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稲城五中の「置き勉ホワイトリスト」
主要5教科の教科書とノートは全部不可になっている。
各教科担任のメンツと部分最適化の結晶に見えるが。。。。
というわけで早速教育委員会指導課に意見具申。
「稲城五中の1年生でいわゆる「置き勉」について、学校に置いておいて良いものというリストが配布されましたが、主要教科(国語数学理科社会英語)の教科書とノートは全て持ち帰り必須とされております。
しかしながらこれらを毎日必ず持ち帰ったとして、家で全て使うわけではないことは、皆様の個人的経験からもご理解いただけるかと思います。
今どき、教科書など見なくてもネット教材で充分以上に自宅学習は可能であり、配布された教科書がなければ勉強もままならなかった昭和40年代以前とは事情が違います。
生徒の身体の発育への悪影響を今一度熟考し、各教材の重量も計測した上で指標を変えるべきと思います。」 |
教育
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教育についての記事です
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息子は昨日はcoderdojoを2軒ハシゴして、ひたすらマインクラフトのサーバをVPSで構築する作業に取り組んでいた。
前回はconohaのデフォルト設定を使ったが今回は自分なりにカスタマイズしたいそうで、admin権限はじめ様々な権限・機能を、プラグイン群を使って細かく設定したいそうな。
もはや何言ってるかわからんけど、Gitを使ってどうこうとか、conohaとsakuraのコードを比較してそれぞれの良いところを取り入れてとか、javaを使いまくるんだよとか。結局遊びなんだけど、集中力は凄いし、問題解決力も凄い。何か上手く動かないところが出ても父ちゃんを頼れないから、検索で突破する。
未踏ジュニアや各種のキッズプログラミングコンペみたいに一人で完結した作品を作って評価してもらうタイプの評価指標とは別の指標が実は必要なんじゃないかって、あれを見ていると思う。
どちらかというとミニ四駆のカスタマイズに似ている。ノーマルで動くものがまずあって、それをどう改造するか。
結局、コンペって出来上がったもので評価するしかないんだけど、ある種の子供は成果物の完成度にはほとんど興味を持っていない。それよりも「改造のプロセスをどれだけ自分自身が楽しめるか」「改造を通したコミュニケーションの質と量がどれだけ増加したか」。
ところが今、雨後の筍のように出現しているキッズプログラミング教室はどこも判で押したように、ロボティクスでの課題解決ワークショップをやっている。
あれは教育の設計はわりとやりやすい。
しかし、一通りやってしまうと、そこで終わってしまう。迷路突破とかロボットサッカーとか、どこまでも深めていけるものではない。で、あの次に用意されている場は高専ロボコン。レベルの格差がありすぎる。
では、ロボティクス系プログラミング教室にも未踏ジュニアにも興味がわかない子供はどこに行くのかというと、今のところ、discordというボイスチャットアプリらしい。ここはゲーマーの楽園で、今のところネットコミュニティが上手く回っていると聞く。
最終的にはgithubとかslackに行くんだろうが、その一つのルートとしてdiscordというのもアリなのかな。
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1989年の指導要領から大々的に採用された「関心・意欲・態度」の「新学力観」もそろそろ賞味期限切れな気がする今日このごろ。 「関心・意欲・態度」でググれば、いかにして教師に注目されて平常点を稼ぐかという新学力観ハックの技術を解説した予備校系ウェブサイトが山程出てくるご時世である。 稲城五中で配布されているシラバスでも、繰り返し「関心・意欲・態度」についての説明があり、提出物だの発言回数だのが評価に反映されると繰り返し書かれている。 これは教育委員会から、そういうふうに評価しないと許さないからねという厳命が出ているので、末端の教員を批判してもしょうがない。今の東京都では職員会議で教員が校長に意見を言うことは原則禁止されている(石原都政の負の遺産マジダサイ)。加えてこれは推測だが、定期テストの点が良かったのに5段階評価の評点が低いのはどういうことだと苦情を言いに行く保護者が後を絶たないのだろう。気の毒といえば気の毒だ。
アホくさいんだが、原理原則に立ち戻れば、こういうことになる。 「教科書の内容をちゃんと理解していれば良い。父ちゃんはそれ以上のことは一切求めない。」 つまり、テストの点数とか平常点とか5段階評価で何だったとかいうのはどうでも良い、そういうものを稼ぐためにハックする必要は無いということ。 極論を言えば、評点なんか全部1でも良い。教科書の内容を全て理解出来ていれば、高校入試などクリア出来るし、高校の授業にもついていける。高校の授業内容を全て理解出来ていれば、大学にも入れる。その辺で、新学力観ハックで上っ面だけ取り繕っていたライバルは勝手に脱落していく。大学に入れば新学力観ハックなど黒歴史でしかない。そんなものは何の実力にもなっていないんだから。大学から先こそが真の勝負であり、そこでは本物の好奇心や行動力や探求力だけが、先に進むためのマチェーテとなる。 中学の成績など大人になったら何の意味も持たない。 なんせ、父ちゃんは中学時代は450人中410番前後が定位置だったんだからな。 そういえば現代文なんか私は一切勉強をしたことがないし授業中も寝ていたがテストはほとんど出来ていた。新学力観ならクズ認定だが、これまでに翻訳書を6冊、論文を沢山、共著は今年2冊目が出る。関心意欲態度など所詮その程度のものだ。 |
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上野千鶴子の演説、上野本人への好き嫌いは別としても、やはり乗れない理由がわかった。 比較的評価の高い、ラストの大サビの部分が自分の価値観に合わない。 すなわちこの辺り。 「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。」 私はここはおかしいと思います。 入試の合否判定は本来なら誰に対しても同じボーダーラインを適用し、そこより上なら合格、そこの下なら不合格というのが公正公平でしょう。 で、自分の知る限りでは東大に合格するような人って、もともと教科学力の獲得に要する労力がとっても低い人たちです。偏差値50の人が試験で点数を1点上げるのに5時間かかるとすれば、東大に受かるような人たちは同じ距離を30分で踏破するような体に生まれついている。 この二人(偏差値50マンと偏差値73ウーマン)が同じだけ頑張ったら、勝つのは100%、生まれつき圧倒的な教科学習適性を持ち合わせた偏差値73ウーマン。100回勝負して100回そうなる。 これは不公正でしょうか? 公正でしょうか? 求められる結果を出すのにどれだけ「頑張ったか」で評価するのは、私は不公正だと思う。 高3の4月まで授業だけ聞いてて、そっから1日2時間の追加の受験勉強やって余裕で東大合格しました。そりゃそういう力持ってるんだからしょうがない。頑張らなくてもクリア出来るんだから頑張る必要無いっすよ。 本当に大事なのは、同じレベルのアウトプットを出しているのに、片方は男だからとか有名ブランドだからとかコネがあるからとかいう理由で下駄を履かせて評価され、もう片方が打ち捨てられることが無い社会を目指す、ということです。 (私の人生は概ね、トップブランドの人たちにブランド力で蹴散らされる側でしたし、女子の教え子たちのキャリアは概ね、女だからという理由で不利を受けているように思えます) 頑張ってるんだから結果が伴わなくても評価されるべきだ、なんてどういう地獄社会でしょうか。やだよそんなの。結果を平等に公正に評価しよう。勝者総取りにしろとは言いません。頑張ったけど結果はイマイチだった人たちが生きていくのに困るくらい何も手にできないというのはダメです。ですが、傾斜配分するならば、求められる成果をより高い精度で出した人にこそ多めに与えるべきではないですか? 上野千鶴子くらい賢い人物ならば、頑張ることとアウトプットの質とが正比例ではないことなど知っているはずです。でありながら、バズを狙って敢えて日本社会の大衆が好む「頑張り」を持ち出してきたのではないか、と勘ぐってしまう私の腹黒さが怖い。 |
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昨日は上野まで車で往復したので、色々とまた稲城五中の痛い話を聞かされてしまった。 なんか連絡帳的なものがあって、たまたま息子がそれを忘れて行ったら、担任が、下校した後で中学校に連絡帳を持ってこいと言ったそうで。 で、息子はそんなの忘れていた。 翌日。何で忘れたんだと3回も聞かれたと。 私「バカなのかそいつは。忘れたというのは理由なんか無い。理由がわかっていれば忘れない。忘れたというのはその事実以外には何もない。そんなに大事なものなら電話でリマインドするべきだろう。そもそも翌日でも結局誰も困らなかったペーパーメディアをわざわざ手運びで再配達させるなんて、時間あたりの生産性という概念が無いやつだ。そんなことをやっているから、日本人は大人になると時間あたりの利益率を考えない働き方をするようになる。あまりにもバカだなその担任は。」 バカですよね。社畜ファクトリー管理人かよ。 |



