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今日は青年座研修所の「第三の証言」A班を見てきました。


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作者は戦前生まれの人で、最初は共産党でしたが後に転向し、後半生は実存主義やキリスト教の強い影響下にあったとされる人物です。


物語の舞台は1954年(昭和29年)の日本の都市部。出所不明の粗悪な小麦粉でビスケットを作っている工場です。工場の責任者は雇われ社長で、事業のオーナーは不明。ただし警察の捜査にも介入出来る強力な政治力を持っています。
 
工場で次々にネズミの病死体が発見されることを不審に思った新参の工員が保健所や警察に駆け込みますが、オーナーの政治力で揉み消され、最後は自殺して終わるというプロレタリア文学っぽい鬱展開。
 

登場人物は大半が工場の従業員ですが、それぞれの壊れ方でラリホーしていて、ネズミの変死は見て見ぬふりという有様です。

中盤以降は失恋して自殺する人とか、会社をクビになって妻に逃げられて野垂れ死にする人とか、自殺未遂する人とか現れて、椎名麟三なかなか豪快に殺していくなという感じです。今でもこういう世界は日本に確実にあるのですが、連合国の占領が終わった直後の日本では、こういう貧困は、演じ手たちにも、観客たちにも、身の回りにある日常だったんだろうなあと思います。62年前の作品ですからね。
 
なので、現代の観客(と役者の卵たち)に対しては、その、62年前の日本社会のリアリティをちょっとおぎなった上で提示しても良かったかなあという気もしました。後から作品のことを調べて、なるほどそういうことだったかと理解出来たポイントが幾つかあったので。
 
また、当時であれば大資本や中央官庁の権力が国民の食の安全を犠牲にして暴利を貪るみたいな構図も納得感があったのでしょうが、今の時代であれば、もうちょっと複雑な劇の構造を作らないと、幅広くは響かないんじゃないかなという気もします。
 
例えばですね。
 
舞台となる製菓会社は粗悪な原材料によって材料代をケチって粗利を増やしているのですが、その増やした粗利はきっちり従業員に還元している。普通の悪徳会社(現代日本にもいっぱいありますよ〜)だったら、悪いことをして粗利増やしても従業員に還元なんかしないで、全部オーナーが持って行きます。ところがこの会社は労働還元率高い上に、障害者雇用までしている。従業員に占める障害者の割合はまさかの12.5%で、現代の法定雇用率が裸足で逃げ出すホワイトさです。
 
そうなんです。ここ、ホワイト企業なんですよ。中の人たちはみんな壊れてるけど、経営はホワイト。そもそも製菓業で原料費なんて知れてますからね。人件費や設備投資のが絶対重い。そこで目一杯頑張って社会貢献してる良い会社っすよ。
 
そこを強調した演出にして、より現代的な問い、つまり従業員にとってはホワイト企業だけれど売ってるものはあかん会社というのは、どう捉えるべきかということを考えさせるやり方も可能だったのではないか。
 
そんなことを考えたりもしました。
 
それから教え子の當瀬このみの演技ですが、登場人物の中でのちょっと特殊な立場を上手く(論理的に考えて導き出した演じ方を、実際に観客に伝わるレベルで実践できているという意味)表現出来ていて、「わが町」から5ヶ月で更に腕を上げたなおぬし、と思いました。存在感あり過ぎで、最後のカタストロフに絡まないのが物足りなかった。「わが町」の進行役で相方だった依田美玲さんが今回も當瀬のカウンターパートでしたが、依田さんが最後の最後、もう一段狂気のギアを上げて締めていたら、ウェルバランスだったかなあ。
 
依田さんと當瀬を飛車角的に使った配役は「わが町」に引き続きですが、まだ二人のバランスのスイートスポットは見つかっていないのかな。前回は依田さん寄り、今回は當瀬寄り。ここが決まると凄い威力が出ると思うんですけどね。


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