|
『物語の哲学』野家啓一
読者問題の浮上、社会史の興隆は文学論や歴史学に大きな流れを作っているが、その一端とも云える。
しかし、私が考えるのは、寧ろこれもまたそこに留まるとしたら擬制であり誤謬に他ならないという事だ。 物語られたものから物語る事へ、作者、作品から読者やその時代への視点の移行は、丁度神への視線を人間自身に、神そのものではなく神に作用しもするという作用と反作用を逆転させたような人間主義、人文主義の遣った事の反復でもあって、ともすれば度が過ぎて神の問題を忘却させる、或いは故意に無視し続ける事に繋がった、それと同様にそうして作者、作品の問題を問題の一つとしてさえ含まずにすっぽかしてしまうかもしれないという事である。 歴史が実は存在しないのではないか、という懐疑は確かにただの歴史主義には有効で、一旦はその現象学から解釈学へ自然に進むような徹底した洗い直しがあるべきではあるものの、しかしそれでもなお、歴史意識が仮構であってさえ有効で確かに世界制作として保持すべき一つの方法であるという処まではいいけれども、それ以上に再度、作者、作品、神そのものを直接に直截に問う事もなければならないだろう。 現象学から解釈学へ推し進めた結果、単に歴史はないがしろにすればいいというのではなく、寧ろ問い直された歴史、問い直され続ける歴史を携えつつも一時的な学問道具として克服され乗り越えられたものであるかのような現象学にこそ還って、宗教の不可知論に抗して、哲学はもう一度神(/悪魔)の問題を問う事がなければならないであろう。 |
全体表示
[ リスト ]





