶん嫌煙団体か、新種の病気作りの専門家かなにかが、仕事のためにいいだしたこと、と私は思ってます。 飛行機では完全に吸えなくなりました。 飛行機内で吸うと、飛行機の機器に狂いが出て墜落するらしいですよ、ほんと? 昔は後ろの席が喫煙席でしたがねえ。 最近の飛行機はデリケートになりました。 いま街中では、煙草吸えませんね。 ああ、煙草吸いたい、と思うと、二百円なにがしか払って、喫茶店入らないと駄目な時代になりました。 うちら煙草吸いは、煙草税から、喫茶店での消費税から、たくさん税金支払います。 いいことですね。 良いことに使ってください。 SMクラブ行ってもいいですよ。 ちゃんと情報収集の話し合いをしたのならね。 私は、別なことに気が散っちゃって、たぶん話し合いなんか出来ない人間ですがね。 政治家や、その周りにいる方たちは、私のような凡人にない、やはり非凡な脳でいらっしゃるんでしょう。 なんて、嫌味いっても、煙草吸いには、厳しい世の中に変わりはなのですが、 私、煙草はやめられませんね。 死ぬまで、やめられませんね(笑)。 申し訳ございませんでした。 ではね。 |
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星ひかる 中川は、思った。 そうか、きょうは結婚記念日だった、と。 仕事でへとへとになり、濡れ雑巾のような毎日だ。 ふらふらの足取りで家路につくころには、夜の10時になろうとしていた。 駅を降り、五分も歩くと、家にほど近い場所に、遅くまでやっているケーキ屋があった。 その日もそのケーキ屋は開いていた。 前を通りすがるだけで、いままで一度も入ったことはない。 いつも遅くまで頑張っているな、とは感じていた。 中川は店の中を覗く。 客はない。 普段、ケーキなど余り食べない中川であったが、結婚記念日にケーキくらいないと様にならないだろう、 女房には、苦労ばかりかけてきた。 少ない給料に文句も聞いたことがない。 女房の顔が浮かんだ。 中川は、店のガラス扉を引き開けた。 扉に付けられた鈴の音が誰もいない店内に響いた。 「いらっしゃい」 と店の奥から嗄れた声がした。 出てきた店主は、70を過ぎた白髪の似合う小綺麗な紳士だった。 店をよくみてみると、一つひとつの装飾も、この店主同様に洒落た取り付けをしていた。 きっとヨーロッパのどこかの国で修行したのだろう。 店には西欧を感じさせる装飾品で溢れていた。 中川は屈み加減でショーケースを覗きみた。 やはりこの時間ではホールケーキはないようだ。 「なにをお探しで」 嗄れた声で店主は中川に問いかけた。 「実はきょう結婚記念日でして、その……、ホールケーキをと思ったんですが、やっぱりないですね」 中川は、いかにも残念、という風に、少し大袈裟かなと思うくらいの演技を入れて、店主に訴えていた。 中川としても女房の喜ぶ顔がみたいと思っていたから、まんざら大袈裟な演技でもなかった。 「そうですか、それはおめでとうございます」 店主はそういうと、目を瞑り、しばらく考え込んだ。 二人の間に言葉のないまま、時間が過ぎた。 店の壁に小さな鳩時計があるが、その時計の秒針を刻む音だけが妙に大きく聞こえた。 秒針の刻む一定のリズムに、そろそろ時空が曲がるのではないか、と思っていたときだった。 店主の目が見開かれた。 「お客様、少し時間を頂ければ、なんとか致しますがご予算は如何ほどで」 店主も案外役者だった。 「夫婦二人だけなんで、そんなに大きいのはいりませんが」 中川は店主の歳のわりにしっかりとした相貌を見詰めていった。 「明日の予約分のケーキのスポンジが先程一つ、焼き上がったところでして、 いま冷ましておったところです。15分ほどお待ち頂ければお渡しできます」 店主の嗄れた声も聞きようによってはいい声に感じた。 聞き慣れただけかもしれない。 中川は店主のいわれた通り、待つことにした。 誰もいない店内に中川一人がいた。 することのない中川は、店内を散策した。 散策するというほど広くもない店内だ。 二分もすると総て行き尽くしてしまうほどである。 ショーケースの向こう側の包装用のカウンターにあるカレンダーに目が行った。 そこには、赤ペンで書かれた花丸が一つあった。 よくみてみると、きょうの日付のところに、それはあった。 店主にとっても、きょうは特別な日なのだろうか、と中川は少し気になった。 店内にする音は、一定のリズムを奏でる鳩時計の秒針だけだった。 静かな夜だなあ、と中川は、店の外に視線を移し、帰路につく人の各々の足取りをみていた。 そのとき、突然、鳩時計から鳩が飛び出してきて、十回鳴いた。 一瞬驚いた中川であったが、厨房に引っ込んだ姿のみえない店主に向かって声を掛けた。 「夜遅くまで大変ですね」 中川にしてみたら大きな声で話し掛けたつもりであったけれど、店主からの返事はなかった。 また、静寂が訪れた。 本当になにもするのことのなくなった中川は、用意されている椅子に腰掛けると、 いつの間にやら、眠ってしまっていた。 「お客様。お待たせいたしました」 中川は、嗄れた声に起こされた。 「あっ、すみません。眠ってしまいました」 中川が慌てて椅子から飛び起きていうと、 「いいえ、大変お待たせいたしまして、こちらこそ申し訳ございませんでした」 店主はどこまでも紳士であった。 こちらです、と見せられたケーキは、いちごたっぷりの生クリームのケーキだった。 真ん中には板チョコが添えられ、 「祝・結婚記念日」と記されている。 中川は、大満足だった。 代金を支払うと中川は店を出た。 夜中に初めて訪れたのにも関わらず、こんなにもしてくれた店主には、感謝の言葉もなかった。 女房の喜ぶ顔が目に浮かんだ。 家の前に着いた。 台所の明かりが点いている。 まだ起きて待ってくれているようだ。 これは、食事のあとに二人で一緒に食べよう、 そう呟きながら、中川はケーキの箱を撫でた。 そういえば、きょうはあの店主にとっても特別な日だったはずだが、 それを聞くのを忘れたことに、中川は気付いた。 まあ、またこんど聞けばいいか、といつもは重たい鉄扉も、きょうは軽く感じるのだった。 街はすっかり寝静まっていた。 ただ一軒のケーキ屋だけを除いて。 店の奥から明かりが漏れている。 「なあ、かあさん。きょうはごめんな。折角の誕生日だというのに、ケーキがないんじゃ」 ケーキ屋の店主の嗄れた声だった。 奥の厨房に飾られてある、一枚の写真に向かって話し掛けていた。 「来年は、二つ作っておかないとじゃね」 写真の中の女性は、笑顔でいた。 ほんのり頷いたように感じたのは幻だっただろうか。 鳩時計の中の鳩が飛び出してきた。 鳩は十二回鳴いて、また元の寝蔵に帰っていった。 ケーキ屋の明かりも、いまようやく消えた。 そして、それが毎度の合図かのように、中川の住む町は、夜の帳(とばり)へと向かうのだった。 〈了〉 ※このケーキ屋さんは、私の住む町に実在します。 いつも夜遅くまで営業していて、正確にはしりませんが、23時くらいまではやっているように思います。 本編では、初めて訪れたことになってますが、実際は、何度となく利用させてもらっております。 店主の風貌や店内の雰囲気は、創作ですので何卒ご了承ください。 このお店では、ロールケーキが美味しいです♪ 本当によく頑張っているな、と関心するのです。 あはあ、ロールケーキ食べたくなってきた!(笑) ではね。 |
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『アルデンテ譚』 星ひかる 道彦は、表参道の青山通りを歩いていた。 ずっと東京で仕事してきたが、表参道は殆ど乗換駅としてしか降りたことがない。 強いて挙げれば、小学生のころ、福岡の従兄弟が大学受験で上京してきたとき、 青山学院大学の試験日に、都会の電車に慣れていない、その従兄弟のお供として降り立ったくらいしか記憶がない。 それともう一つだけあった。 自分が大学生のとき、興味もないのに話題になるかな、と思って、原宿へ行ったことがあったが、 そのついでに、表参道まで歩いた記憶がある。 いま表参道ヒルズ、なんて洒落た名前の商業施設があるけれど、 以前そこは都営住宅の団地があった場所だ。 その団地は、壁面を蔦に囲まれた、なかなか趣ある建物であった。 道彦には、それをみた記憶もあるから、そのとき表参道を訪れたことは確かなのだろう。 だが、これといった思い出は、なにも残っていない。 道彦が、そんな馴染みのない街に降り立ったのには、わけがあった。 友人の榊原から昨日、電話があった。 「こんど思い切って店を出そうと思ってるんだが、良い物件があってな、お前に一度みてもらおうと思ってるんだ、頼むよ、な……」 榊原は、いま、代々木上原にあるレストランで雇われ料理長をしている。 その彼が、とうとう独立しようということらしい。 道彦は、彼が料理長をしている店には、一度だけ足を運んだことがあった。 代々木上原の駅から少し離れた住宅街にポツンとある、コジャレたレストランだ。 パスタ料理中心のイタリア料理を出す店だった。 道彦には、到底固すぎて噛みきれないほどのアルデンテのパスタを出す店だった。 オレッキエッテとかいう難しい名前のパスタで、語源を耳たぶというらしいが、 その耳たぶは鬼の耳たぶかと思うくらい、鋼の耳たぶだった。 パスタ好きの道彦であったが、全部食べ切れないほど強固なものだ。 お洒落なパスタより、喫茶店のナポリタンの方が、断然、口に合う。 鋼の耳たぶパスタが千円札三枚飛ぶのに対し、喫茶店のナポリタンは千円札一枚で、充分お釣りがくる。 道彦が、彼の勤める店に一度しか行っていない理由は、実はこれなのかもしれない。 榊原に、たまには店に来いよ、と誘われたことがあったが、本人に向かって、 「あんな固いパスタなんか喰えるかいな!」 と文句をいったことがある。 榊原は、ただ笑っていただけだった。 きっと、味のわからない奴だ、と思われたに違いない。 そんな榊原が、わざわざ道彦に、新しい店の下見に一緒に来てくれという。 道彦にしてみれば、榊原は、高校時代から同じ釜の飯を喰った仲だ。 高校時代の三年間野球部で、苦楽を共にした。 卒業後も道こそ違え、互いの道を尊重し合い、励まし合ってきた。 大人になるに従って、友人と呼べる者は減って行く一方であるけれど、 道彦にとって、榊原は、数少ない友人の一人として、それは永遠のものと思っている。 そんな、榊原からのたっての願いだ。 しかも、この時勢に、店を出して独立しようとしている。 道彦には到底叶わぬことを、榊原はやろうとしている。 自分がどこまで役に立てるかわからないが、付き合うだけはしてやりたかった。 道彦は予め教えられた住所を目指して青山通りを渋谷方面に向かって歩いていた。 するとその横に、昔懐かしい太陽の塔があった。 いいや、太陽の塔と思ったのは思い違いで、同じ作者岡本太郎氏のオブジェが目に入ったのだった。 太陽の塔の顔と同じような顔がにょきにょきと生え出たような彫刻。 そのタイトルも「こどもの樹」となっている。 道彦は、しばし見とれた。 にょきにょき生えている顔を一つひとつ凝視する。 笑っている顔、泣いている顔、怒っている顔、戸惑っている顔、 いいや、こんな単純な表情ではない。 人間の持つ、自然に溢れ出る感情そのままの顔が、そこにあった。 それぞれが、一人のこどもが持っているいくつもの顔である。 それを岡本太郎氏は、一本の樹として表現したに違いない、と芸術のわからない道彦の解釈だ。 それぞれの顔は、その環境と養分で、如何様にも成長してゆく。 環境と養分次第では、笑っている顔が成長に成長を重ね、大きくなることも出来るし、 その逆に、成長出来ずに、枯れてしまうこともあるかもしれない。 「さて、この子はどの顔が一番成長するのかなあ。どれも大きくなるんだぞう」 岡本太郎氏の声が、どこからか聞こえた気持ちがした。 こどもの樹を後にした道彦は、再び、歩みを進め、榊原の待つ店舗候補の地へと向かった。 道彦は、ここまで生きてきた自分の顔は、一体どの顔が一番成長したのだろうか、考えていた。 岡本太郎氏が表現した多くの感情を、歳を重ねた自分はどれほど持っているのだろう。 精々、笑顔と泣き顔と怒りの顔くらいではなかろうか。 最近は仕事に追われているから、さしずめ疲れた顔の憂いの表情だろうか。 こどもの樹にある、豊かな表情は、いまの自分にはない気がする。 お前、素直になれよ、もっと自然に生きろよ、と後ろから背中を押された気がした。 そのときだった。 道彦の目に、榊原が自分に向かって手を振っている姿が入ってきた。 満面の笑顔だ。 いまの榊原は、希望溢れる表情をしている。 道彦も自然、笑顔になった。 道彦は、急に、榊原の作ったパスタを食べてみたくなった。 鋼の耳たぶパスタには、その固さ故の味わい方があるのだろうから。 人間には、その人それぞれが持つ、それぞれの味わいがあるのだから。 道彦は、きょうからは、なにに囚われることなく、自然体で生きていこうと決めた。 〈了〉 《註釈》 今回のこの物語は書き上げるのに普段よりも時間を要しました。 写真をみて思うがままに綴っていくわけですが、 初めはこの「こどもの樹」から太陽の塔、そして大阪万博と来て、父との思い出を語ろうか、と思っていました。 タイトルも「万博と父と」としていたのです。 ところが、道彦が表参道にいる必然性を説明する下りに、友人の登場があって、 そこから話が違う方向へと走り始めます。 表参道ということで、単純な私はお洒落にパスタでも、と考えが及び、 いつだったか、友人の弟が出してる店で食べた、物語に出てくる鋼の耳たぶパスタを思い出していました。 お洒落な本格イタリアン料理は、こんなクソ固いパスタを出すのか、 といまでもトラウマで、物語同様、その弟に文句をいったこともあるのです。 みんな我慢して食べているんだよ、とこれはいまでも思ってます。 これが本場のイタリアン料理なら、私はイタリア人にはなれません……。 こんな思いも、私の我儘なわけで、最後、道彦の言葉を借りて、 友人の弟君に謝った次第なのです。 彼の店は、表参道ではなく、本当は 築地にあります。 築地で一番美味しいイタリア料理店だ、 と、芸能人のテリー伊藤も絶賛だそうです。 ちなみに、築地ですから、イタリア料理店は弟君の店一軒だけしかないんですがね。 築地市場の脇にあります。 生憎、店名覚えてませんが、お近くお越しの際は、寄ってみてくださいね。 「星ひかる」に聞いてやってきた、といったら、サービスはないかもしれませんが、 マジ笑いしてくれること間違いありませんよ〜。 ではね。 |




