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司馬遼太郎は、小説家なのか、歴史家なのか。
09年末にNHKで放送された原作『坂の上の雲』を書き終えた司馬は、次のように書き記している。
「日本人は、事実を事実として残すという冷厳な感覚に欠けているのだろうか。時世時節の価値観が事実に対する万能の判定者になり、都合のわるい事実を消す。(中略)事実は、文献の面でも、物の面でも、すべて存在したものを残すべきである」
では、司馬に問いたい。存在しなかったものを小説の中で書き記すことは、許されないはずだ。
司馬の作品の中に、
『故郷忘じがたく候』 (文春文庫)がある。
出版元である文芸春秋のサイトに歴史学者である山内昌之・東京大学教授が次のように記載している。
http://www.bunshun.co.jp/pickup/tanpen_shiba/sukina.htm
山内昌之(第五回司馬遼太郎賞)
竹島をめぐって日韓関係が紛糾している。こういう時期にこそ日韓双方の人びとには、司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』を読んでもらいたいものだ。十六世紀の不幸な戦争のさなかに、朝鮮半島から日本に連れてこられた人間たちは、異郷の薩摩で姓を変えることなく、家業の製陶を成功させながら立派に生きてきた。ある意味で日本人以上に重厚な日本の国民となり、言葉を忘れても、父祖の国の歴史と伝統を大事にする人たちの心根を、十四代目の沈寿官(ちんじゅかん)氏を通して描いた短篇である。
朝鮮開国の神祖、檀君を村の鎮守として玉山宮に祀り、異国の神は日本の神として認めないという明治の宗教行政に抗(あらが)いながら、古朝鮮の遺風を伝えてきた人びとの内面をどう捉えたらよいのだろうか。司馬遼太郎は、解答のカギを「故郷忘じがたく」と語った江戸時代の祖先の言葉に求めている。かれらの物静かで毅然とした決意に学ぶべき点は多い。声高であっても大局を見ない自己主張は未来の審判に堪えられるのだろうか。
山内氏という著名な歴史学者でさえ、この小説を歴史の書として扱っている。
「十六世紀の不幸な戦争のさなかに、朝鮮半島から日本に連れてこられた人間たちは、異郷の薩摩で姓を変えることなく、家業の製陶を成功させながら立派に生きてきた。」
主人公は、十四代・沈寿官である。
このブログで、私が書いた本『歴史の改竄者・司馬遼太郎批判』の全文を順次、掲載していくために開設させていただいた。
副題は「虚に巣くう者たち 沈寿官との合議の擬態」としてある。
果たして歴史の真実はどこにあるのか。
『故郷忘じがたく候』という短編を素材に、司馬文学の改ざんぶりを検証したい。
次回より順次、掲載していくつもりですので、お読みいただければ幸いです。
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>「日本人は、事実を事実として残すという冷厳な感覚に欠けている
みたいです。TBさせていただきました。
2010/1/7(木) 午後 8:33