ほんおじのゴルフ&北京日記

申し訳ありません。中国でこのブログは開けなくなり更新が出来なくなりました。

戦争は嫌だ!

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連載「青春の軍靴」も終わりに近づいてきました。

この頃の日本軍は、他の戦争体験者の方たちの体験談を読んでも、赤星鉄也同様山岳地帯、道なき道を行軍し、体力的にも次第に限界に近づき、食糧難にさいなまれます。

米軍に制空権を取られ、中国軍から波状的に攻撃を受け戦争が始まって以来の厳しい局面を迎えます。

この時期一体大本営は、何を考えていたのでしょうか?

「琢磨の自分史」にはこの時期について次のように書かれています。

「支那大陸には27個師団、34個旅団、計100万の大軍を擁し、その大半は大陸の奥深くに展開していた。支那派遣軍総司令官 岡村寧次大将は、100万の将兵が大東亜戦争全局に寄与するには、重慶政府を屈服させ蒋介石政権を連合国側から分離して単独講和を図ることにある、という結論に達した。

昭和19年12月中旬 この意見が大本営に伝えられたが、大本営は、対米戦備に転換するよう要請した。
 岡村総司令官は、従来の西向き戦面を東向きに大転換することには反対であり、四川進攻作戦実施について大本営に意見具申を行ったが、大本営はこれを認可せず、昭和20年1月22日 『支那派遣軍の基本任務は対米作戦を主務とする』と新任務を発令した。

また対ソ戦備としては、従来の関東軍担任地域の1部を北支方面軍が担任し、関東軍に策応しようとするものであった。しかし敵の制空権下において追撃や妨害を受けながら、広大なる支那大陸での態勢の転換には非常な時間を必要とし、終戦時、なお多くの部隊が転戦途中の浮動の態勢であった。」

孤立状態になってきた赤星哲也は、これから一体どうなっていくのでしょうか?

連載「青春の軍靴」第三話 「激戦」を引続きお読み下さい。

参考資料:「琢磨の自分史」より
http://www1.toptower.ne.jp/users/katumata/ 

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赤星鉄也の「青春の軍靴」をブログに掲載を始めてから、早いもので39回になりました。

今回の連載で勉強になったのは、昔読んだ第三者の文献では無く、戦争体験者の生の声をインターネットの普及のお陰もあり、たくさん目にすることが出来たことです。

傀儡政権「満州国」を設立後、第二次世界大戦勃発。更に日本はアメリカに宣戦布告し太平洋戦争に突入します。

戦況が不利になってくると、軍は満州に開拓団で行った人達の中から男達を兵隊に徴集します。

また、赤星鉄也は3年の兵役で終わるはづが、引続き中国南方に行軍する羽目になりました。

全く無茶な話しです。日本は太平洋上で戦争し、中国全土で戦争を行う無謀な行動をし、次第に厳しい状況に追い込まれます。

中国南下では、ある時は700Kmを10日間で徒歩の行進しています。それも山あり谷あり銃器、食料など恐らく30Kgを担ぎながらです。

赤星鉄也の日記や他の資料を読んでいて、意味も無くいじめに近い上官のやり方を除けば、陸軍の厳しい規律は判ってきます。

初年兵の教育の中で「焼くな・殺すな・犯すな」という師団命令の示達があり、この違反者は次のような判決があり、実際厳しい処断がなされていました。

命令違反者に対する軍法会議の判決。

判決

その1:犬をけしかけて、強盗・強姦した兵士グループ全員に銃殺刑

その2:強盗・強姦のあと放火した兵士に銃殺刑

そのほか厳しい刑が多々あり。。。

以前ご紹介したイッコーさんの実録には「師団回報には、犯罪名と罪人の実名が記されていた。師団ではこれを重要な教育事項として初年兵教育に取り入れていた。軍紀の厳正に神経を使っていたことが判る。」と記されています。

そして「戦争で一番悲惨なのは、直接の戦闘ではなく、放火で家を焼かれたり、スパイとか放火の理由で殺されたり、女性が犯されたりすることである。『南京大虐殺』はその一大悪例である。
これに対する怒りが中国国民に民族意識を認識させ『打倒日本 徹底抗戦』の原動力になったと言われている。この重大性に気づいた師団が軍紀の厳正を重大命令項目としていたのである。」

110師団のように軍紀が厳正な部隊からは、敗戦後戦犯検挙の時戦犯者が出ていません。

しかし、日本軍のほかの部隊では「焼くな・殺すな・犯すな」とは裏腹に残虐行為が行われており、敗戦後旧軍人の告白や中国側の調査摘発から数多くの残虐行為が暴きだされました。

イッコーさんは最後にこのように締めくくっています。

「テレビ、新聞、著書などのマスコミで、非人間的で無残な実情を知らされるたびに、同胞の一人としてやり場のない憤怒と悲哀感が抑えられない。」

戦争・侵略そのものが良くないことは明白ですが、どんな厳しい状況であれ国際的に守るべき最低限の規律があるはづで、日本陸軍の規律そのものが相当乱れていたという事実も明白です。

地上では中国軍に攻められ、空からは米軍機に攻められ赤星哲也の部隊は、大変な状況に追い込まれます。「青春の軍靴」第三話戦場編は、一週間後にスタートします。

<写真&参考資料追加>

「徴発」という名の略奪       http://www10.ocn.ne.jp/~war/chouhatsu.htm
一号作戦・湘桂作戦他        http://www1.toptower.ne.jp/users/katumata/sub468.htm
三光作戦調査会           http://www.h7.dion.ne.jp/~sankoh/contents/2aboutus/
青森空襲を記録する会        http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/index.html
勝海ジャーナル「よみがえる記憶」  http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/02yomigaeru/3.html

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赤星鉄也の「青春の軍靴」をブログに掲載を始めてから、21回になりました。

ほんおじが老眼鏡で見ても良く見えない小さな文字、中国の土地名が今と違うこと、日本語の使い方が違うことなど難解な問題がありましたが、昨年北京大学歴史学科を卒業した瀬尾賢治君らの協力でようやくここまで進んできました。

文字数は、全体で5万文字くらいですが、現在まで2万文字くらいまで進んでいます。

また、軍隊用語、習慣、その時期の出来事などをチェックしたり、裏づけを取るため多くの方の下記文献・データを利用させていただいています。ここに深くお礼を申し上げます。

10代〜20代で入隊した方々は、今80代〜90代になられていますが、皆さんが当時を思い出しながら書いたり述べたりした貴重な資料です。

「2度と戦争をして欲しくないために後世に残しておこう」というのが、皆さんの思いであろうと推察します。

お時間のある方は、是非お読み下さい。

■ 軍隊の生活(改訂版) 
http://military-web.hp.infoseek.co.jp/guntai_seikatsu/guntai_seikatsu.htm

■ 静謐(せいひつ)・1944年ソ連国境の記録
http://www.geocities.jp/tinypuku/nonfiction_top.html

■ 戦争体験記 http://www001.upp.so-net.ne.jp/kubotaka/index.html

■ 捨石 http://homepage1.nifty.com/horms/suteishi01.html

■ イッコーのホームページ「初年兵の戦記」 http://www.eonet.ne.jp/~k426351t/index.html

■ 日中戦争時の人々 http://www.jmcy.co.jp/~goto/SIWA/HITO/HITO01.htm

■ 志波さんの中国 http://www.jmcy.co.jp/~goto/SIWAMENU.htm

■ 福井県史「第二章 日中戦争から太平洋戦争へ」
  http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T6/T6-2-01-01-06-03.htm

■ 日本鬼子/日中15年戦争・元皇軍兵士の告白 (映画)
  http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD889/story.html

■ 今書き残すノモハン事件の激戦 
http://hp.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/1606wada.htm

■ 今よみがえる写真ニュースが伝えた日中戦争(1)〜(5) 
  http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/02yomigaeru/1.html

■ 「赤い月」(映画) http://www.toho.co.jp/movie-press/akaitsuki/

■ 岸和田市自治振興課「平和資料を貸し出ししています」
  http://www.city.kishiwada.osaka.jp/hp/m/m252/jiti-sinkou/heiwashiryo/

赤星鉄也は、満州で兵隊の任期である3年になり帰国準備をしていたところ、運悪く戦況の変化で延期となり、満州を後にしてこれから大変な行軍を強いられます。

時折解説などコメントを入れながら進めていきますので、引続き連載「青春の軍靴」をお読みいただければ幸いです。

青春の軍靴

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ほんおじが亡き父の書斎で古い日記を見つけたのは数年前のことです。

父の日記ではなく、秋田県の赤星鉄也(仮名)という方の日記で、戦争のため軍に入隊し満州に行き、そして敗戦までの間を日記に綴っています。

何故この日記が父の書斎にあったのか?
少しだけ記憶に残っているのですが、今から40数年前秋田から来られたという方が突然父を訪ねて、小学校2年生くらいのお嬢さんを連れていました。

多分あの方が赤星鉄也さんだろうと思います。

ほんおじの祖父は軍人で秋田の連隊にいたとき、父は生まれています。

ほんおじは1943年生れですから、日本の敗戦の時は2歳ですが、日清戦争を経験し後に教官になった祖父も大学卒業後戦地に行った父も戦争の話しは一切しませんでした。

一度だけほんおじが30年前中国に出張するようになった時、「王府井はどうなっている?」と突然父から聞かれたのが唯一の中国の話しです。(兄の話では戦争前に北京大学に行っていたそうです)

今考えても残念なことです。戦争の話しをしたくない気持ちも判らないでもありませんが、子供達に戦争を2度としないためにも語って欲しかったと思います。

戦争にかかわる写真もほとんど残っていません。ただ、祖父が近衛連隊での写真と父のソ連国境での警備と思われる写真が一枚づつ残っています。

その意味で赤星鉄也さんの日記は大変貴重なものになりました。

実は、とても小さい字で判読できない文字も多々あり、いまだにきちんと読むことが出来ていません。老眼鏡をかけてもよく読めないのです。今北京の留学生の協力も得て少しづつですが、連載風に掲載していきます。

日記に登場される方のお名前は、仮名にさせていただきましたが、私の父だけは本名で登場します。
優しい父でしたから、読んでいるとこの人がほんおじさんのお父さんかと判ると思います。

それにしても赤星鉄也さんは、誰にも見つからず小さい紙にメモし、箸入れの中に詰め込んで書き続けて日本に持ち帰ったのは驚きです。とても几帳面な方だったのではないかと思います。

連載は、同じYhooBlogにしました。写真も無く味気の無い画面です。コメント欄もありません。ただ、興味のある方に読んでいただければと思っています。

戦争を2度と起こさないためにも、貴重なこの日記「青春の軍靴」を残したいと思います。

このブログの下にリンクしました。

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