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これから、ブログを真面目に更新します。 2016年10月8日

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イメージ 1昨日(2008年9月15日)日本テレビで、第32回、鳥人間コンテストが放映されていた。

テレビ番組としては、「人力飛行機が主体」になった鳥人間コンテストも、初期の頃は、「滑空機」のコンテストだった・・・。

私が始めてコンテストに行ったのは、多分1981年(第5回)だったのだと思う。 ただし、その当時のTシャツは、すでに捨ててしまったので、81年だったのか、83年だったのか、よく思い出せない。 どちらにしても、もう20数年前のことだと思うとビックリする。  ともかく、私は、糸谷浩氏のチームにいたのだ。

糸谷氏は、ハンググライダーの師匠でもあり、学生時代、ダボス(長野県)とか、色々連れて行ってもらった。 あの頃、糸谷氏は、湯河原にあった(菅原タカノブさんがやっていた)「レインボー・フライング・クラブ」(丹那)に所属した後は、「西富士友の会」に所属していたので、バードマンには「西富士友の会」で出場している・・・。 

イメージ 2さて、糸谷さんのバードマン・ラリー初期の機体は、基本的にはハンググライダーのグライダーで、アルミのパイプとワイヤー、セールで作られていた。 (実際、第5回くらいまでは、ハンググライダーの機体で出場し、優勝するパターンが多かった・・・)。 糸谷さんは、機体の美しさにこだわり、また、「風の谷のナウシカ」の機体を信じていたので、無尾翼機(尾翼のない機体)で優勝することを目差していた。 この機体は、本当に翼だけの機体で、パイロット(糸谷氏)は、懸垂をしながら足を直角に前に出して乗る、糸谷氏だけしか出来ない?形で乗る機体だった。

(初期の頃の)コンテストの前、自宅で作った機体を埼玉大学のサークル棟の前で組立てていたのを思いだす。 その後、筑波大学の芸術学群の倉庫で機体を作るようになり、大型のクレーンで重心を出せるようになったりした(その頃の筑波は、田舎だった・・・。 デザイナーの春日亀美智雄(バン)氏が 一緒に作っていた。 ちなみに春日亀の名前は、元公家の名前で、公家の子孫としては日本に一軒しかなく坂氏は春日亀千尋さんと結婚するときに、春日亀姓に改名したと聞いている・・・。 まあ、どうでも良いようなことをグダグダ書いて、すいません・・・)。

その2に続く

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元気よく、やってるようですね。
まだ、ハンググライダーは引退してません。あまり飛んでませんが、最近はラジコングライダーで遊んでます。 削除

2009/2/1(日) 午後 6:29 [ 糸谷 ] 返信する

なんと、糸谷さん本人ではないですか・・・。よく、こんなところ見つけましたね・・・。
どうやったら、連絡取れるのでしょうか? そう言えば、今年はバードマン・ラリーがスポンサーが付かず中止になったというニュースがありましたね・・・。 ちょっと、さびしいです。

2009/2/2(月) 午前 8:06 hom**town_*00* 返信する

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khb04247@nifty.com みたらさっさと消してね。 削除

2009/2/11(水) 午後 10:54 [ 糸谷 ] 返信する

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ええ?もしかしてこれはサカイ君のブログかな?
わたし森本は丹沢で毎週飛んでおりますぞ。飛びにおいで!
人生はハンググライダーですぞ。

2009/5/23(土) 午後 9:23 [ ken*i_m*ri*oto ] 返信する

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