━━━<ぱんぴーのぼやき>━━━

何の取り柄も無いけど、アウトサイダーにもなりきれない。ダメ人間気味普通人によるぼやき。気が向いたら冷やかしてって下さい。

ぼやき

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連休最後日

オヤジの夢を見た。

オヤジとどこか行って、帰りにオヤジが先に帰ってしまって急いで追いかけた。
駅でやっと追いついて、車で一緒に帰った。





怖くて見れなかった、IEの検索履歴を見た。
オヤジが死んだ日の履歴には
「いのちの電話」
「どうしたら死ねますか」
「やっぱり自殺はできないや」
「自殺予防」
「とびおりじさつ」
「練炭自殺」
「ドアノブで自殺」
「kubituri」
「首吊り」
「首吊り自殺」
「首吊り自殺の仕方」
「首くくりの道具」
などが検索されていた。





今日も誰もこなかった。
早くもとの生活に戻りたい。

夕方美容院

今日も誰かくるかもしれないからと、家にずっといたが誰もこなかった。


おふくろがうるさいので、夕方に近所の美容院に行った。


美容院に行く途中、この店オヤジと二人で食いに行ったなとか、一緒に近所の温泉行けばよかったなとか思った。


美容師さんに「頭皮がすごく荒れてるけど寝不足?」って言われた。
前にも言われたからシャンプー変えたんですけどって言ったら、シャンプーよりも毎日のマッサージのほうが大事だって言われた。


帰りに本屋で、相続の本を買って帰った。


初七日だったので線香をあげるたびに「のうまくさまんだばざらだんかん」と3回唱えた。

オヤジの告別式

水曜、告別式を行った。
俺、おふくろ、叔父さん、いとこ、叔父さんの妻、伯母さん、伯母さんの旦那、おばあちゃん、それからオヤジが一番仲良くしていたオヤジのいとこで行った。

住職のお経がおわると、花や足袋などをお棺にいれた。
オヤジの顔を見れるのは最後だったので、ひとりずつ顔に触れた。
オヤジのいとこはオヤジの顔をに触れ、額を合わせた。

火葬場も妹の時と同じところだった。
すごく天気が良くて快晴だったが、寒かった。
オヤジはあっけなく灰になった。

オヤジの灰を確認に行くとき、日曜の夜からずっと痛くなっていた首が、痛くなくなっている事に気づいた。

遺骨は俺の力で持てるか不安だったが、なんとか持てた。
俺は遺灰を抱え、葬祭センターに戻った。

最後に葬祭センターで精進落としを食べた。
挨拶は俺がやった。
お決まりの定例文に、これからはおふくろと二人で支えあっていくと言った。
オヤジのためにこんな挨拶をしなきゃいけないってことを痛感して、最初から泣いてしまった。
お清めだから、オヤジの分もできる限り食った。


それから俺の家に帰って、叔父さんがとにかく飲んでいた。
叔父さんが泣いたり弱音はいたりするところは見たことなかったが、叔父さんは泣いていた。
俺は叔父さんとオヤジは仲の良い兄弟じゃないと思っていたから、意外だった。
でも兄弟を失うことがどんなことか、俺は知ってる。俺と同じなんだと思った。

俺もおふくろも家族だとか、叔父さんが第二の父親だか言ってくれた。
妹に死なれ、オヤジに死なれ、そんな経験する奴なんていないだろと言ってた。
息子に一番辛いものみせてんじゃねーよと言った。
バカヤローって何度も言った。


叔父さんは何度も「やるしかねーんだよ」と言ってた。
俺の口癖と一緒だった。





俺はオヤジを死なせたのが自分だと思うと、うぁとうめき声を上げている。
夏以降、家でいたときのオヤジとそっくりだと気づいた。

オヤジのこと

通夜の夜、オヤジが好きだったジャズをかけてやりたいと思い、
オヤジが風呂で使ってたポータブルCDプレイヤーを取りに帰った。
どのCDが好きだったのかわからないが、最近聴いてたというハワイアンジャズのCDをずっとかけた。
俺とおふくろは葬儀場に泊まった。

11時くらいに横になり、そのまま寝たが2時に目が覚めた。
そのまま3時くらいまで寝れなかった。
おふくろも起きてるみたいだった。
俺はまた、最後にオヤジを追い詰めたのは俺だと伝えた。
それからおふくろといろいろ話した。



俺が小学校高学年の頃、オヤジは精神関係で一番悪い時期があって入院してる。
隣の家からなにか聞こえるといって、隣の家に行ってしまったらしい。
それは覚えてるが、それが最初だった。
その時おふくろは、爺ちゃんに離婚してもいいと言われたらしい。
離婚しても最低限の生活は送れるようお金を保証すると言われたらしい。
それでもおふくろは離婚しない道を選んだ。
オヤジはなんとか回復したが、それからずっと精神科にかかることになる。

オヤジ側のおばあちゃんもずっと精神科にかかっていて、入退院の繰り返しだったらしい。
爺ちゃんも、会社が苦しい時にぶっ倒れ、それ以来精神科にかかっていたらしい。
オヤジがおかしくなった時も、爺ちゃんが行ってる病院に連れて行かれて、それで今までその病院を使ってた。

それからオヤジの状態が一時的に悪くなったりしたのはなんとなく記憶にある。
薬をすごく嫌がっていた記憶がある。
朝すごくのどが渇いているとも言っていた。
でも、俺が中学、高校、大学を卒業するまで、入院したりするほど不安定になることはなかったと思う。

俺と妹が就職し、妹が死んでからオヤジの状態は悪くなった。
妹が死んだ時の親父の言葉を覚えてる。
「おふくろは俺が守ってくから安心しろ」
オヤジの心の病気の存在を知っているが、筋ジストロフィーを抱え自分のことで必死な俺にとって、
オヤジがそう言ってくれたことが俺にとってどれほど心強かったことか。

でもオヤジの病気は、そのオヤジの心にも容赦なかった。
1年ほどすると、オヤジは職場で悪口言われてるだの、課長を殴ってやっただの、
婆ちゃんの家の建て替えを手伝いつつも婆ちゃんが変なこと言ってるだの言い出して、すごく不機嫌になったりした。
特に俺がショックを受けたのは、「道に蛇が出てきて、俺は嫌いだからその蛇を踏みつぶしてやった」と言ってきた時だ。
俺はオヤジが「統合失調症」だろうと確信を持った。
それでもオヤジはなんとか元に戻った。

ここ3年は非常に安定しているように見えた。
だが、俺の知らないところでおふくろは違和感を感じていた。
昨年度末になると、周りの人が次の課長はオヤジだと言っているとか、もの凄い偉い役職の辞令がきたとか家で言い出したそうだ。
実際、体の調子が良かったオヤジはバリバリ仕事をこなし、評価も上がったようだが、
期待する反面、課長にはなれなかった。
結局、オヤジは出世競争からくる劣等感がストレスになっていたようだ。

それでもGWには俺、オヤジ、おふくろ、婆ちゃんで草津に行った。
小さい頃は何度も行った、オヤジの職場の保養施設。
行って帰ってくるだけのシンプルな旅行だった。
すごく久しぶりに行ったが、懐かしかった。

7月、毎年ひとりで行くほど楽しみにしていた祇園祭のための京都旅行に突然行けなくなってしまった。
オヤジは体が動かないと言い、それからひたすら家で横になっているようになった。
オヤジが仕事を休むようになって、俺は寝ているオヤジに「病院に行かないとだめだよ。俺が一緒に行ってやろうか?」と言った。
オヤジは苦笑いしながら「ちゃんと行ってるから、大丈夫だ」と言った。
俺はオヤジがずっと継続して通院していることを知らなかった。

8月にはオヤジと二人で車の車検に行った。
ディーラーで待っている時、本を持ってきたのに一回も開いてなかった。
オヤジは「息子が運転してくれるからいいな」って何度も言ってた。

この頃はおふくろや俺に、「今俺の悪口言っただろ」と詰め寄ってくるようなことが多く、おふくろにICレコーダーを貸したこともあった。
でもようやくそれが幻聴であることを受け入れてくれた。

9月の病院で、薬を減らすようお願いしたらしい。
おふくろは出来るだけオヤジを一日一回は外に出すようにしていたらしいが、
強い薬を飲んでると無表情で歩き方も精神病患者特有の歩き方になり、そんなオヤジを見ているのがとても辛かったようだ。
医者には「奥さんがそんなんだから、足を引っ張ってる」と言われたらしい。

10月から少しずつ職場に復帰し始めたが、ことばにならないほどの不安感があったようだ。
「大丈夫かな」といつも言っていたが、俺は冷たく「そんな人いっぱいいるよ、しれっとしてればいいんだよ」と言っていた。
でもやっぱり仕事を辞めたかったみたいで、叔父さんに相談して、叔父さんの会社でなんとか雇ってもらえないか頼んでいた。
俺は社長の兄貴だからってそれは逆に無理だろうと思った。
実際、叔父さんには断られた。

11月からはちゃんと通勤していたようだが、週1回は行けないと言い、休んでいた。
オヤジを支えてきたおふくろもさすがにストレスがたまり、そういう日は言い方がきつかったり物にあたったりしてしまったようだ。
オヤジはおふくろの様子を見て、何度も「ごめん」と言っていたらしい。

オヤジは「統合失調症」ではなく「躁うつ病」と診断されていた。
俺はおふくろからその話聞いた時、自分は「統合失調症」だと確信していたため、医者の誤診じゃないかと思って聞き流してしまった。
その時「躁うつ病」をちゃんと調べなかった。
併発していたのかもしれない。

オヤジの手帳を見た。
オヤジは日記をつけていたわけじゃないが、病院に行く前に気持ちを整理していたのか、
「少しずつ復帰していく」とか「今の自分を受け入れる」とかメモってあった。
その中には「生きているのが辛い」という言葉もあった。

12月になると、職場の産業医に相談してみたらしい。
そこで「過去にも同じようなことになったことがありますね」と言われたことにかなりショックを受けて帰ってきたらしい。
オヤジにとって、思い出したくないほど辛い記憶だったんだな。

俺は平日は婆ちゃんの家に寝泊まりすることが多かったため知らなかったけど、
おふくろとは言い合いになったりしていたようだ。
オヤジの携帯には「昨日は言い過ぎた。謝る。」というメールが残っていた。
「○○の薬は合わないみたいだ、頭がおかしくなりそうだ」とかメールも残っていて、
大してやらないメールでこんなこと送るなんて、オヤジは本当に苦しかったんだと知った。

先週は妹の誕生日だったから3人で墓参りに行った。
オヤジは俺がかけた布袋のCDのマイ・ウェイをいいねと言ってた。
帰りに俺が石焼ラーメンを食いたいと言って食った。
オヤジは最初車の中で待ってるって言い出したが、結局ハーフサイズのラーメンを食った。
食い終わってから、「美味かった」と言ってた。

おふくろは何度もオヤジと変な気起こさないでねと約束したと言ってた。
俺たちは残される辛さを知っているんだから。
おふくろはオヤジを信じていたと言っていた。

オヤジが死ぬ前日、オヤジとおふくろは病医院で、薬を減らすよう必死で頼んだらしい。
オヤジは薬が減れば、絶対頑張れると言っていたらしい。
医者は「もうウチでは面倒見れませんよ」と言い、薬を減らしてもらったらった。
土曜の夜から、水道の栓が気になってしょうがなくなったが、薬を減らした影響かどうかはわからない。

日曜、オヤジはパニックになっていた。
俺のこともおふくろのことも妹のこともその瞬間に忘れてしまっていたのだと思う。
おふくろが午前中に家を出る時には年賀状も書いていて、そんなに変な様子は無かったという。
当日、おやじの調子が悪くなっているのに気づきながら、最後にオヤジを追い詰めたのは間違いなく俺だ。
でもそれを言うと、おふくろは薬を減らしたことが原因だと、責任を感じていた。
俺はおふくろに謝ったが、おふくろに責任を感じさせるだけなのでこれ以上言うのは辞めた。

寝る頃には5時を過ぎていた。

オヤジの通夜

オヤジが死んだ日、2、3回目が覚めた。
妹が死んだ時は目が覚めなかったけど。
8時頃1階に降りると、おふくろはもう着替えていた。

次の日、10時に叔父さんが手配してくれた、葬儀業者の人が来た。
葬儀の見積りをするためた。
10時を少し過ぎて、叔父さんといとこが来た。
いままでこういった話は両親に任せっきりだったが、そうできない状況になってしまったので俺もすべての話をおふくろと聞いた。
今回は親戚だけで行う家族葬という形にすることにした。
基本的な内容を含め、100万のパッケージだった。
寺での葬式も考えていたが、祭壇の設置にかなりの料金を取られ、
葬儀場でやるよりも高くなるというので、寺はやめた。
パッケージの料金の他に、住職へのお布施が30万、戒名が5万、お車代が1万×2日。
火葬料が1.4万、移動料が2万、霊柩車が片道4.5万だった。
あとはオヤジの化粧とか他にもオプションあったかな。
葬儀業者が恐ろしいのは、コースやオプションの価格を伝えずに決断を勧めてくるし、
聞いてもなぜか見積もってみないとわからないと答えられることだ。

結局、3時くらいまでやっていたと思う。
途中でおふくろの姉である伯母さんが来ていた。

5時になると、オヤジの上司が来た。
申し訳なさそうに軽く話をしたが、オヤジも仏壇もないのでそのまま帰った。
家族葬だから葬儀への参列は断ったが、
仲が良かった人にはどうしても来たいという人がいるというので、
家族葬の部屋に入りきるぎりぎりの8人までならいいと伝えた。

その日は早めにみんな帰ったと思う。
夜はおふくろと二人でパンか何か食った。

俺はおふくろに謝った。
16日に何があったか話した。
俺はこの時初めて泣いた。
俺は妹の死で何も学んでなかったと思った。

俺はいつか見たタイムリープの話を調べ、日曜に戻ると念じて寝た。



火曜、10時くらいだったか、葬儀業者の料理担当が来た。
通夜でお清めに出す料理は約3万で7,8人前のオードブルにした。
家族だけのつもりだったが、職場の人が来てしまうかもしれなかったので、それにした。
また花籠を頼むのだが、家族葬だったので最初は1つでいいと思った。
が業者はここでも多めに勧めてくる。
結局1.5万の花籠を4つ頼むことになった。
それから告別式の後のお清めは、1人前5000円の料理を10名ほど頼んだ。

料理担当が帰ると、俺は病院に救急の精算に行った。
「16日に救急外来で世話になった○○です」と伝え、おやじの保険証を提出すると、結構待たされた。
精算額は約10万だった。

午後にはお向さんが来た。
話を聞かせて欲しいと言われた。
おふくろは出たくないと言ったので、俺が玄関に出た。
お向かいさんは自殺と気づいているのか、いないのか、お父さんどう?と聞いてきた。
俺は家族で葬儀を行うことを伝えたが、今日?と聞かれ、今日だと答えた。

通夜は6時から。住職が来るのが5時。俺たちは4時に葬祭センターに入った。
家族葬用の会場にはすでにオヤジがいた。
悲しい。
通夜よりだいぶ前に、担当者と俺、おふくろ、叔父さん、いとこ、叔父さんの妻とでオヤジを持ち上げて、オヤジをお棺に移した。
オヤジは冷たく、固かった。
オヤジが靴下を履いていなかったので、俺の靴下を履かせた。
お棺にはオヤジが好きだった建築の本、来週行くはずだった沖縄のガイドブック、財布なんかを入れた。

通夜が始まる前に住職に挨拶し、お布施、戒名代、お車代を渡した。

通夜には、おやじの職場の人以外に、どう調べたのか町内会の人が来てしまっていた。
会場の外でふんぞり返ってニヤニヤして、悪気があるわけじゃないのだろうがムカツイた。
香典をおふくろに渡すと「どうしたんですか?」と言われたが、
おふくろは「急に倒れて・・・」としか言えなかった。

通夜が終わり、会場から出ると、町内会の人がいた。
頭だけ下げ、住職の方へお礼に向かった。
それからお清め室に入り、少し減ったオードブルを食った。


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いっち
いっち
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