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			<title>政治魔術批判論 Critic on Political magi</title>
			<description>　現実の社会を見据えた評論を目指しています。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>政治魔術批判論 Critic on Political magi</title>
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			<description>　現実の社会を見据えた評論を目指しています。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius</link>
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			<title>日本が日本人を助けられないという実績を重ねるな</title>
			<description>&lt;div&gt;『ルポ　戦場出稼ぎ労働者』安田純平&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　２０１６年６月現在の状況では、本書で報告されている２００７年の状況とは違い著者の正体は著者を拉致した武装勢力に既にばれていて、日本や日本人、日本政府に対して身代金を含めた身柄引き渡しの交渉を要求しているようである。ところが、これを中途半端に報道し続けるマスコミもさることながらネットでは本書の内容からも自己責任論で著者を見殺しにしても当然であるかのような論調が大勢を占めている。このままいけば本当に著者を見殺しにすることになるのではないか。&lt;br&gt;
　安保法は国会を通したのに著者が現在直面しているような国際人質事件は、警視庁でも外務省でも防衛省でも対応している気配すらない。極秘に対応していて結果として救出できるならいいが、本当に対応する部署すらないのではないか。北朝鮮や南西諸島の新しい事態には率先して対応しようとしているのに、他方で以前から問題になっている世論の風当たりも厳しい日本人人質事件にちゃんと対応することが自己責任論にかまけてなおざりにされるのはおかしいのではないか。&lt;br&gt;
　自己責任論者だから見殺しにしていいという短絡ではなく、これだけの自己責任論者が救出を要請させられているという事態を少なくとも政府は逆に重く受け止めるべきだろう。諜報とか戦略、特殊部隊というところまで考えるなら極秘裏に身代金を用意してでも日本人を奪還する実績を重ねていくのでなければ、単に口先だけの安保、抑止力で日本人は還ってこない、助からない状況は続いていく。湾岸戦争の時のことで云えば、アントニオ猪木より中曽根康弘の方がよほど偉かったということは理解しておかねばならない。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius/42727359.html</link>
			<pubDate>Mon, 11 Jul 2016 20:12:51 +0900</pubDate>
			<category>軍事</category>
		</item>
		<item>
			<title>ポリスとアレテー</title>
			<description>&lt;div&gt;『古代ギリシアと民主主義の研究』横地保範&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　文芸社文庫には時々、掘り出しの逸品がある。&lt;br&gt;
　ポリスの特異性、ミケーネとの対比をギリシアの古代史を辿りながら著者はくどすぎるまで自問自答するように繰り返す。これはしかし寧ろ反覆による理解の深度を増すものになり、いつしか口を酸っぱくしてまで掘り下げ掘り崩し掘り興して本質を直観するに至ったものであるようだ。&lt;br&gt;
　アテネ（古代）とミケーネ（先史）、アテネ文明と他文明との対比も鮮やかで見事だが、ソクラテスとキリストとの対比も本質直観の妙が存分に発揮されている。&lt;br&gt;
　早々に絶版になってしまったものの、再版され読み継がれるべき秀作だろう。&lt;br&gt;
　後半部として続刊が予告されている『古代エジプトから生まれた民主主義と一神教』も楽しみである。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius/42725598.html</link>
			<pubDate>Sun, 10 Jul 2016 20:19:14 +0900</pubDate>
			<category>読書</category>
		</item>
		<item>
			<title>2015文庫ベストテン</title>
			<description>&lt;div&gt;02.15『チベットの先生』中沢新一（角川文庫）・・・大幅加筆あり。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;04.10『日本語が亡びるとき』水村美苗（ちくま文庫）・・・第七章、文庫版によせて増補。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;04.10『反歴史論』宇野邦一（講談社学術文庫）・・・『群像』発表論文四編。文庫版あとがき。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;05.29『ヴァルカンの鉄槌』フィリップ・Ｋ・ディック（創元文庫）・・・最後の長編。佐藤龍雄初訳。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;06.10『位相群上の積分とその応用』アンドレ・ヴェイユ（ちくま学芸文庫）・・・齋藤正彦訳、平井武解説。用語索引。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;08.20『イデオロギーの崇高な対象』スラヴォイ・ジジェク（河出文庫）・・・鈴木晶訳、大澤真幸解説。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;08.25『「無限」に魅入られた天才数学者たち』アミール・Ｄ・アクゼル（ハヤカワ文庫）・・・青木薫訳。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;10.10『日本〈汽水〉紀行』畠山重篤（文春文庫）・・・文庫版あとがき。太田愛人解説。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;11.25『装飾とデザイン』山崎正和（中公文庫）・・・三浦篤解説。人名、書名・作品索引。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;12.01『消費税　政と官との「十年戦争」』清水真人（新潮文庫）・・・序章等大幅加筆。宮本太郎解説。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius/42403531.html</link>
			<pubDate>Mon, 28 Dec 2015 20:04:02 +0900</pubDate>
			<category>読書</category>
		</item>
		<item>
			<title>癌と糖尿病の議論は丁度、地と図が逆転している</title>
			<description>&lt;div&gt;『炭水化物が人類を滅ぼす』夏井睦&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　発刊半年で十刷、二十万部、コミック版も出てベストセラーらしい。&lt;br&gt;
現在の私は糖尿病ではないので、糖質制限については話題になっているもののどうかな、という程度の理解である。&lt;br&gt;
ただ、生物学者がコメを食べすぎる事に懸念を示すのを講義で視たことがあって、それについての中立的疑問は以前からある。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
読後、糖質制限は糖尿病患者（予備軍も含む）には全面的に適用すべきであり、かつ通常人にはその必要はなし、と私は感じた。&lt;br&gt;
著者は、糖尿病以外の現代人全般にこれを適用すべきと考えているらしいが、それは全く矛盾である。少なくとも現在の世界人口、その増加傾向を考えれば、肉食ではなく人間こそが草食化した方がましである。が、この食糧問題はそれができていないから問題になっているのであって寧ろ、近代化と云うか現代化による、高齢化とその結果としての少子化、つまりは人口減によってこそ解決するだろうし、そうすべきだと考えた方がよい。食糧そのものをどうかする事によってはそれこそ限界があるからだ。&lt;br&gt;
他方で、現代の糖尿病患者数をそれを多いとするか少ないとするかはあろうものの全体の一割とするとその一割の人が確実に穀物を諦められるには、穀物神話からの解放からが確かに必要かもしれない。学会はそれを前提としていないだけである。故に著者はこれを打ち破ろうとしているのではあるが、それが為に大半の人間の食糧を否定しようとするのは近藤誠の癌治療不要論と丁度逆である。&lt;br&gt;
抗がん剤治療が本当に必要であるのは全体の一割くらいしかない、大半の人には必要がないと云うのと何処か似ている。これを全面適用すれば、一割の本当に必要な人が犠牲になるかもしれないのだから。&lt;br&gt;
一割のために全体を覆そうとするのと、九割のために一割を犠牲にするかもしれないのと。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
尚、動物の血糖値の話や著者の「生命進化とエネルギー獲得法の変遷に関する仮説」は、近年の雑誌化する新書には珍しく内容の濃い興味深いものがある。&lt;br&gt;
また、本書中盤から終始無造作に出て来るATPとは、アデノシン三リン酸Adenosine TriPhosphateの事。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius/41806750.html</link>
			<pubDate>Sun, 08 Feb 2015 17:37:30 +0900</pubDate>
			<category>生活習慣病</category>
		</item>
		<item>
			<title>カントから政治悪魔学へ</title>
			<description>&lt;div&gt;『国家と宗教』南原繁&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　終戦直後に二度も東大総長になった政治学者の処女作。現代文庫ではなく青色文庫に収められるのは、古典というより単に古いという感覚からか。&lt;br&gt;
内容は、全四章に第三版で追加された補論を含む。この補論は著者自身が緒論であり結論であるとも云っている。&lt;br&gt;
全体の基底となる第三章のカント論は、１９２７年著者３８歳の時の論文であり、以下第一、二章のプラトン論と第四章のナチス批判は開戦に相前後して『国家学会雑誌』に発表されたものである。年譜に明らかだが、そのうちには美濃部達吉の天皇機関説事件、矢内原忠雄の辞職、大内兵衛らの検挙、河合栄治郎の発禁処分、同平賀譲総長らの粛学処分、津田左右吉らの検挙という学問と軍国主義が鬩ぎ合った一連の騒動が挟まっている。&lt;br&gt;
しかし、本書に天皇制批判や軍国主義批判は見られない。同時にその礼賛も一切ないものの、それでも一瞬「ナチス的精神の時代的意義を汲むに吝かではない」との最後の文言には冷やっとするかもしれないし、マルクスとマルクス主義批判でははっきりと容赦がない。当時の共産党員や共産主義者、三木清や戸坂潤らに同情の余地、その表現の余地があるという事もない。京都学派は海軍と密会を重ねて別の路線を探っていたのに対して、それらとはまた独立して政治神学が深められていた事だけは明確である。&lt;br&gt;
デカルトに触れられる事は全くないものの、デカルトとカントが神と人間の問題を完全分離したとすれば、それを人間の側に引き付けて人間を神にしようとした、人間自身が神になろうとした事においてはヘーゲルもニーチェも同根とした上でそのボタンの掛け違いをカントやプラトンにまで遡っている、或いはそこに遡るに留まっているとも云える。&lt;br&gt;
或いは、プラトンの『国家』の後半部、ホッブズの『リヴァイアサン』の最終部が悪魔論、悪霊論であるように、本書にもその端々にはデモーニッシュなものに対する危険意識が明確になくはない。単に戦後というのではない大戦以降の大衆や冷戦以降の紛争の時代にあり得べき政治哲学の一つの手掛かりにはなろう。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius/41806728.html</link>
			<pubDate>Sun, 08 Feb 2015 17:32:32 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		<item>
			<title>財政再建には公務員改革が第一</title>
			<description>&lt;div&gt;『あきれた公務員の貴族生活』若林亜紀&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　一言で言って、後書の「私は、公務員制度改革こそが最優先だと思います」に尽きるだろう。&lt;br&gt;
行政の悪口のように聴こえる論調には、そんな事はないだろうと云う向きもあるし、実際本書のレビュアー評価は真っ二つになっている。著者は何も全ての公務員が、とは云っていないので一律に改革を進めるとしたらそうしたいい方の、或いはましな方の公務員が犠牲になる事は出て来るのではないか。シロアリだけ退治して働きアリだけ残す薬剤には改革で叫ばれる制度政策ではならないのではないか、その危うさがあるという事かもしれない。&lt;br&gt;
ただ、中曽根行革、橋本行革、小泉行革、民主党の政権交代による改革、これらが真っ直ぐに向いていた改革すべきその本丸は何度やってもそこまで届かない官僚改革にあるというこの感覚は、その都度官僚の本体にまで間接的には届いているのではあろうもののやはり露骨に引き延ばされてきた事でまるで神（悪魔）の存在証明のように忘れているようで忘れていないのに明確にしようとしてもなかなか思い出せないようなものになってきている。本格的な財政再建は増税ではできない、それを公務員改革でやれるか、それとも奇跡の成長経済復活はあり得ないのか、という事は、改めて考えれば著者をして盗人に追い銭、「あきれた」「貴族」とまで表現させる悪口に似た平常心、正常心の方に分があるという気にさせないわけではない。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius/41806721.html</link>
			<pubDate>Sun, 08 Feb 2015 17:29:55 +0900</pubDate>
			<category>行政</category>
		</item>
		<item>
			<title>最終盤の決定的局面と琴弾八幡宮</title>
			<description>&lt;div&gt;『完訳　源平盛衰記８』石黒吉次郎&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　現代語への完訳最終巻。&lt;br&gt;
　冒頭(６頁)に「讃岐の国三木の郡琴造宮(こおりことつくりのみや:観音寺市の琴弾八幡宮か・・・訳者による注)という所で、伊勢三郎と伝内左衛門とが行き合った・・・」とある。ただし、訳者が疑問形でそう推定している根拠は記されていない。&lt;br&gt;
　義経伝令の少数の家臣はここで西部方面の平家方を説得することで屋島・志度の戦いに勝利を納めるのである。歴史にはいくつもの決定的な偶然が付物だが、この偶然も仮になかったら、義経は四国で討ち果てていた可能性すらある、源平合戦最終局面の決定的な分岐点である。&lt;br&gt;
　香川県観音寺市の地元にとっては、特に知っておくべき場面が記載されている。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　なお、義経自身は、勝利を納めた後、壇ノ浦までの約１か月の間に、琴弾八幡宮を直接参詣参拝し、馬１頭、次の戦い(壇ノ浦)への戦勝祈願文を上納したのである。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius/41609024.html</link>
			<pubDate>Wed, 29 Oct 2014 09:29:28 +0900</pubDate>
			<category>香川県</category>
		</item>
		<item>
			<title>生命ハードウェアの歴史</title>
			<description>&lt;div&gt;『感覚器の進化』岩堀修明&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;「図解」と銘打たれているようにほぼ全見開きに動物の解剖図が示されている。構成は、視覚・味覚・嗅覚・平衡聴覚・体性感覚・クジラ、ということで、五感の進化史と伴に特に陸に上がった後海に戻ったクジラの感覚器に注目する。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
・目について&lt;br&gt;
　ポイントは神経叢が窪んだ瞬間。最初は突然変異だったのだろう。ここに集光され、凹部が陥入していく進化が始まる。後はレンズまで必然的でさえある。動物の眼の複雑さ、精巧さはここを起点としているというわけだ。まあ、後半のフクロウの顔面と同じだ。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
・舌について&lt;br&gt;
　生命最初の感覚ということだが、味覚が最初という考え方には同意しかねる。確かに、捕食は生命の最低必要条件、絶対条件だったかもしれないものの、それは味覚と呼べるか。日本の研究者池田菊苗によって旨味が五つ目の基本味として確立し味覚研究は飛躍的に発展した、これも痛覚の関門制御説と同様興味深いことは確かだ。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
・鼻について&lt;br&gt;
　かって、ディスカバリーチャンネルで人が言語を所有したのは犬のおかげだなる説を視た。発語できる前のヒト属の時代に犬と仲良くなったことで、人は鼻を小さくすることができ、それによって発語できるようになったという。これは実は逆で人は発語の為に鼻を退化させた、結果として犬を飼う生活の知恵を見出した、ざるを得なかったのかもしれない。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
・耳について&lt;br&gt;
　これは複雑なトポロジー問題のようである。何億年もの海中生活で開発された水流を感知する平衡感覚が、陸に上がる事によっても水中伝搬の低い音から気中伝搬のより高い音をも感知するものまでに進化した過程が、現段階では不明の点も明確にされる形で描かれている。音楽が流れを基本としていることはこんなことに由来するかもしれない。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　皮膚と鯨については乞うご期待。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius/41609018.html</link>
			<pubDate>Wed, 29 Oct 2014 09:26:11 +0900</pubDate>
			<category>生物学</category>
		</item>
		<item>
			<title>知られざる俳諧師・山崎宗鑑の時代</title>
			<description>&lt;div&gt;『畿内・近国の戦国合戦』福島克彦&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　俳諧の祖、宗鑑の素性は実際は判っていない。&lt;br&gt;
　生まれたのは草津だろうな、大山崎に住んでいただろうな。&lt;br&gt;
　連歌師の集まりで配膳役をしたり、新古今集、伊勢物語、犬菟玖波集等々をひたすら書き写して生涯を過ごしたんだろうな。&lt;br&gt;
　晩年は四国の香川県観音寺にて没したのだろうな。&lt;br&gt;
　これくらいである。&lt;br&gt;
　ただ、新古今集で第一に認められている写本を筆写し、犬菟玖波集のそれは十指を下らないということは、主に筆で書くばかりしていた、辻邦生のようにただひたすらたえず書く人生だったことは間違いないだろうし、筆跡からして人麻呂に云われるような芸能集団の固有名という可能性も殆どないだろう。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　これに対して、宗鑑の時代はどうだったのか、に応えることのできる初めての書が出た、それが本書である。応仁の乱以降の戦乱の過酷さは、特にここ京都においてただ困難を極めていただろうことが詳らかに判るものになっている。&lt;br&gt;
　よって、近江から来た宗鑑は、京都で文化的に粋な仕事に従事し刻苦勉励していたものの、戦乱の世を避けて四国に渡り生涯を一貫して能筆家として過ごしたと想像できる。同時代の宗祇や宗長からすれば、その足跡が一切辿れず、京都と四国以外の何を知っていたかも定かではないのは、どちらなのかで大いにイメージが違ってくるものの、今の段階で少なくとも確認できるのはこれだけだ。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　武士と城郭の在り方が、織田信長の登場で統一への機運を一気に高めていく丁度手前で、いまだ、政治と軍事の混沌にあって、文化を志向していた一人の人間がどんな相貌を保っていたかということは、定かならぬ伝承と散逸してしまっている夥しい書筆断片によってしか伺う事は出来ないものの、将来、『山崎宗鑑とその時代』という書物が書かれるとすれば、その「時代」の部分の輪郭がやっと本書によって形を視た。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius/41609011.html</link>
			<pubDate>Wed, 29 Oct 2014 09:22:04 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>芸術作品と言うに相応しい</title>
			<description>&lt;div&gt;&lt;span id=&quot;productTitle&quot; class=&quot;a-size-large&quot;&gt;BENI BEST All Singles &amp;amp; Covers Hits (初回生産限定盤)(豪華盤)(DVD付)&lt;/span&gt; &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　ビデオクリップ二十曲のDVDが付いているのは豪華盤だけ。&lt;br&gt;
　本限定盤は売り切れていないが、通常盤は出ない？&lt;br&gt;
　限定にするにはもったいない。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
「サイン」のイントロは、ユーミンの「春よ、来い」みたい。&lt;br&gt;
「ユラユラ」は加藤ミリヤみたい。&lt;br&gt;
　ともかく、「bye bye」のアリーナに響く感じがボクは好き。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
「もう二度と・・・」のリバースは、当初アンプラグドを予定したがプラグドに変更されたようだ（アンプラグドの表記が消えている）が、聴く感じがアンプラグド。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius/41609000.html</link>
			<pubDate>Wed, 29 Oct 2014 09:16:37 +0900</pubDate>
			<category>音楽レビュー</category>
		</item>
		</channel>
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