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『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』安田純平
2016年6月現在の状況では、本書で報告されている2007年の状況とは違い著者の正体は著者を拉致した武装勢力に既にばれていて、日本や日本人、日本政府に対して身代金を含めた身柄引き渡しの交渉を要求しているようである。ところが、これを中途半端に報道し続けるマスコミもさることながらネットでは本書の内容からも自己責任論で著者を見殺しにしても当然であるかのような論調が大勢を占めている。このままいけば本当に著者を見殺しにすることになるのではないか。
安保法は国会を通したのに著者が現在直面しているような国際人質事件は、警視庁でも外務省でも防衛省でも対応している気配すらない。極秘に対応していて結果として救出できるならいいが、本当に対応する部署すらないのではないか。北朝鮮や南西諸島の新しい事態には率先して対応しようとしているのに、他方で以前から問題になっている世論の風当たりも厳しい日本人人質事件にちゃんと対応することが自己責任論にかまけてなおざりにされるのはおかしいのではないか。 自己責任論者だから見殺しにしていいという短絡ではなく、これだけの自己責任論者が救出を要請させられているという事態を少なくとも政府は逆に重く受け止めるべきだろう。諜報とか戦略、特殊部隊というところまで考えるなら極秘裏に身代金を用意してでも日本人を奪還する実績を重ねていくのでなければ、単に口先だけの安保、抑止力で日本人は還ってこない、助からない状況は続いていく。湾岸戦争の時のことで云えば、アントニオ猪木より中曽根康弘の方がよほど偉かったということは理解しておかねばならない。 |
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『古代ギリシアと民主主義の研究』横地保範
文芸社文庫には時々、掘り出しの逸品がある。
ポリスの特異性、ミケーネとの対比をギリシアの古代史を辿りながら著者はくどすぎるまで自問自答するように繰り返す。これはしかし寧ろ反覆による理解の深度を増すものになり、いつしか口を酸っぱくしてまで掘り下げ掘り崩し掘り興して本質を直観するに至ったものであるようだ。 アテネ(古代)とミケーネ(先史)、アテネ文明と他文明との対比も鮮やかで見事だが、ソクラテスとキリストとの対比も本質直観の妙が存分に発揮されている。 早々に絶版になってしまったものの、再版され読み継がれるべき秀作だろう。 後半部として続刊が予告されている『古代エジプトから生まれた民主主義と一神教』も楽しみである。 |
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02.15『チベットの先生』中沢新一(角川文庫)・・・大幅加筆あり。
04.10『日本語が亡びるとき』水村美苗(ちくま文庫)・・・第七章、文庫版によせて増補。
04.10『反歴史論』宇野邦一(講談社学術文庫)・・・『群像』発表論文四編。文庫版あとがき。
05.29『ヴァルカンの鉄槌』フィリップ・K・ディック(創元文庫)・・・最後の長編。佐藤龍雄初訳。
06.10『位相群上の積分とその応用』アンドレ・ヴェイユ(ちくま学芸文庫)・・・齋藤正彦訳、平井武解説。用語索引。
08.20『イデオロギーの崇高な対象』スラヴォイ・ジジェク(河出文庫)・・・鈴木晶訳、大澤真幸解説。
08.25『「無限」に魅入られた天才数学者たち』アミール・D・アクゼル(ハヤカワ文庫)・・・青木薫訳。
10.10『日本〈汽水〉紀行』畠山重篤(文春文庫)・・・文庫版あとがき。太田愛人解説。
11.25『装飾とデザイン』山崎正和(中公文庫)・・・三浦篤解説。人名、書名・作品索引。
12.01『消費税 政と官との「十年戦争」』清水真人(新潮文庫)・・・序章等大幅加筆。宮本太郎解説。
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『炭水化物が人類を滅ぼす』夏井睦
発刊半年で十刷、二十万部、コミック版も出てベストセラーらしい。
現在の私は糖尿病ではないので、糖質制限については話題になっているもののどうかな、という程度の理解である。 ただ、生物学者がコメを食べすぎる事に懸念を示すのを講義で視たことがあって、それについての中立的疑問は以前からある。 読後、糖質制限は糖尿病患者(予備軍も含む)には全面的に適用すべきであり、かつ通常人にはその必要はなし、と私は感じた。 著者は、糖尿病以外の現代人全般にこれを適用すべきと考えているらしいが、それは全く矛盾である。少なくとも現在の世界人口、その増加傾向を考えれば、肉食ではなく人間こそが草食化した方がましである。が、この食糧問題はそれができていないから問題になっているのであって寧ろ、近代化と云うか現代化による、高齢化とその結果としての少子化、つまりは人口減によってこそ解決するだろうし、そうすべきだと考えた方がよい。食糧そのものをどうかする事によってはそれこそ限界があるからだ。 他方で、現代の糖尿病患者数をそれを多いとするか少ないとするかはあろうものの全体の一割とするとその一割の人が確実に穀物を諦められるには、穀物神話からの解放からが確かに必要かもしれない。学会はそれを前提としていないだけである。故に著者はこれを打ち破ろうとしているのではあるが、それが為に大半の人間の食糧を否定しようとするのは近藤誠の癌治療不要論と丁度逆である。 抗がん剤治療が本当に必要であるのは全体の一割くらいしかない、大半の人には必要がないと云うのと何処か似ている。これを全面適用すれば、一割の本当に必要な人が犠牲になるかもしれないのだから。 一割のために全体を覆そうとするのと、九割のために一割を犠牲にするかもしれないのと。 尚、動物の血糖値の話や著者の「生命進化とエネルギー獲得法の変遷に関する仮説」は、近年の雑誌化する新書には珍しく内容の濃い興味深いものがある。 また、本書中盤から終始無造作に出て来るATPとは、アデノシン三リン酸Adenosine TriPhosphateの事。 |
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『国家と宗教』南原繁
終戦直後に二度も東大総長になった政治学者の処女作。現代文庫ではなく青色文庫に収められるのは、古典というより単に古いという感覚からか。
内容は、全四章に第三版で追加された補論を含む。この補論は著者自身が緒論であり結論であるとも云っている。 全体の基底となる第三章のカント論は、1927年著者38歳の時の論文であり、以下第一、二章のプラトン論と第四章のナチス批判は開戦に相前後して『国家学会雑誌』に発表されたものである。年譜に明らかだが、そのうちには美濃部達吉の天皇機関説事件、矢内原忠雄の辞職、大内兵衛らの検挙、河合栄治郎の発禁処分、同平賀譲総長らの粛学処分、津田左右吉らの検挙という学問と軍国主義が鬩ぎ合った一連の騒動が挟まっている。 しかし、本書に天皇制批判や軍国主義批判は見られない。同時にその礼賛も一切ないものの、それでも一瞬「ナチス的精神の時代的意義を汲むに吝かではない」との最後の文言には冷やっとするかもしれないし、マルクスとマルクス主義批判でははっきりと容赦がない。当時の共産党員や共産主義者、三木清や戸坂潤らに同情の余地、その表現の余地があるという事もない。京都学派は海軍と密会を重ねて別の路線を探っていたのに対して、それらとはまた独立して政治神学が深められていた事だけは明確である。 デカルトに触れられる事は全くないものの、デカルトとカントが神と人間の問題を完全分離したとすれば、それを人間の側に引き付けて人間を神にしようとした、人間自身が神になろうとした事においてはヘーゲルもニーチェも同根とした上でそのボタンの掛け違いをカントやプラトンにまで遡っている、或いはそこに遡るに留まっているとも云える。 或いは、プラトンの『国家』の後半部、ホッブズの『リヴァイアサン』の最終部が悪魔論、悪霊論であるように、本書にもその端々にはデモーニッシュなものに対する危険意識が明確になくはない。単に戦後というのではない大戦以降の大衆や冷戦以降の紛争の時代にあり得べき政治哲学の一つの手掛かりにはなろう。 |







