日本人は死んでしまったのか?

パソコンを使うのも、、、最近、疲れたな…

エンジニアはかく語りき

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奴隷船に乗る名誉

奴隷船に乗る名誉

ソフトウェア開発プロジェクトは、有期限の作業という意味では、船の航海に近いのかもしれない。
準備をして港を出港し、進路を決め、目的地を目指す。
目的地に到着するためには、日々航路を確認し、微調整を繰り返し、進む。
海が穏やかな時もあれば、出港したことを後悔するような酷い嵐に巻き込まれることもある。
しかし、もう海の上である以上は、簡単には「あ、これはナシね」とはいかない。

プロジェクトが始まると、そう簡単にはメンバから抜け出すことは出来ない。
それは船と一緒で、目的地に着くまでは、途中で海に飛び込んでサメの餌食になるか、流木に捕まって流れていき、溢れんばかりの海水の上で喉が乾ききって死ぬ以外に選択肢は無い。
それ以外の選択肢があるとすれば、船の上で怒れる船長(管理者)にバラバラにされて、方法こそ違うがやはりサメの餌(悪くすれば、小魚の餌)になることになる。

乗船するも下船するも、選択の自由が無いという意味では、プロジェクトのメンバは奴隷船の奴隷だ。
奴隷だから、権利は無い。義務のみが課せられる。

船に乗ると、船長が声高に物申す。
この船の行く先には未来があり、そこは楽園である。(無事に着けばの話だが)
船に乗ることはとても名誉なことだとも語り、誰も目にも無謀だと分かる無邪気な計画をまくし立てる。
無邪気なだけで、害がなければ許されようが、無邪気ゆえに害以外の何者でもない。

やる前から分かっている無理な納期とコスト。
品質をまったく考慮しないとしても、潜在意識が「無理だ」と理解してしまう。
潜在意識は正直だ。
そうなると、集団で反乱を起こして船長をバラバラにしてサメの餌にしてやりたくなる。
本当の船ではそのような選択肢もあるかもしれないが、ソフトウェア開発プロジェクトでは、別な船長が配属されて終わりになるケースがほとんどだ。
奴隷が奴隷船を降りるには、死ぬ以外の選択肢が無い。

奴隷の中にも階級があり、リーダ、担当者、サポーターなどがある。
奴隷だから悲惨さに程度の差はあまりないが、上級奴隷ほど肉体的と精神的なストレスを受ける。
下級奴隷は体力さえあれば、次の航海まで生き延びることが可能だ。

リーダクラスの奴隷に多少の知恵があれば、他の奴隷をうまく使って、自分だけは生き延びることができるだろう。
だが、それも限度がある。
結局は奴隷なのだから。

航海の途中で、船長は奴隷をこき使うが、奴隷が全員死んでしまっては大変だ。
船長の役目は奴隷が死んだとしても、船を目的地に到着させること。
しかし、全奴隷が死んでしまっては船は目的地に到着できない。
「生かさず殺さず」といったコントロールが必要になる。
幸運なことに、日本では奴隷は非常に従順であることが多い。
これが欧米の奴隷だったら、船長ひとりで目的地につかなきゃならないだろう。
しかし、日本だ。そこが重要だ。
黙って働く。本心は地獄の業火のようにメラメラ燃えていても、だ。
いや、メラメラという表現は妥当ではないかもしれない。
奴隷にまで身を落とした段階で、そのようなモチベーションは破壊されているかもしれない。

昔読んだ「蟹工船」を思い出す。

希望の光が見えるときには、三途の川にかかった暗雲が切れたときだと知る。
ソビエト連邦は崩壊し、ベルリンの壁は崩れ去ったが、世界は混沌としたままであることに変わりはなく、
ソフトウェア開発プロジェクトも、一つの壁が崩壊しても、別の壁が立ちはだかる。
プロジェクトでは缶詰は作らないが、言ってはならないこと(プロジェクトが失敗するとか)は缶詰よりも硬いものに幽閉される。
出来ないはずは無いという、暗黙の了解という硬い缶詰の中に。

これがゲームなら、すぐにゲーム機の電源を切って、無意味な世界と隔絶できるだろう。
仮想と現実を分離することが可能なら。

危険な航海は、ときどき、船員たちを異常にハイな状態にすることがある。
一体感が生まれる。
正常な状態ならば、それはチームワークと呼ぶにふさわしいかも知れないが、極限の状態での「ハイ(高揚感)」は危険だ。
考えることを放棄して、自暴自棄になった可能性が高い。
誰もが考える。

「俺が失敗したってどうってことない。いずれは失敗するのだから」
「誰かが頑張って、きっとこの地獄を脱出できるに違いない。でも、ヒーローは俺じゃない」
「やるだけのことはやった。後は運を天に任せるだけだ」
「神も仏もないものか」
「この苦しみは自分のものじゃない。きっと他人のものだ」

出口の無い船上で、いろんな妄想がうずまく。

私はかつて、午前0時を過ぎたときに、横に座っていた先輩が突然笑い出すのを目撃したことがある。
笑わずにはいられないのだろう。
もう、何日も帰っていないのだから。
笑いは世界を救うか?いや、限られた人だけ救うのだ。大多数のその他の人は救われない。

運良く、死なずに目的地にまで辿り着いたときには、会社を辞めるかもしれない。
いや、潜在意識が「辞めろ」とつぶやく。
奴隷の身分から脱出するには、それ以外の選択肢が無いと思い込むようになる。
踏ん張れるのか?それとも脱落か?
脱落するという思考は日本人に強いようだ。欧米や中国ではそんな風には考えないと聞いた。
確かに、中国人はすぐに辞めていく。
ある意味、清々しいくらいにあっさりと。
夫婦別姓などの仕組みは受け入れがたいが、あの大胆さ(ときに、狡猾さ)は、今の日本人も学習したほうが良いかもしれない。

この世界はとても残酷、だ。

壁の外に出て行かなくても、実はこの壁(会社)の中にも、人を喰う巨人は存在するのだから。

鉄は熱いうちに打て

鉄は熱いうちに打てとは良く言ったものだ。
主に若いうちの苦労は買ってでもしろ、に近いものがある。
確かに、若いうちの吸収力は尋常ではない。
バリバリと吸収し、自分のものとして定着させ、さらに進化させる。
そんな力を人間は秘めているように思う。
だからと言って、人間の可能性は無限大だ!なんて呑気なことを言うつもりは毛頭ない。
確かに可能性はある。
しかしそれはそこらへんを這っているミミズだって、数億年のちに高等生物に進化する可能性が皆無だと言うわけではないのと同じだ。
だが、可能性は可能性であって、ラプラスの神をもってしても未来を確定させることは無理だ。

鉄は熱いうちに打つからこそ、いろいろな形に変化させることができる。
人間だって同じじゃないか?
早めに叩き上げることが重要だ。
一昔まえのゆとり教育の反動だろうか。ことさらに「厳しく」といった口調が目立つ。
人間とはかくもいい加減なものか。

会社でも「反ゆとり」への動きが止まらない。
ゆとりはダメだとか、無駄を省けとか、とにかく「怠けるな!」と号令をかける。
よほど悪意をもった人間で無い限り、自分の職務を全うし、少しでも良い仕事をしたいと願っている。
特にソフトウェア開発に携わるエンジニアには、独立独歩の気風が強く、他人にとやかく言われる前に、自分で仕事を片付けたいと考えている者が多い。
よほどの新人で無い限り、与えられた仕事はそつなくこなす。
すでに彼らは「熱い時代に打たれてきた」人間なのだ。

しかし、それを理解しない管理者はどこの世の中にも居る。私の会社にも居る。
猛烈な納期プレッシャーと、技術的というよりも政治的な判断によって歪められた仕様、宝くじに当たらない限り無理なコスト。
それから、顧客だってそこまで言わないだろう品質要求。
管理者は
「とにかく、いじめ抜くことが大事だ。甘やかしてはいけない。ゆとり教育を見ろ。だからダメに成ったんだ。
少々スパルタだって良いじゃないか。俺だってそうやって強くなったんだ」
と。

試練とは未来永劫つづく責め苦のようなものだと勘違いしている管理者も多い。
そんな試練は地獄の罪人でさえ勘弁してもらいたいだろう。

私の同僚が納期を20%と、予算も20%削られた。
それでも彼はなんとか頑張って、スケジュールを調整した。
すると上司は言うのである。
「なんだ、やっぱり余裕があったんじゃないか」
と。
それからまた納期と予算を剥奪していった。これは盗賊のやることではないか?
可哀想な同僚は身ぐるみ剥がれてしまった。
こんなことがあったら、この上司には二度と正直な納期と予算を申請しない。
時々嘘をつくと、それは上司にバレてしまうから、彼のやる行動はひとつになる。
そう。いつも”嘘をつき続ける”ことである。

嘘を100回言い続ければ、どこかの国のプロパガンダよろしく、それは周知の事実となる。
もちろん嘘なんだが、周りが嘘ばかりなら、その環境では真実になる。
そうやって、職場が嘘の塊に汚染され、じわじわとがん細胞が広がって死に至るように、組織は死んでいく。

私はかつて、ひとつの地獄の環境で仕事をしていた。
一週間はかかるだろう仕事を、一時間でこなすように指示された。
必要な調べ物をしていたら罵倒された。
「馬鹿野郎!そんなものは家でやれ!家で!」
家に帰っても、風呂+食事+睡眠で6時間も無い状態ですら、それを強制された。
高熱で意識不明一歩手前の状態で寝込んでいたら、会社に呼び出しを食らった。
10回のうち1回でもうまく行けば、次にはそのコストを半分にするように言われた。
まだ若かったから、社会とは地獄のような場所だと嘆きつつも必死で働いたものだ。
どんなに罵倒されようが、どんなに苦しくても、ひたすら耐えた。
それが「社会人」だと信じていたから。

そして、完成していないものを「完成しました」と言っている自分を発見した。
もう、自尊心なんてどうでも良かった。
いま、死んだら、その後は確実に天国しかないとさえ思えた。
家に帰るためなら、どんな嘘でも言うようになった。
同僚たちも同じだった。
ある同僚は、突然音信不通になり、半年後に地方で発見された。貯金はなく、生活費は親に連絡して送金してもらっていたようだ。
別な同僚は内蔵を壊して入院した。ほどなくして会社を辞めた。
先輩は、メンタルを壊して、知らないうちに会社を辞めていた。
そう、今で言うブラック企業だ。

恐ろしいのは「それが普通だ」と思っていた自分だった。

時代は変わったが、人間の本質はそんなに変わっていないのかもしれない。
無理をさせることが人間の成長に必要だという風潮はまだ現存している。
ある一定レベルまでは、実際にはその通りなんだろう。
だが、人間も生物であり、健康と食料と睡眠と、一握りの幸せが無いと生命を維持できない。

最下層にいる人々にはマズローの欲求5段階説なんて糞食らえ!なのだ。

鉄は硬い。人も「鋼の肉体、鋼鉄の精神」を持てるかもしれない。
鉄は熱いうちに打て。それは条件付きで真実なのでしょう、、、限度を守った場合にだけ。

減点主義

QCストーリーというものをご存知だろうか。改善を進めていく際の定石のようなものだ。
人というものは、目標とギャップを認識して初めてその差を「克服」しようと動ける。
差と方向(ベクトル)がわかれば、そっちに突き進むだけ。
確認と修正。成果が出たら定着させる。そして標準化。
実施の仕方や詳しい説明はWebを参照してもらうとして、今日は人を改善しようとする熱血漢の上司について話をしたい。
この上司はとても熱血漢だ。語りだすと熱い。もう、本当に熱い。迷惑と言っても良い。
部下も皆自分と同じように物事を考えると思っている。
そして、そうで無い人々を、自分と同じように考える人間に変化させることができると思っている。
そしてなお悪いことに、そうした能力は自分がもっとも優れていると思い込んでいる。
そんなに珍しい人種ではないだろう。どこの会社にもそんな人は一人や二人(十分に迷惑だが)はいるものだ。

こういった人種は、部下の意見は地獄に落ちようとも聞きはしないが、自分の言葉は他人に強制入力させる。
その会社に留まる限り、本当に地獄の果てまで追い続けて、耳に拡声器を差し込み、怒鳴り散らす。

彼らは、迷惑な善意からこんな行動に及ぶことが多い。本気で部下を思いやっていると信じている。

ああ、QCストーリーから話がそれた。
でも、それは伏線だ。
改善には、
・現状の好ましくない状態(問題)を、本来の好ましい状態に戻す。
・現状よりもさらに良い状態(理想)に向かって、格上げする。
の二通りがある。
前者は問題解決型といい、後者を課題達成型と言う。

さて、くだんの上司にとって、取るべき行動は問題解決型か、課題達成型か。
議論するまでもなく、この上司は部下を信じていない。自分を超える人間なんてものが存在することが信じられる訳はない。
つまり、他の人々は自分よりも「下」なのだ。
よって、最初の点数付けは「マイナス」から始まる。確実に減点方式なのだ。

間違っても「現在よりも良い状態(理想)」を示して、部下を「高みへ誘う」なんてことをするわけが無い。
そんなことをしたら、自分の価値が崩壊すると信じている。

なので、上司は部下を
「あれがダメ。マイナス10点」
「分かっていない。マイナス20点」
「実施できない。マイナス50点」
・・・
という具合に減点していく。
こんな上司がすることは、絶対零度をはるかに下回る「無能な部下」を本来あるべき姿である「0(ゼロ)」に引き上げてやることだと、信じて疑わない。
そして、さらに重要なことは「部下が自分を上回ることなどない」ことを常に確認し続けることだ。
部下が自分を上回ることが無いことを確認する簡単な方法は「常に駄目だし」をし続けることだ。
これで、可哀想な生贄は絶対に「0」に到達しない。アキレスと亀のパラドックスのほうがまだ可愛く思える。

今よりも良い理想の状態だって?バカなことを言うな。こいつらはダメな人間だから、俺が指導してやらなきゃならない。
本当に俺がいつも指示を出し、尻を蹴りあげ、叱咤してても、このザマなんだから。

上司にとっては、部下は「永遠に問題児」であり、「指導しつづける対象」である。

私の会社にも、悲しいことだが似たような上司は居る。
いつも部下を「馬鹿」だと罵り、叱咤激励と称して、威圧を欠かさない。
そして部下は上司の期待に応えて「馬鹿」になる。
どんな有能な部下でも、どんどん「本当の馬鹿」になっていくことだ。

組織の崩壊は一日では達成できないが、長い年月をかけて少しづつ壊していくと、いつの時点かで取り返しのつかない状態に陥る。

トム・デマルコ氏の「ピープルウェア」を読むと、上司がどれだけ部下を信じられるかが非常に大切なことが分かる。
確かに、自身の経験においても、上司から信用されていないと感じた途端に、仕事に対する情熱は冷めるものだ。
信頼されていない兆候はいともたやすく見抜けるものだが、信頼されている兆候は簡単にはわからない気がする。
疑心暗鬼は人の心を曇らせると言うが、部下が上司を信じることも必要だろう。
上司ばかりを責めては可哀想かもしれない。
上司は上司で、経営層から毎日のようにいたぶられ(そのこと自身がさらに問題ではあるが)、部下から突き上げられ(それもやっぱり問題ではあるが)、中間管理職ほどむごたらしい職業はないのかもしれない。
部長は部全員の年間の給料を予算として確保しなければならない。そうしなければ、部として気の利く成果は挙げられない。
組織は均一なほど管理は楽になる。自分が部下だったころは管理を煙たがっただろうが、自分が管理する側に回った途端に、そんなことは微塵も考えなくなるから不思議だ。
時々は思い出すかもしれないが、自分が何でもやらなきゃならない強迫観念にいつも襲われることになる。
そんなにとは無いのに、だ。
私は幸いにして、管理される側だ(変な言い方だが)。
どちらかと言うと、決まった上司もいない。部直属といっても良い。
お気楽な職種だとは言われているが、自分の成果を直接部長に示さなければならないプレッシャーは、いつも有る。
それを楽しめるようになるまでと言うもの、胃が痛い日々が続いた。
プロジェクトの遠くから、プロジェクトに出入りする毎に、そのプロジェクトが抱えているいろいろな問題が見えてくる。
上司から信頼されていないプロジェクトは、デマルコ氏の言うとおりの崩壊を見せる。
では、信頼されている(と思われている)プロジェクトでは、チーム力がプロジェクトを成功に導くかといえば、そんなに簡単なことではない。
今の日本のソフトウェア開発現場に、デマルコ氏の言うような真の「チーム」が存在するのだろうか?と疑うことで、少し慰めようとしているのかもしれないが。
書籍の「チーム殺し」の章は面白かった。自分の周りではごくありふれた光景だったし。
しかし、あえて付け加えるなら、「何もしない」という活動(?)もチームを崩壊させる。
これは「管理者など不要!」とうそぶく開発メンバに、とくに顕著だと思う。
開発者はアーティストであると同時に、サラリーマンでもある。一面だけかもしれないが。
日々のつまらない作業は否が応でも降ってくる。風雨にさらされることは、長い目で見ると必要だったりする。
雨風が嫌だからといって、いつまでも日照りの日々では土地が乾いてしまう。
管理者がまったく何もしないと、無政府状態になることもある。
チームは時間をかけて崩壊していく。
楽しいことは必要だが、楽なこととはまた別だ。
少し心に緊張感をもって仕事をすることは、心身の健康には必要だろう。

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