ホメロスの独り言

平成16年の社労士試験に合格。現在次ぎなる資格を目指して日夜勉強中?

歴史の独り言

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歴史上の事象を独断と偏見を交えて分析。分析手法は社会科学、自然科学を動員して行うもの。
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侵略の定義は難しい。侵略が悪いとは一概にいえないのである。収奪と略奪により自分達のみの繁栄を図ったということが明白なら(スペインによるアステカ文明、インカ文明の征服、あるいは白人によるアメリカインディアンの生存圏の侵略等)、明らかに侵略は悪だとなり、抵抗闘争は讃えられ、レジスタンスに参加した戦士は英雄である。しかし侵略された側に安定と秩序をもたらした場合は評価は180度変わってしまうのである。(アレクサンドロス大王によるオリエント世界、インド北部の征服。モンゴル軍による中央アジアから南ロシアさらに中国本土への征服。ローマによる地中海沿岸及び西ヨーロッパ、イギリス支配。華北から華中、華南、内蒙古、満州、西域、雲南、チベットへの漢民族による支配等。)
収奪と殺戮によってもたらされた大英帝国による植民地支配でさえ、英語による国際交流の進展、迷信と因習からの植民地の住民の解放、独立後の近代化の担い手となった民族資本家の育成という意味で評価されているのである。つまり自国の利益をはかる為に植民地に多少なりともメリットを与えたことにより宗主国として尊敬さえ集めているのである。
日本に当てはめれば、1945年から1951年にわたった連合国による日本の占領政策を日本の国辱と考えている日本人は少ないと思う。むしろ、軍隊が解散され、象徴天皇制が確立され、個人が解放されたと評価している日本人が大変多いと思われる。実際、戸主制度の廃止、農地改革の実施、枢密院及び内務省の廃止により日本の民主化はより進んだのであり、日本をアメリカの51番目の州にという意見もあったのであるからアメリカ様々である。(侵略を他国に対する、武力による政治的支配と定義付ければ、アメリカに代表される連合国による日本侵略が6年続いたと考えることも出来る。)
さらに欧米に代表される宗主国は第二次世界大戦の勝利者であり、勝者は官軍なのである。日本は敗者であり賊軍である。この厳しい現実の前では戦争中の日本の大儀もスローガンも吹っ飛んでしまったのである。台湾、朝鮮の今日の繁栄は日本の植民地支配なくしては可能であったか疑問である。(満州でさえ、もっと時間があれば評価が変わったと思われる。)しかし、日本イコール賊軍という等式の前では日本の植民地政策による植民地人民の搾取と収奪ということのみ国際社会で非難されるのである。結果として「戦争はやってはならぬ。やる以上は勝たねばならぬ。」という単純にして明瞭、そして悲しい論理が展開されてしまっているのである。

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明治維新から日露戦争迄、日本は国家として成功したと言えよう。日露戦争から今日迄も日本は国家として成功したと言えるだろう。しかし、途中に道程において失敗したことも事実である。その道程とは五味川純平の名著「戦争と人間」において描かれた1928年から1945年かけての日本の歩みである。(山東出兵からポツダム宣言受諾迄の道である。)
1928年から1945年の17年間、日本の歩みは確かにおかしかった。その場の雰囲気に引きずられ、問題を先送りしているうちに1941年12月8日を迎え1945年8月15日となってしまった。明治維新から日露戦争まで築き上げたものを僅か17年で消費してしまったのである。国土に関していえば北方領土の喪失により1854年の日露和親条約締結時より後退してしまっている。(大東亜戦争の期間(1941年〜1945年を「魔性の歴史」)と呼ぶ意見もあるが、中国問題無くして大東亜戦争無しである為、中国国民党との衝突のあった1928年から敗戦を迎えた1945年の日本に注目した五味川純平は鋭い視点を持っていたと思われる。)
しかし、日本の行動が当時の価値観で非難されるかといえば、一概にいえないであろう。今でこそ小国の意見が尊重され、人種差別は非難される。しかし当時は世界中がアパルトヘイトであったのであり、自国の為に他国に犠牲を強いることは、強いられた方に責任があると平然と言われていたのである。(尚、今日でも先進諸国の経済的繁栄は後進諸国の犠牲の上に成り立っているのは事実である。)
1919年のパリ講和会議において、日本は人種差別の撤廃を唱えたが、結局、日本の主張は受けいられなかった。今日、大東亜戦争において日本を非難する国々の何人の人達が87年前の日本の孤軍奮闘に思いをよせるであろうか。第二次世界大戦後、世界人権宣言が公布され、人種差別も撤廃され、小国の意見も尊重されるようになった。歴史にIFはないが、もし、日本のこの提案が戦前において受け入れられていたら、果たして第二次世界大戦に日本が枢軸国側で参戦したか疑問である。(人種差別の撤廃を主張した日本が、ユダヤ人排斥を唱えるドイツに組することはありえないケースとなるであろう。)当然日本の植民地支配についても違う評価が下ったはずである。

満州事変についてはその契機となった柳条湖事件は関東軍の自作自演のでっち上げである。しかし、2003年に開始されたアメリカ、イギリスによるイラク侵攻も、フセインが大量破壊兵器を保有しているというアメリカのでっち上げで始まったのである。フセインの暴政からイラク国民を解放しイラク人による民主主義を成立させる為、イラク暫定政権させる。これは,張学良の圧政、馬賊の略奪に苦しむ満州の民衆を救い、満州族(女真族)の手に満州の支配が戻るよう清朝の皇帝を擁立し、満州国を設立したことと同じである。日本が満州の天然資源が欲しかったように、アメリカも中東の石油が欲しかったのでる。
(満州国成立後、抗日義勇軍の跳梁により満州国の治安は安定しなかったが、今日のイラクも自爆テロにより治安が安定していない。そんなところも酷似している。)
しかし、日本もアメリカも動機も手段も50歩100歩だが、世界の評価は180度違う。日本は国際的に孤立したのに対しアメリカは非難を浴びながらも孤立化とは無縁である。理由は簡単である。アメリカは国際社会のオピニオンリーダーであるが、1931年当時の日本はオピニオンリーダーでなかったからである。つまり、非難されることはあっても、支持される国家では無かったのである。1905年のポーツマス条約締結後、日本はアジアの希望であるとともに、欧米諸国の脅威となった。そして日本が欧米諸国のように帝国主義の道を選んだ時、日本はアジア諸国からも孤立してしまったのである。「坂の上の雲」を掴んだ先のシナリオを描ききれなかったのである。「そんなのは結果論だ。あの時代の人間にそれ以上を望むのは無理だ」ということは簡単である。
しかし、2個の原爆と300万人の日本人の死と海外植民地だけでなく日本固有の領土(北方領土)を失う道しか選べなかったとしたら余りにも悲しいことである。あの人権弾圧のファシスト国家であるフランコのスペインが、第二次世界大戦後も生き残ったのである。あるいはヒトラーのドイツと結びソ連と戦ったフィンランドにしても領土の一部(カレリア地方)を失いながらも占領されることも無く、東側陣営に組み込まれること無く生き残ったのである。
当時、世界第2位の航空兵力(1位のアメリカとは著しい差があるが)を持っていた日本が矢折れ刀折れの形で無条件降伏したというのは、国際社会での立ち回りが余りにも下手であったといわれてもしかたないであろう。大東亜共栄圏の創立を目指し、東南アジアにおける欧米の植民地を一時的に占領した日本は、結局 圧倒的物量(質的にも著しく優位にあった)を有するアメリカの前に敗北したが、日本人による植民地の占領により欧米人の優位性は失墜し、そして植民地支配は崩壊し、西から東に流れていたインド洋の潮流は東から西へ流れることになったのである。しかし、国際社会で日本のこの影響が表立って評価されることは無い。貧乏籤の貧乏籤たる所以である。

アメリカ合衆国は移民の国である。この国は先住民族への殺戮と収奪で成立した国である。旧約聖書 ヨシュア記に記されたカナーンの征服(神に約束された地「カナーン」をイスラエルの民の地とする為にイスラエルの民によるカナーンの先住民の虐殺が行われた。)のアメリカ大陸版である。
さらに欧米各国によるアジア、アフリカ、ラテンアメリカへの侵略もカナーンの先住民の虐殺の全世界版である。中華人民共和国(以下中国)によるチベットの侵攻も、更に言えば有史以来の漢民族による華北から華中、華南、中国東北部、内蒙古、西域への勢力の拡張も、いくら民主主義、共産主義あるいは中国文明による迷信と因習と呪術の園からの解放を唱えたとしても、先住民への収奪と虐殺という意味では欧米諸国と同じ穴の狢である。しかし欧米も中国も自分達の行動の過ちを認めることはあっても卑下することはない。その証拠に彼等は侵略し、収奪した果実(領土等)を殆ど返還していない。返還しても経済的優位性は維持し、況や旧宗主国ということで、尊敬さえされている。なぜなら彼等は勝利者だからである。国連の常任理事国(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)は第二次世界大戦の勝利国である。戦後の国際秩序が戦勝国のもとで創られた以上、民族自決、反植民地主義を高らかに表明しようが、戦勝国が最終的に不利になる体制は成立したようで骨抜きにされたのである。 植民地が独立する。しかし、長年の収奪による国力の疲弊と、民族間の対立を利用した巧妙な支配の矛盾が独立により爆発することにより、近代国家への歩みは遅々として進まず、結局 欧米諸国、あるいは国連に支援を頼まざるを得なくなる。そして経済的に従属してしまう。・・・・このパターンが続くのである。
日本も20世紀初頭、欧米諸国と同じ道を歩んだ。ポーツマス条約(1905年)の後の南満州鉄道株式会社(以下満鉄)の創立は欧米による東インド会社の日本版といえる。1931年の満州事変は日清、日露戦争以来の日本の影響力の体現であった。これは欧米諸国、あるいは中国による他地域の侵略と同じである。本来、満州の地は女真族のものであり、中国に侵略行為を非難されるものではない。

アメリカ合衆国の場合→1783年に独立戦争に勝利して以来アメリカ合衆国(以下アメリカ)は第二次世界大戦まで戦争に負けることは無かった。独立戦争(VSイギリス)、米墨戦争(VSメキシコ)、米西戦争(VSスペイン)、第一次世界大戦(VSドイツ、トルコ、オーストリア)、第二次世界大戦(VSドイツ、イタリア、日本)と勝利し、国土を広げるとともに、政治的、経済的影響力を世界中に及ぼし歴史上最強の国家となった。アメリカが最初に戦争での勝利が得られなかったの朝鮮戦争(1950年〜1953年)であった。但し、戦争はアメリカを中心とした国連軍と北朝鮮軍、中国軍(中華人民共和国)という形態を取り、勝利は得られなかったが、アメリカが単独で負けたわけでは無かった。しかし、この時アメリカは一つのジレンマに陥ってしまったのである。自由主義の代表戦士として、第2次世界大戦に勝利した時点で、自由主義を守り、自国の影響力を維持する為に、他国の内戦(共産主義勢力と反共勢力の内戦等)に否応無く引きずり込まれるという宿命を背負わされたのである。1805年に唱えられた「モンロー主義」からの本当の決別である。朝鮮戦争はその前奏曲として奏でられた言えよう。そしてアメリカの歴史上最初の敗北がこの後やってくるのである。
1954年のジュネーヴ協定により、ベトナムは南北に分断された。南ベトナムを支援するアメリカは南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)を支援する北ベトナムを攻撃すべく1965年2月から北ベトナムを爆撃し(北爆)、自ら大軍を派遣した。ソ連、中国の支援を受けた解放戦線の抵抗は根強く戦闘は長引き、戦線はラオス、カンボジアにまで拡大した。アメリカは国内、国外での反戦世論の高まり、戦争の長期化による戦費の増大に悩まされることになる。特に非戦闘員を巻き込んだゲリラ戦はアメリカ軍兵士による残虐行為(ソンミ村の虐殺等)を誘発し、アメリカは国際社会で強く非難される事になる。
アメリカは殆どの戦闘で敗れなかった。しかし正規軍(アメリカ軍)にとっては勝たなければ負けなのである。これに対し解放戦線(ベトコン)にとっては負けなければ勝ちなのである。この関係を非対称的戦争という。(永井陽之助「現代と戦略」より)アメリカが、南ベトナムという小国の支援から非対称的戦争に巻き込まれたことに、アメリカの悲運(歴史上最初の敗北)が約束付けられてしまったといえる。1973年1月にパリ和平協定が締結され、アメリカは泥沼のベトナム戦争から抜けることが出来た。しかし、それはインドシナ半島からのアメリカの影響力の後退を招き、1975年4月、南ベトナムの首都サイゴンは陥落し、翌76年 北ベトナムによる南北ベトナムが統一されハノイを首都とするベトナム社会主義共和国が成立することとなる。但し東西の冷戦は西側の勝利に終り、自由主義陣営の共産主義陣営に対する優越が証明された今日、真の勝利者の判定にはもう少し時間と歴史の検討が必要なのかもしれない。

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