【短編小説】
「うず潮の雲」
星ひかる
一
この世に、自分が太宰の生まれ変わりだと思っている連は、どれほどいるのか知らないが佐々原修治もその一人であった。
佐々原自身、太宰の生まれ変わりだ、と感じるようになったのが三十九のときである。それが自分の中ではっきりとした思いに変わったのが、四十を過ぎたあたりからだった。
多くの似たような連からすると、随分と遅いデビューである。
太宰は、三十八歳でこの世を去っている。玉川上水に身を投げ、スタコラサッチャンこと山崎富栄という女性と共に心中をしたとされている。太宰が彼女に惚れていたかどうかはわからないが、彼女のことを愛称で呼ぶくらいだったから可愛がっていたことは事実のようだ。山崎富栄のどこにも「サッチャン」の「サ」の字もないわけだが、「スタコラサッチャン」と呼ぶからには、おそらくは、彼女の挙動なり動作がいつも忙しそうにみえて、またそれが滑稽だっのたのだろう。
身投げから六日ののち、奇しくも太宰自身の三十九の誕生日に、その遺体は発見された。そのとき、山崎富栄の腕は、太宰の首に確りと巻きつかれていたという。
太宰は、三十九歳以降の人生を歩むことなく、天に召された、いや引き摺り込まれてしまった。
佐々原が、自分を太宰ではないかと思うようになったのが三十九からであるとは先にも話したが、彼自身、太宰の本名修治の名を持って生まれたことも、余計に太宰との因縁を感じてしまうところであった。
佐々原が太宰の作品に出会ったのは、大学に入る前の浪人時代、毎日のように通っていた、多摩川沿いにある地元の小さな図書館でのことであった。
その当時、彼は、浪人生活二年目を迎えていた。
独り、小さな図書館にいた。そこは佐々原にとって、なにも心に響くことのない参考書という物質を見詰めるだけの一日が、毎日のように繰り返されてゆくところだった。
自分の学力は上がったのか。いまどのくらいの位置にいて、どのレベルの大学に入れそうなのか、確認も出来ない、確信も持てない環境だった。予備校に通わない自宅浪人特有のわびしさではあったが、唯一、自由であった。考える時間は、無限にあった。
そうなると余計な考えも湧いてくるのも当然で、悉く自分を毛嫌いする大学の数々に、嫌気を差すこと頻りである。大学に行くことになんの意味があるのか、と半ば世間という壁に八つ当たりする暇も、煩悶とする時間もたっぷりとあった。
佐々原の図書館通いは、親への体裁を繕っていたに過ぎない。図書館に行ってくるといえば、家でゴロゴロするよりかは、一先ず親も安心させられるわけで、佐々原にとってみれば、図書館はある意味、親の愚痴から逃れることのできる避難場所だった。
避難場所での佐々原は、受験勉強と呼べるものなど殆んどしなかった。
ただ、本は好きだったから、図書館にいれば心は安らいだ。
どうせならここにある総ての本を読み尽してやれ、と佐々原は本気で思った。
一日八時間、ぶっ通しで読んだこともあった。疲れたら、隣は川原だったから、涼みに行くなり、日向ぼっこするなり、本を小脇に抱えて休めばよかった。なにしろ、時間だけはたっぷりとあったのだから。
ある日、単行本ばかり読んでする乱読にも飽きてきたので、そうだ、家には大き過ぎて、というよりは高価過ぎて買えない、全集でも読んでみるか、と思い立った。
先ず手に取ったのは、太宰、ではなく、宮沢賢治だった。
その全集は、いま思えば、かなりの優れもので、賢治が推敲を重ねた経緯が、作品毎に記録されていて、ひとつの作品を完成させるまでに、何度も書き直された文章が、順を追ってそのまま載っていたのである。
社会人になって、神田の古本屋を何軒か回ったことがあるが、未だ同じ全集には出会えていない。もし出会えたとしても、とてつもない値段が付いていることだろう。
賢治の作品に「グスコーブドリの伝記」というのがあるが、この初期は「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」という、なんとも奇妙なタイトルだったということも知った。その後、何度も何度も書き直されて、内容もタイトルも変化し、いま読まれている形に出来上がったということに、素直に感動したりしていた。
いまと違って、賢治の時代は、ワープロもパソコンもない。原稿用紙やら普通の紙にも書いたろうが、総ては手書きで何度も書き直し書き直し作られたものなのだ、ということにいたく感銘したものだ。
賢治の全集は、十巻を超えてあったが、読破するのに、たっぷり三ヶ月を要した。これが速いのか遅いのか、佐々原には、いまもって再チャレンジしていないからわからない。
この賢治との出会いのあと、やっと太宰との対面となる。
その当時の佐々原は、太宰とは教科書で読んだ、「走れメロス」としか出会っていなかった。
太宰には、難解であるというイメージが、まだ若かった佐々原にはあった。賢治は、詩はさすがに難解な部分もあったが、ほとんどが童話だったから、若い佐々原にも素直に心に響くものがあった。
佐々原は、太宰を手に取った。やはり、難解であった。どよんとした気持ちになった作品もあったが、ユーモアの効いた楽しいものも多くあった。理解できる、できないは別にして、案外読みやすかった。
人生経験の浅い当時の佐々原だけに、心に響くものがあったか、といわれると、正直、なにを読んだのか、勿論読破しているので総ての作品を読んでいるはずなのだが、タイトルは思い出せても内容までは残っていなかった。
これが、太宰と佐々原修治との出会いである。
二
こんな浪人二年生時代を過ごしていた佐々原にも春がやってきた。
あんなにも毛嫌いされていた大学にも、ようやく受け入れてもらえた。前年が十一校も受けて全てに門前払いされていたのに、今回は九校受けて全てに合格していた。
この一年、勉強らしい勉強は一切していなかった佐々原が、今度はどこに入ろうか迷うほどだった。一年間、ただただ本を読み漁っていただけだ。大学受験とは不思議なものだと佐々原は感じた。だけど誰にも奨められない受験勉強法である。
太宰との再会は、それから十二年の時を要した。佐々原修治は、三十二になっていた。妻もあった。
その当時、物書きを目指している同じ歳の友人がいて、小説の書き方教室みたいなセミナーに一緒に行ってくれないか、と誘うのだった。
佐々原も浪人時代の読書癖のお蔭で、嗜む程度ではあったが、詩を書いたりしていた。拙作をたまにその友人に見せたりしていた縁からの誘いであったのだろうが、友人曰く、ああいうところへは独りで行くのが恥ずかしい、と佐々原に白羽の矢が立てられたものだった。
佐々原にしてみたら、独りで受けた方が誰に知られるわけでもなく、恥ずかしさも半減するのに、と思った。
佐々原はそれまで、太宰より賢治の影響が大きかった。詩や短い童話は書いていたが、小説を書いたことは、ただの一度もなかった。
長文を書くだけの根気が、佐々原にはなかった。どうしても途中で飽きてしまうのか、アイデアに詰まるというのか、向いていない、と単純に思っていた。小説なんて大層なものを書くだけの人生経験もなにもない、チャランポランな人間でしかない、と思っていた。こんなもの書く人間は異次元の生物とも思っていた。
セミナーなんかに行っても仕方ないと思いつつも、友人の誘いを無下に断るには忍びない。
仕舞いには、週一で半年付き合ってくれれば良い、と頭まで下げられてしまった。
佐々原としても、小説を書きたがる人間とは、どういう人種なのだろう、というちょっとした興味みたいなものが心に浮かばないではない。
ここはひとつ、人間観察に行ってみよう、と気持ちを盛り立てることにした。
講師は、芥川賞作家の先生だった。
でも佐々原はその講師を知らない。彼の書いた小説も読んだ試しがない。佐々原は、そのことを友人に伝えた。
すると、友人は、目を輝かせながら講師の素晴らしい功績を口角泡を吹きつつ語った。漠然とではあるが、その講師の凄さは、佐々原にも伝わった。
セミナーの受講者は、三十人ほどだった。年齢層も佐々原たちよりずっと若い人から、六十過ぎの年配の方もいた。男も女もいたが、若干女性のほうが多かったようだ。
講義は、粛々と進んでゆく。
最後に、芥川賞作家の先生が、課題と称して、次回の講義までに太宰治の「ヴィヨンの妻」を読んでくるように、といわれた。これが佐々原修治と太宰の十二年振りの再会となった。
芥川賞作家の先生は太宰の人と成りについて話してくれ、初日の講義が終了した。
講義の内容は余り覚えていないが、その時から佐々原が太宰の人と成りに興味を持ったことだけは確かだ。
友人の誘ってくれた講義をきっかけに佐々原は、太宰の本を読み漁った。古本屋に行っては、太宰の小説は勿論、太宰について語られている太宰論なる本まで、可能な限り購入したものだ。総てを家に持ち帰るわけだから、山のように積まれた太宰の本を前に、妻には大変なる叱責を喰らったりもした。妻は、太宰が大嫌いになった。
芥川賞作家の先生は、殊に太宰が好きなようで、講義では度々太宰が登場した。佐々原も、その部分だけは、真剣に聴いていた。
セミナーは、回が進むごとに人数も減ってきて、最後には、佐々原を含めて十人くらいになっていた。佐々原を誘った友人も、いつの頃からか、姿を見せなくなっていた。
三
太宰の作品を読むのと同じくらい、太宰論も読んだわけだが、読み進めてゆくうち、佐々原なりに感じたことは、太宰はどこまでも人間臭い人間であるのだなあ、ということだった。
芥川賞が欲しくて欲しくて堪らなくて、賞を獲るためには貪欲であり、選考委員に対して直に自分を売り込んでもいた。
結局は、巨匠川端康成に、太宰自身のその人と成り、人間性を否定され阻止されてしまうわけだが、太宰は彼に対し、かなりの恨み節を残している。
他の選考委員とも仲違いを起こすまでしている。
太宰は、自分の思い通りにならないと、尋常でないくらいの怒りを持つ性格であり、これがなんとも人間臭くていいのだ。
出がお坊ちゃま育ちのせいもあってか、挫折に弱く、直ぐに死を意識してしまう。ここは、佐々原も自分と似ている、と思っている。
太宰は、就職活動に失敗したという理由で、鎌倉の腰越の海に飛び込んで心中を図っている。太宰自身、最初の自殺未遂である。太宰はひとり生き残り、相手の女性は死んだ。佐々原は、二回目の受験に失敗したとき、さすがに投身はしなかったが、髪を染めてパーマをかけ、悪ぶってみせ、人生諦めた調を親に固持した程度だ。ここは太宰の比にならない。
比になり得るかどうかわからないが、佐々原はいまでも失敗に出くわすと、死にたい、死んでやる、死んでしまえばどんなに楽だろうに、と思うことはある。でも次の日には挫折感の渦の中にいる自分も悪くないな、と佐々原は思ったりする。挫折は挫折で、余り多くの数は受けたくはないが、挫折の場数を踏むごとに人は成長し、強くなれる、いや、もう強くなった、と勝手に思い直している。それが人間本来の姿である。
死を考える。本当に死を選んだ本人は、楽かもしれないが、それは残された家族や友人や周りの人間に、苦悩を残してしまう。やはり自ら死を選ぶのは罪深いことだ。
佐々原が、なんとか死なずに現世で耐えているのは、この部分が大きい。
佐々原の太宰に対する持論として、彼は身を削って小説を書いていた、と信じて疑わない。小説のネタ作りのために、わざと心中やら自殺未遂を繰り返していたのではなかろうか。死の恐怖の淵に、なにかしらのひらめきがあるのではなかろうか。太宰はそれを知っていたのであろう。
最後の心中事件も本当は、死ぬつもりなどなかったのではないか、と思う。
富江が太宰の首にしがみつかなければ、彼はまたいつも通りに生還したに違いない。
そしてそのとき太宰は、次なる作品をひらめいていたに違いない。だがそれは決して書かれることはなかったが。
佐々原は最近、頻繁に同じ夢をみる。その映像が頭の中にこびりついて離れない。
佐々原は川を見詰めている。独りである。
流れは緩やかだったり、急だったり、渦を巻いていたり、そのときどきでさまざまである。佐々原はいつの間にか、その川に身を委ねている。
空を見詰めながら川面に身を浮かばせ流されている。見詰めた先の空には渦を巻く雲がいつもそこにあった。
緩やかな流れの川に、この身のあるときは、穏やかに目覚めることが出来る。空に渦巻く雲も消えて無くなっている。
急激な流れや、特に渦を巻いている川の流れに、この身が巻き込まれているときは、渦巻く雲もそこにハッキリと見てとれ、大汗を掻いた状態で目覚めるのである。
寒い冬であろうが、正に川から這い上がったばかりの如く、布団をびしょ濡れにするほどの汗を掻いている。
起きたときには汗の粒一つひとつが言の葉であるかのようで、佐々原はそれを一つひとつ掬い、そしてすぐにも書かずにはいられなくなるのだった。
佐々原如きに考えも及ばない言葉が浮かび、手が勝手にすらすらと文字を綴るのである。使ったことも、聴いたことすらない言葉が脳の皺一つひとつに刻まれるのである。
言の葉が落ちてくるとは、このことなのだ、と感じる瞬間だった。
だが、その代償は恐怖だった。
佐々原は、渦に巻かれている。ぐるぐるぼこぼこ渦に巻き込まれ、本当に息苦しくて、このまま死んでしまうのではないか、と思うほどに。
渦の中心に眼だけがなんとか出ていて、辛うじてある空に同じく渦巻く雲の隙間から、陽の光りが見えている。手を差し伸べ、その光りの先を求める。
そのときの自分の視線は、佐々原自身の視線でありながら、佐々原のものとは違うような気もする。
夢という非現実世界の恐怖で、これだけの言葉が降りてくるのだ。これが現実の本物の恐怖、死への恐怖の淵にいたら、一体どんな言葉が降りてくるのだろうか。
佐々原は、その現実の恐怖の淵を体験してみたい衝動に駆られている自分に、正に恐怖を覚えるのだった。
だがいずれ自分にも、あの光りの先に言の葉がある、必ずあるのだ、という期待の方が死への恐怖に勝るときが来るであろう、ことを感じた。
佐々原は、自分の中に、物書きとしての自分を感じた。
四
三十九のときの佐々原は、既に転勤により住み慣れた東京を離れ、奈良にいた。十四年勤めていた会社を辞めたのも、この年である。子はなかったが、妻も一緒に奈良へやって来ていた。
あとからメモをみて驚いたのだが、辞表を提出したのが、六月十九日であった。この日は、太宰の誕生日である。遺体が玉川上水の下流に打ち上げられた、いわば遺体発見の日でもある。三十九を過ぎて自分の中の太宰を意識したわけだが、これもなにか因縁めいていて恐ろしいと思った。
佐々原は、元来から、人に使われるのが性に合わないと思っていた。退職後、直ぐに事業を立ち上げた。妻に内緒で総てのことは進んで行った。東京の実家の母にも話さぬままだった。佐々原は、遠くに母の声を聞いた。
「己の性格が、人生を決める」
母の口癖だった。佐々原は、耳を塞いだ。
前職のスキルを生かして事業を立ち上げた。始めは上手く行っていた。だが、一年も経つと薄っぺらな佐々原の能力など、枯葉の如く木肌から落ちてゆく。
元々、考えなしに行動してしまう癖のある佐々原であった。それまでは、どうにか要領良く、人生らしきものを歩いていたつもりでいた。なんとかなる、と常に思っていた。
人生トントン、良いときもあれば悪いときもある、悪いことがあっても、直ぐに良いことがやってくる、くらいに思っていた。
楽観主義といえば聞こえはいいが、単なる能無しでしかない。
その後にとった佐々原の行動が、また突拍子もなかった。
なにを思い、考えそうしたのか、当の佐々原にも理解できないのだが、事業の建て直し、と称して、居酒屋を始めたのだった。奈良の片田舎でのことである。
資金も底を尽きかけていたから、借金をして店を造った。
それまで借金とは無縁の佐々原であったが、なんの躊躇もなかった。
店舗の保証金やら、内装工事費やらで、軽く一千万円を要した。
店をするのに、案外お金が掛かるものなのだな、くらいにしか、思わなかったから、楽観を通り越して、能無し、と佐々原自身口に出していう所以である。
店を造るときに、佐々原が思い描いたのは、太宰の遺してくれた小説にある「ヴィヨンの妻」の舞台、夫が溜め込んだつけを払うために妻が働くことになった居酒屋だった。
佐々原には佐々原なりのヴィヨンの妻に出てくる居酒屋の映像があった。
小説の設定では、土間と奥に六畳間があるだけだったが、土間の代わりに、店主である佐々原を囲うようにして十人ほどが座れるカウンターを造った。カウンターを過ぎると、その奥に六畳間の座敷がある。表玄関とは別に、裏に勝手口も設けた。
その奥の六畳間の座敷に、あるときは小説そのままに、妻を働かせているどうしようもない亭主「大谷」がいたり、またあるときは、太宰の亡霊が、どこかの場末のバーの女性と肩を並べて座っている。
そんな映像が、佐々原の頭から離れないでいる。どちらも自分のことと佐々原は思った。
ど素人の佐々原が、日銭欲しさにやった居酒屋が流行ろうはずもなく、良かったのは最初の三ヶ月程度のことで、その後はいつも閑古鳥が啼いていた。
佐々原はいつも独りで、太宰の亡霊のいる座敷を占拠し、太宰の遺した小説を読みながら酒を飲んでいたのである。
二十歳の頃、図書館で独り過ごした若かりし自分を感じ、あのときと同じだ、と思い、苦笑いしながら、佐々原は酒を口にした。
太宰は、三十九以降の人生に、なにを期待していたのだろうか。
自分は、太宰の望む人生を歩んでいるのだろうか。
毎日、数人しか来ない客人を相手にしながら、佐々原は悶々と独り過ごしていた。
五
毎日が、少しの客しか相手にできない店だったから、佐々原には時間だけはたっぷりとあった。
ひょっとすると、あの浪人時代を超えて、時間が有り余っていたかもしれない。
大学に受け入れられないで悩んでいたことが、客が来なくて、売り上げがあがらないで、明日の仕入れ代は大丈夫だろうか、この月末を越せるだろうか、という心配事に変わっただけだ。
人の余り訪れない店であったが、特異な人物だけは多種に渉って来る店だったから、それぞれの人情の機微には多く触れることができた。
時には、客人と喧嘩になるくらいまで、激しく口論することもあった。
「出て行け」「二度と来るか」の言い合いを何度も繰り返した客人もある。
客が少ないが故、穴場として静かに飲むのに適している店だったようで、そんな利用客が案外いて、そんな彼ら客人が佐々原を支えてくれていた、といってもいい。
そんな彼ら客人は、深く付き合えば付き合うほど、奥の深い味のある言葉をときに吐いたりするのである。
薄っぺらな佐々原の人生を少しだけ厚くしてくれた。
佐々原の人生とは全く別の世界にいる彼らだが、それが故、佐々原の人生の師であったのかもしれない。
佐々原が感じたのは、彼らは一様に、好んで独りで生きてきたのは確かだが、独りでいることを辛く感じているところもあった、ということだ。
彼らと佐々原は、全く別の道、別の人生を歩いてきている。だが、ひとつの店を通して接点が生まれた。これは互いの人生においては、とてつもなく大きな出来事なのであった。
本来なら、一生出逢うこともなかったろう二人が、一緒にいることの奇蹟なのである。
一期一会の一言では片付けられないなにかが、自分の店にはあったと、佐々原は思っている。
流行らない店ではあったが、存在価値だけはあったのだ。
三年足らずで潰れ、佐々原には借金だけが残りはしたものの、人の貯蓄はできた。店が潰れたときには、不思議と後悔はなく、案外すっきりとした気持ちだった。
ただ太宰の亡霊が腰掛けていた椅子や六畳間の座敷そのものが、自分のものでなくなってしまうことが、少しだけ寂しかった。
能無し、能天気の佐々原も人並みの苦労をした。良くも悪くも、人生経験だけは増えた。
そろそろ小説も書けるまでに成長したのではなかろうか。
これが太宰が望む、三十九以降の人生かどうか、未だわからず仕舞いだが、佐々原がいま、無性に小説を書きたくなっているのは、いや、書かずにはいられなくなっているのは、きっと、自分の中の太宰が望んでいるからなのであろう。
そんな、佐々原修治も四十三になっていた。
六
店も潰れてしまい、佐々原には借金だけが残った。借金は、一千万円を超えてある。無職ではいられない。のんきに途方に暮れている暇などない。仕事をしなければならなかった。居酒屋の客人の中には佐々原を気遣う者もいて、その彼の紹介で、失業後、休む間もなく直ぐに仕事にありつけた。
病院や介護施設を相手に、人材を派遣する会社の営業だった。
佐々原は元々、営業出身だったから、この転機を生かす自信もあった。奈良の片田舎中心の営業だから、車は欠かせず、一日中、車での外交であったことも佐々原は気に入った。
社長も佐々原と同じ歳であった。面接の時から馬が合うような気もしていたし、のんびりとした社風も尚気に入る要素となった。
佐々原は自然、拳を握り締め、やってやるぞ、と心の中で呟いた。
契約は年俸制で三百万円のスタートだ。一千万円を超える借金を抱えて年収三百万ではやっていけない。必然的にアルバイトを掛け持ちすることにした。
派遣会社の仕事は、遅くとも十八時には終わるということもあり、十九時から回転寿司でのアルバイトを入れることが出来た。その回転寿司店が二十二時で終わってしまうので、二十三時から夜中の二時まで、ファストフード店で働くという、一日のサイクルが出来上がった。
日中の派遣会社、アルバイト先二件、いずれもオーナーは、佐々原の居酒屋時代の客人であった。
佐々原の店は、本当に儲からない、どうしようもない店であったけれど、人と人との繋がりだけは豊富にあった。苦しい時代を助けてくれるのは、いつのときも人の情であることを佐々原は身を持って知るのであった。
一日中働いて、家賃三万八千円のワンルームの部屋に帰り着く頃には、文字通りへとへとになっている。睡眠時間は、三時間から多くて四時間だったが、毎日の達成感から少しも苦には感じなかった。
日中の派遣会社の休みの土日は、アルバイトのファストフード店と寿司屋を掛け持ちして、フルで働いた。一年間三百六十五日、休み無く働いた。
借金だけで、月に二十五万円の支払いが待っていたから、一日でも休むとその分、生活が逼迫してしまうのである。
四十過ぎの白髪混じりの大のおとなが、高校生に混じってファストフード店で働くことに、いくら自分がオーナーの知り合いだからとはいえ、抵抗を感じないではなかった。若い従業員に受け入れられるだろうか、という懸念もあった。
実際、佐々原の指導員は、土日の日中は高校生の女の子であった。
運動神経は人並み以上にあると自負もしていた佐々原であったが、そこは四十過ぎの身体である。どんなに背伸びしても、高校生には敵うはずもない。頭で考えるように身体は動いてくれない。動作は鈍くなっているようで、その指導員の女子高生には、動くたびに舌打ちされた。なにくそ、と思うものの、これも己の人生の一部である。自分が望んで選んだ人生なのである。
佐々原は、会社を辞めたとき、一度は耳を塞いだ、母の口癖を思い出していた。
「己の性格が人生を決める」
佐々原は、歯を食い縛ってみせた。
心の中の太宰は、まだまだ佐々原に試練を強いている。小説を書きたくて仕方ない佐々原であったが、太宰はまだまだ佐々原に書かせてはくれないのであった。
こんな生活を三年続けた。
借金もようやく半分になっていた。ぎりぎりの苦しい生活ではあったが、時に母の口癖を思い出し、心の中の太宰と語り合いしながら、佐々原自身にも、どうにか先が見え始めた。
その矢先だった。
収入の柱になってくれていた派遣会社から、突然の解雇を言い渡された。
佐々原の身体は限界に達していたのだ。睡眠時間、三時間四時間の生活を三年続けた代償は、病だった。
本社で週一回開かれる、ある日の会議の時間、若い営業員が話している最中に、佐々原は血を吐いた。結核だった。
お世話になっていた派遣会社が病院や老人介護施設だったということもあり、院内で感染してしまったのだった。通常の健常な人ならば掛からなかっただろうが、無理をし続けた佐々原の身体はそれほどまでに弱っていたのだった。
入院先に、社長が見舞いにやってきた。見舞いというのは口実だった。
今回の吐血即入院の騒ぎで、佐々原の普段の生活振りが社長の知るところとなってしまったのだった。
極度の疲労から度重なる会議中の居眠りも酷くなっていた。頭の回転も悪くなる一方で、顧客との約束を忘れて反故にしたことも二度三度とあった。極めつけは、一度返済が一日遅れ、ローン会社から本社に連絡が行ってしまったりもした。それがつい二週間前の出来事だった。
「佐々原さん、いいづらいんだけど、君はここ最近ずっと疲れているようだね。この先もいまの生活が続くようだと、また同じことが起こるだろう。私としても他の社員の手前、このまま君を居させるわけにはいかないんだ。申し訳ないが……」
社長からの解雇通告だった。佐々原にとって初めて味わう、解雇の瞬間だ。
空気の澱んだ病院のベッドの上でのことだった。佐々原は、目の前が真っ暗になった。こういうとき、なにも考えられない、とはよくいうが、それは嘘だった。実際、佐々原は、いろいろな考えが巡った。余計な考えばかりが、浮かんでは消え、また現れた。
外国製のスーツを着こなした社長の後ろ姿が辛うじて佐々原の目の端に映った。どこか寂しげにみえた。佐々原は、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
この先をどうするのか、どうして行けばいいのか。
アルバイトだけでは、時間の制約もあり、佐々原が望むようにはフルで働かせてもらえない。必然的に収入は減るのである。
アルバイトを増やしたところで、所詮、時間給数百円では高が知れている。
よく、「借金苦で自殺」などという見出しの新聞記事を見掛けるが、ああこれがそれなんだな、と他人事のように佐々原は思った。
なんでそんな少しの借金で死を選んでしまうのだ、とこの手の記事を見掛けるたびに思っていた。佐々原自身、経験してわかったことだが、人間は得てして、払えそうで払えない金額が一番苦しいものなのだ。
あと二万円、いや、一万円あれば今月も乗り切れるのに、という思いを佐々原も何度も経験してきた。ここまで佐々原はなんとか乗り切って来れたが、そうでない人は、その一万二万が無いがために、支払いが滞り、総ての金融機関から取引を止められてしまい、一日の食事の確保すらままならなくなり、死を選んでしまうのである。
五億という普通ではなかなか払えっこない金額の借金をしている人間をひとり知っているが、彼などは反って、開き直っていて、寧ろ明るく生きていたりする。彼の笑顔を思い出してしまった。佐々原はベッドのシーツを強く握り締めていた。そのまま自分の顔のところまで持ってくると、それを両手で引き裂いていた。声にならない声をあげていた。
七
解雇のあと、佐々原の中の時間が止まった。
病院を退院後、また頻繁に川の夢を見るようになっていた。渦に巻き込まれることが多くなった。やはり目だけは川面に浮かんでいる。辺りは真っ暗なのに、木漏れ陽を感じるのである。
十年連れ添った妻とも別れた。というよりは、捨てられたようなものだ。自暴自棄にもなり兼ねない状況にあったが、自分の置かれた立場が悲惨すぎて、反って悲観にはならなかった。莫大な借金を抱えた知人が、のほほんと開き直った態度で暮らしている気分とはこういうものなのか、と合点がいった。
佐々原の人生もここまで来てしまった。そろそろ真剣に、死を考えても良いのかとも思う。死の淵まで行ったことはないが、死の淵とは一体どんなところなのだろうか。変に憧れにも似た感情を抱くようにもなっていた。昔の暗示が現実となろうとしている。
いまの佐々原のこの状況、これら総ての事柄は、本当に、佐々原の心の中にいる太宰のくれた人生なのだろうか。太宰も死に憧れを抱いていたのだろうか。その先に、なにを期待していたのだろう。
居酒屋時代のまた別の客人が、うちで働かないか、と佐々原に声を掛けてくれた。
少し心が動いたが、このまま独りで奈良にいても先はない気がする。
佐々原はその日、酒を飲んだ。三年間働きづめに働いて、封印していた酒を飲んだ。手元に金はあった。すぐに借金の返済に回る金だった。どうでもよかった。
居酒屋時代に付き合いのあった店を一軒一軒廻った。酔ってくると、いま自分の身の上に降りかかった新たな苦行を店主に語っては、笑い飛ばしてみせた。
朝五時を過ぎ、六時近くになっていた。
辺りは暗い。まだ光りはみえない。いまの自分の心の中のようだ。
佐々原は最後の店を出た。やけに眩しい月明かりに背を向けながらの帰路だった。遠くで電車の走る音が聞こえた。
佐々原は、母の口癖を思い出していた。
「己の性格が人生を決める」
まったくその通りだった。佐々原は笑った。もう一度、笑った。何度も何度も笑った。
妙に母に会いたくなった。この衝動は抑えられない。
実家に戻るかどうか考えた。どんな顔をして会えばいいのかわからない。母の悲しげな顔が浮かんだ。でもそれは直ぐに消え、若かりし頃の美しい笑顔を感じた。母は笑っていた。佐々原の頭の中の母は、確かに笑顔だった。
佐々原は在来線の各駅停車に独り乗っていた。三年振りに飲んだくれた酒に手持ちの金はほんの僅かになっていた。
聞いたこともない駅をいくつか過ぎると、聞き覚えのある駅名に停まる。そこで違う路線に乗り換える。これを二度三度と繰り返していた。
まだ母の待つ東京には程遠い。陽が暮れかかってきた。このままではきょうのうちに東京に着くのは無理であろう。
佐々原は、ふと窓の外をみた。聞いたこともない駅名の看板があった。その向こうには、海がみえた。
反対側の車窓には、鬱蒼と繁った木々の覆う小高い丘があった。
佐々原は、ここで降り立っていた。
海とは反対の森の中へと歩みを進めていた。
いまの佐々原には、季節感がなかった。四季の彩りに感慨を覚える余裕もなければ、必要もなかった。冬なのか夏なのか春なのか秋なのか、そんなものどうでもよかった。寒いのか暑いのか、それを感じられれば、それで充分だった。
この日は、ジャンパーを羽織っていたから薄ら寒い季節であったようだ。
佐々原は小高い丘の頂上を目指した。日暮れどきもあって、辺りは薄暗くなってきた。ジャンパー一枚では、寒さを感じるほどにまで冷えてきた。
この道はきっと頂上へと続く道なのだろう。人ひとりがやっと通れる緩い坂の小道だった。
川の流れる音がする。川の方へ歩みを変えた。
夢なのか、自分はきっとまた悪い夢をみているんだ、と佐々原は思った。
川に出ると、そこは夢に出てくるいつもの川であった。
「これは、俺がいつもみている夢の中そのままだ」
佐々原は声に出して呟くと、川に足を入れていた。冷たかった。夢では味わうことのない感覚だ。佐々原は夢と同じ行動を取っていた。
川の中、奥へと足を踏み入れてゆく。川の中央は、やはり深い。川の水は佐々原の腰あたりまできてしまった。
冷たい、と感じたのは、最初だけで、直ぐになんの感覚もなくなっていた。やはり夢なのか。川の流れに身を委ねた。
目の前に渦が現れた。気持ちが好かった。
佐々原は、その渦の方へと手をかいて進んだ。自ら進んでいった。
渦に巻かれた。
身体が、ぐるぐるとなにかに巻かれた。足腰は川深くに沈み、いつの間にか目だけが川面に出ていた。
渦の中心に目だけが浮かんでいた。
死への恐怖はない。
太宰の顔が頭に浮かんだ。
太宰よ、お前は二人で死んでいったのに、俺は独りか、と佐々原は自分を笑った。
太宰よ、結局なにも書かせてくれなかったな。でも怨んじゃいないぞ、と佐々原は、声に出して笑った。叫んだ。
でも川面に沈んだ口からは、なんの音も響かなかった。
頭の中に、自分と太宰を引き合わせてくれた、セミナーに誘った友人の顔が浮かんだ。彼はまだ小説を書いているんだろうか。書き続けていて欲しいと願った。
講師の芥川賞作家の先生の顔も浮かんだ。何年か前に訃報を知らされていたことを思い出した。
忌々しい借金五億円の男の顔も浮かんだ。
学生時代の友人の顔が数人、佐々原を笑顔でみていた。
そして、母の笑顔が浮かんだ。
急に、死への恐怖が佐々原の心に湧いた。
「死にたくない。俺は、死にたくない」
佐々原は泣いた。これは夢ではない。佐々原の涙は、現実の川の流れに掻き消された。
「太宰よ、お前もきっと、俺と一緒で不器用にしか生きられなかったんだな」
佐々原はもう泣かなかった。
「おかあさん、いまとても温かなんだ。冷たいはずの水がとても温かいんだ。なんだか気持ちが好いんだ」
佐々原は思った。
「いま幸せな気分だよ」
そのとき、一筋の光りが川面に浮かぶ佐々原の目に入った。
佐々原は、その光りの先に手を差し伸べた。うず潮の雲が光りを放っていた。佐々原は笑顔でそれを見詰めていた。佐々原の目は、確かに、笑っていた。
それは、佐々原がいままでにみせたことのない、生きる希望に満ちた瞳であった。
〈了〉
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