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「沙耶さんのことはほんま忘れたいとは思ってる。でもこうやって会うとやっぱり
あのときのことが忘れられへん。もう1回だけええやろ?」
高田のことは嫌いになったわけじゃない。
ただそれ以上に、翔太のことが大好きになっただけ。
もう翔太以外は誰も見えない。
その気持ちに嘘はない。
ただこんなタイプの男性にぐいぐい押されると弱い。
数秒後には彼に抱きしめられ、唇を奪われている。
少しは抵抗と言うかためらいもある。
だけど結局は受け入れてしまっている。
そんな状況をイメージしてしまった。
「沙耶さん。目をつむって」
彼の言う通りにしてしまうと、今まさに思い浮かべた展開になってしまう。
さすがに素直に要求に応じるわけにはいかない。
だけどそれを言葉にして抵抗するほどの気持ちはなかった。
「沙耶さん。冗談ですよ。ボッチャーンみたいなええ旦那がいてはるんですもん。もう
あほなことはしませんよ」
高田の表情が一変した。
ほんの数秒前までは、ロマンチックな雰囲気にぴたりとはまった顔だったのに。
少女マンガに出てくる主人公のように、目の中にいくつもの星が輝いているように
見えた。
ところがキュートなえくぼを両頬に作り、目尻が垂れている。
彼の中では精一杯おどけた顔をしているつもりなんだろう。
「えっ!」
突然の一転二転する彼の豹変ぶりに動転しまくり。
言葉というよりも、驚きの声をあげるしかできなかった。
「ほら、もう1回飲み直しましょう」
そう言いながら、私は彼とともに結局腰をおろすことになった。
いや、正確に言うと、彼が私の肩に力を加えて、無理矢理座らされたのだ。
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超短編恋愛小説
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「高田。沙耶と2人きりになって変な気起こしたりしたら、どないなるか分かってるやろな?」
「もうそんなアホなことするか。心配せんでええから。そんなことより、はよ帰ってきてくれ」
高田が喋っている間、ずっと彼の顔をまじまじと見つめた。
一番最初に高田の顔を見たときと一緒。
私のことなんかまったく気にもせず、翔太とごく普通に親しげに話をしている。
きっと高田が言うように、本当に私に対する気持ちは完全に消失したみたい。
「沙耶。ほなちょっと会社行ってくるわ。できるだけすぐ帰るから」
私は素早く立ち上がり、玄関まで彼を見送ろうとした。
「あぁ、別に見送りなんかええし。そんなことより、高田のこと宜しく頼むわ」
「うん、分かった。じゃあ、気をつけてね」
「あぁ」
翔太は桜井とともに、私たちに背を向け出て行った。
「沙耶さん。またこんな機会がやってくるやなんて思うてた?」
丁寧でもないし、くだけすぎてもない。
何だかすごく中途半端な話し口調でいきなり話しかけてきた。
しかも私の心臓が止まってしまうようなことを言ってきたのだ。
「高田さん。もう私のことって・・・・・・」
ここでドラマとかだったりしたら、彼が狼に豹変したりするんだろう。
そんなことを思いながら、彼の気持ちを確認しようとした。
私が話しかけてすぐのこと。
振り向きざまのタイミング。
すぐ目の前に彼の顔があった。
翔太はかなりのルックスの持ち主。
そんな男性を夫に持つ私は、とても誇らしく思っている。
でも高田の容姿は、翔太以上。
いや正直言って、高田は規格外。
まるで男性アイドルと錯覚してしまうくらいの超イケメン。
しかも私好みのルックス。
高田を初めて見たときのこと。
自分でも信じられなかったが、迷うことなく彼に一目ぼれをした。
しかしその気持ちはどちらかというと、芸能人のファンになる。
最初はそんな感じだったのだが。
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私たちが結婚披露宴をしたときに、翔太自身が私のために歌ってくれた曲。
私の一番大好きな曲のサビの部分だった。
「どないしてん、こんな時間に」
翔太は相手が誰なのか、もちろん分かっている。
きっと会社の部下か誰かなんだろう。
いつもと変わらぬ口調で、用件を早く伝えろと言わんばかりに言い放っている。
「なんやて! マジか? わかった。今から桜井連れてすぐ行くわ」
そう言って、翔太は電話を切った。
「ボッチャーン。どないしてん?」
「お前の今日作ってくれた田村商事のプレゼン資料」
「その資料にミスでもあったってか?」
「計算が合わへん言うとんねん。お前、ちゃんと確認したんちゃうんか?」
「確認はしたけどよ・・・・・・」
仕事でトラブルが起こったんだろうってことは、私にもすぐ分かった。
「あなた。仕事のことやったら、私に気遣わんと、はよ行っていいよ」
「すまん、沙耶。すぐに戻れると思う。こいつ必要ないから、置いていくわ」
「えっ?」
高田のことは、今はもう何も思っていない。
だから、別にいいのかもしれない。
いや。
彼と2人きりでいるっていうのは、やっぱりかなり気が重い。
「ボッチャーン。俺も一緒に行ってええんちゃうん?」
「お前は、こんでええ。来たってすることないんやから」
「ほな、ほんまはよ帰ってきてくれよ」
高田は、翔太たちの仕事のことより、私と一緒で2人きりになることが心苦しいんだと思う。
彼も私のことは吹っ切れたのに違いない。
さっき自分自身でも言っていたけど。
それでも、ここに2人きりで残されることが、あまりにも窮屈に感じたのだろう。
気まずい雰囲気になるのは間違いない。
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「そやけど、ボッチャーン。良かったな」
「良かったって、何の話や?」
「吉野のことやんけ!」
「あっ、あぁ、そやな」
「でも、ボッチャーン。どない言うて諦めさしたんや?」
「俺も基本鈍感やから、あいつにコクられるまで全然分かれへんかった」
突然、私の耳がダンボになってしまった。
翔太の『コクられる』って言葉に敏感に反応した。
思わず飲みかけのビールを吹きこぼしそうになった。
「でも吉野って、ボッチャーンが結婚してるってこと知ってたんちゃうんか?」
「それは勿論、最初から知ってるって。そやからコクられて、ほんまビビったんやって」
翔太の話はかなり刺激的。
だけど聞いている限り、私にとってはハッピー・エンドの内容。
そしてなんといっても、私には直接関係のない話。
首を突っ込むわけにはいかなかった。
「あいつ、なんて言うてきたん?」
「それは吉野に申し訳ないから、はっきりしたことは言えへん。でも俺は、沙耶っていう
素敵な嫁であり、最高の彼女がおるから他には誰も見えへんって言うて断った」
翔太のセリフにかなり私に対する自己PRも入っているのはよく分かっている。
それでも目の前で、しかも他人の前でこんな風に言われて、嬉しくないわけがなかった。
ビールのせいじゃない。
一気に体が熱くなってきた。
「ボッチャーン。お前ってほんまええ男やなぁ。俺もほんま完全に諦めるしかないって
もっとはように気づくべきやったわ」
高田は後頭部をかきむしりながら、翔太に敗者宣言をしている。
高田には申し訳ないけど、今の私には翔太しか見えない。
まさに今さっき、翔太が言った内容そのままの気持ち。
そのとき、聞き覚えのある着うたが流れた。
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「ボッチャーン。勘弁いてくれや。お前が沙耶さんをごっつい愛してるっていうことは、よう分かって
るし」
「あぁ、すまん。ついつい、いつもの癖で・・・・・・」
翔太の言っていることは、あながちすべて間違いではない。
いつも家に帰ると、すぐ私を抱きしめ、キスをしてくれる。
だけどこんな激しく、そしてその気になってしまうほどの扇情的なものではない。
「沙耶さんもええ加減にしてくださいよ。そんなんせんでも、俺もう沙耶さんのことは
諦めてますから」
「諦めるって、そら当たり前やん。私は高田さんと出会ったときから今まで、そしてこれからも
ずっと人妻で、この人一筋なんやから」
「分かってますよ。沙耶さんを惚れてしまった俺がアホやっただけやし」
彼の本心はよく分からない。
だけど心の中では、まったくそんなことを思ったりしていないに違いない。
あのときの彼の目の力も輝きも、今とはまったく違っている。
彼は、そう。
気持ちが必ず言葉に乗り移る人。
彼の性格が知らぬ間に急変したとは考えられなかった。
「まぁ、高田。奥さんのこと、もうええやんけ。奥さん、ビール入れますわ」
高田の隣に座っている桜井がふと立ち上がり、私のすぐ傍へと移動してきた。
ビール瓶とグラスを持ったまま。
「ええやん。一緒に楽しもうや」
桜井にビールをすすめられたが、少しだけ躊躇した。
翔太の顔を覗き込み、助けを求めた。
彼は白い歯をのぞかせながら、桜井の酌を受けるようにと、首を縦に振っている。
「ほな、ボッチャーン。夫婦がますますラブラブでいられるように。それから、今年こそは
高田に彼女ができますように。カンパ〜イ」
桜井の声が部屋中に響き渡っている。
元々太いよく通る声だと思う。
そんな彼がとてつもなく大きな声で言うものだから、地響きがしているような気がして
ならなかった。
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