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(1)
https://blogs.yahoo.co.jp/holahola_123/64716014.html
よりつづく
( 2 )
ぼくは廣珍堂さんから瞬間移動電話ボックスの改造図面(魔術風)を受
け取った。
ぼくと二ノ瀬さんは大急ぎで、図面を読み解き汗だくで改造作業、翌日
には村のほうへ行けるようになった。
全員でビーチからてくてく歩いて以前住んでいた中世の家(寮)に移動。
すでにガス・水道・電気が来ていた。
ぼくはすぐにこのまま中世イタリアに疎開することを手紙に書いて、廣珍
堂さん行きの手作りポスト(温井さんといたときに作った)に投函した。
5分後、段ボール箱第一便が玄関に現れた。
添えられた手紙に「ダークマター号の駅でも欲しいものを注文出来るか
ら必要に応じて電話ボックスで移動して取りに来なさい」
今度は夫婦5人での生活である。
滝島先生が「ここに置いたままの医療材料が傷んだりなくなったりしてい
ないかしら」
ぼくが「中世という時代を考えてあまりやりすぎないで下さいねー」と言
いながら、ステンレスとかアルミとかの金属や電気工具を使いたいなぁ〜
と思っていたりする。
ここでの生活の基本は畑仕事である。
早朝の仕事を終わらせてから、みんなで市場に出荷に行く、
そのまま佐藤さんと二ノ瀬さんは縫製品の加工や修理を行う。
滝島先生と温井さんはもちろん診療所である、ぼくは農機具などの機械
の修理である。
午後からは午睡(シエスタ)をとって、そのあとまた畑仕事である。
稲作も再開するために、放置されていた田んぼを整えるのがかなり重労
働である。
屋外は村人に見られる可能性が高いので、エンジン付きの農機具を使え
ない。
牛を借りてきて、牛の力で土を耕している。
診療所では。
滝島先生の名前である、中世イタリアのひとにはTakishimaというのは覚
えにくく、名前として使い難くかった。
しかし、名前のほうのAriel=Beriiaというのは馴染みやすいらしく、またたく
「アリエル・ベリア〜」と呼ばれることになった。
教会のひとが“ありえる”はクリスチャンネームなんですか?と聞いてきたが、
ジャパニーズ・キラキラネームと答えておいた。
診療所では“アリエル先生”、普段は“ベリア”と呼ばれることが多いようであ
る。
中世イタリアのこの村ではぼくと温井さんがいなくなってから約1年間が過
ぎていた。
1年間困ったこともあっただろうな〜
1年じゃ何も変わらないか〜
と思ったが、
実際には大変なことになっていた。
ぼくたちが持ち込んだ様々な技術・知識(それでもかなり控えめにしたはずだ)
が、驚異的に『進歩!!!』していた。
ぼくたちがいなくなって、医療機器や機械、知識が不足したのはいうまでもな
い。
ところが50人ほどの村人は、無いなら研究して作ろう。ということになった。
この村では手に入らない原材料も多かったが、ここには隠れた天才がたくさん
いたのである。
さすがルネッサンスの国イタリア?
(3)
https://blogs.yahoo.co.jp/holahola_123/64716017.html
へつづく
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