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Kato's TRICKS
中学入試で受験生の応用思考能力を問うという問題で、あなたがザビエルだったらどのようにして日本に布教しますかというのがあったんですが、当時の日本とポルトガルの戦力を比較するとどう計算してもポルトガル軍による日本征服は不可能。

※インドでも東南アジアでも南米でも軍事力による征服と布教はセットです

平戸をゴアのように要塞都市化して海上補給路で維持するか、あるいはどこかの有力大名をキリスト教化した上で三好政権を(暗殺などで)崩壊させて武家政権を樹立させるか。

※織田信長はまだ織田家の当主にさえなっていない、織田信秀の時代ですからね。

武家政権のトップをキリスト教化しなければ、秀吉や家康にやられたように、カトリックが禁止されるのは時間の問題でしょう。実際、ザビエルも足利義輝や天皇や大内、大友といった有力大名への働きかけは実施していて、彼が置かれた諸条件から考えればベストに近い動き方をしたと思います。

しかしながら、天下統一を果たすような人物がローマ教皇の下風におめおめと立ってくれるかとか、天皇と教皇どちらの権威を利用する方が政権の強化と維持に役立つのかといったことを考えると、いずれにしてもイエズス会による1548年スタートの日本布教は失敗するんじゃないですかという結論を答案に書いたらどんな採点されるんだろうか。

入試だったら、採点者が好きそうなちょっと気の利いた感じがする明るい未来の物語を書いちゃうよね。どう考えても無理な市場開拓について上司の好きそうな調子の良いレポートを書いちゃう人みたいに。

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「この教育法が凄い」という記事が毎日いっぱいウェブでバズっているのですが、その大半について個人的には

「はあ? くだらね」

と思ってしまいます。

何故多くの皆さんのように熱くなれないのか、さっきちょっと考えてみた。

最大の理由は、それらの記事で殆どが最終的には受験競争(または出世競争)での優位性の獲得という観点で書かれているということ。

もう一つ大きな理由は、個々の児童生徒の適性や興味関心、価値観、人生観といった要素を考慮していない議論だということ。

話が逆だと思うんですわ。

まずは一人ひとり、何が好きで何が得意で、どう生きていきたいかが出発点。それでスコープを絞り、その次に、じゃあどんな勉強してったら良いかねえという問題が来て、最後に、学習方法の技術的検討が(やはり個々の特性を考慮しつつ)必要になる。

というのが私の考えね。

学生たちの就活の相談でも、まずは「あなたが大事にして生きたいもの、あなたの価値観は何ですか」「あなたが得意な行動パターンは何ですか」ということを考えてもらって、「じゃあそれを指針に仕事を選んでいきましょう」という順序でやっとりました。

世間のベタな価値観を安易に使って勉強したり仕事したりしてると、病みや闇に取り込まれそうになった時、気づくのが遅れるからね。

教科学力や進学先のヘンサチーの多少の上下など気にして時間を使うより、人生観を、自分自信の価値尺度を育てることにお時間を使う方が良いんじゃないか。私はそう思っているので、国際バカロレアもプログラミング教育もバイリンガル教育も

「はあ? くだらね」

になっちゃうんだな。

そういえば3月で引退されたA先生と去年パーティーでご一緒したとき

「加藤さん、あなた自分が一番かしこいと思ってるでしょ」
「はい。その通りです。」
「自分が一番、自分の子供を上手く育てられると思ってるんじゃない?」
「もちろんです!」

(即答)

というやり取りがありました。
他人の価値観や他人のスタイルを真似して何が面白い。
カードゲームのデッキ構築競争じゃあるまいし。

マックス・ウェーバーやマルティン・ブーバーやカール・マルクスのようなセンチュリー級の知性が今どこかに存在したとして、彼や彼女が他人の考えた教育法に乗って、自分の子供を教育するだろうかって考えたら、絶対しとらんだろうなと思うし。

自分で考えて、自分で動いて教育するのだ。


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会社が総力を上げて実施する年間最大のプロジェクトのチームメンバーに選抜されたスタッフがですね、プロジェクトが終わってから、
「私の業務用端末だけプロジェクト期間中ずっと故障していたので他のスタッフやHQとの有機的な連携が出来ませんでした」
と、会社名出して個人ブログに書く。
私がマネージャーだったら相当怒りますねこれ。
業務用端末が故障しているなら、すぐに申し出て修理・交換するなり、それが間に合わないならチーム全体で状況を共有して、業務用端末が足りなくても情報共有と連携が出来る方法を考えるなりするのが、仕事のための組織。
(かとうゼミは学習のための組織でしたが、それでもこんなレベルの話は無かった)
しかも、そういう話をいきなり社名出して個人ブログに書くのかよと。社会人歴4年目、社歴2年目の社員が。
って思うだろうな。
あ、単なる説話ですよ。説話ね。実話とは思わないでね。

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昨日のUNESCOの会議ではライアテアにあるタプタプアテア・マラエも世界遺産登録が決定しました。

ざっくり言うと、ここは古代ポリネシア世界(今のニュージーランド、タヒチ、イースター島、ハワイ諸島)を結ぶ航海者たちの聖地だった場所で、20世紀のその重要性が考古学の研究を通して発見され、現代のポリネシアの航海者たちの間でも特別な場所として巡礼地になった・・・というようなところです。

航海者の聖地という意味では日本の宗像大社と非常に似ていますね。
タプタプアテア・マラエの世界遺産登録はポリネシアの航海文化復興運動関係者にとっては20年ごしの悲願だったそうです。

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昨日「センセーはいつも楽しそうですねえ」と何度もしみじみ言われたのですが、そりゃ確かに彼女たちの顔を見られるというのは私にとって無上の喜びではありますが、それを割り引いたとしても、毎日が楽しいのは事実。

いや、ちょっと待って、君たちは違うのか?

詳しく聞いてみると、なんだ別に人生がつまらなくなったわけじゃないんじゃないですか。仕事は楽しいし、やりがいがあるし。それぞれ誰もが知る大企業に勤めてるわけだし。

ということは「楽しい」と「楽しそう」の間にもう一段、何かあるのだろうか。

以前に別の教え子にも「センセーの周りではいつも何かが起こっている」と笑われたんですが、うーむ、つまり日々が淡々と過ぎていかないということなのか・・・?

帰り道で一つ思いついたことなんですが、私は人にせよモノにせよ、新しい出会いがあると、「これと何/誰を結びつけたら面白いだろうか」ということを考えて、何か思いついたらすぐに、その場で動きます。

予期せぬアクシデントを発生させるのが趣味といって良い。

趣味のあり方として「お金を使う(旅行に行く、コレクションするなど)」と「お金を儲ける(ミンネ、ヤフオク、メルカリなど)」というのが昨今の二大ジャンルだと思いますが、よく考えたら私はそのどちらでも無くて、「アクシデントやハプニングを仕掛ける」なのでした。

お金を使うのも、お金を儲けるのもセオリーや黄金パターンがありますから、回り出すとそれはそれでルーチンワークになりがちですが、アクシデントやハプニングは予想外のことをやらかし、これまで無かった関係性を作ることが基本なので、なかなかルーチンワークには陥りにくい。

だから「いつも楽しそう」「いつも何かが起こっている」のでしょうか?

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