ほんおじのゴルフ&北京日記

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兄の写真集から

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ネットで探した兄の作品をブログに保存しておきます。

兄はパソコンを利用していないので、ネットで自分の作品が見られるとは思っていないでしょう。

ほんおじはタイムスリップしたような2番目の写真が好きです。

中央を歩いているおばさんに声をかけたくなります。

「この辺に地元の料理とお酒を出してくれるお店はありませんか?」

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兄貴

ほんおじは二人兄弟で兄がいる。

歳は5歳と少し離れているけど、小学5年生と高校1年生のときほど今は歳の差を感じなくなった。

子供の頃は、兄の友達が良く遊びに連れて行ってくれ、何であんなに面倒見が良かったのだろうと今にして思う。

兄貴の人気があったから?お袋が美人だったから?ほんおじが可愛かったから?(これは絶対違う)

何となくYahooで兄の名前を書き検索してみた。

その中に学校の先生だった時代の写真集があり、5枚ほど兄の作品が出てきた。
その中の1枚は見覚えがある。

写真ブームだった時代、兄もカメラと現像代に給与を惜しみなく使っていた。

見覚えのある写真は「カメラ毎日」で入選した阿波踊りの写真で、本人が表彰式から帰って「みんなプロカメラマン風で俺だけ場違いみたいだった。」と言っていたのでよく覚えている。

今は好きだったカメラは止めてしまったが、兄の部屋で彼の写真集を見ていたらヌード写真もたくさんあったので堅物の兄を見直したものです。

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新春にふさわしくない話題で恐縮です。

昭和42年から43年にかけ会社からもっと勉強しろとの命を受け、東京大学工学部応用化学科に通っていました。

専門は電気工学でしたが(といっても真面目に勉強していませんが)、担当する仕事が化学会社、製薬会社など向けの設備の仕事だったことから、化学の授業を受けたのです。

しかし、70年安保闘争の前哨戦と言われている学園紛争が始まり、大学に行ってもたびたび休講になり、会社から給料をいただいて大学に行かせてもらい、生まれて初めて?授業を真面目に受けている自分としては怒りを覚えていた。

大学の窓口や先生の家まで電話して、「授業をやれ」と文句を言っていた。
以前は休講なら喜んでいたくせにえらい変わりようです。^^;

結果的にまともに受けられた授業は半分くらいだったと思う。

そのあと1969年(昭和44年)1月18日、19日に、全学共闘会議(全共闘)が占拠していた東京大学本郷キャンパスを警視庁が封鎖解除を行った事件(安田講堂事件)が起こり、この影響で、この年の東京大学の入学試験は中止され、次年度の入学者は0人となってしまった。

当時、あちこちで起こった闘争で、機動隊の武具は催涙弾、放水車、大盾、全共闘側の武具はヘルメットに火炎瓶、ゲバ棒、投石だった。

この時のことを今でも時々思い出す原因は、催涙ガスの製造設備の注文を受け、ほんおじが担当したからです。

東京郊外の野原のど真ん中にある建物の中で催涙ガスの生産が始まりました。
闘争があるたびに警視庁の車がひっきりなしに引き取りに来たことを覚えています。

後輩は戦い、仕事とはいえ機動隊の催涙ガスを生産していることを誰にも言わずにいたノンポリサラリーマンの自分を思い出すたびに今も複雑な気持ちになります。

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浜崎あゆみさんと較べるのも失礼な話しと思いますが、ほんおじの場合は子供の頃から中耳炎でよく病院に通い、大学1年の時、「中耳炎急性悪化症」で入院し大手術をして、その後現在に至るまで全く左耳が聞こえなくなりました。

浜崎あゆみさんの場合は、以前から抱えていた左耳の「突発性内耳障害」が悪化し、左耳が完全に機能不全を起こし治療の術はないと診断されたのです。

ネットで調べるとこの病気は「突発性難聴」ともいい、特別の理由もなく、突然、耳が聞こえなくなる病気。耳は音波の振動を内耳で電気信号に変換して脳に伝えるが、その変換が突然なされなくなる症状である。騒音や大音量などによる外傷性の難聴とは全く異なり、耳がつまったり(耳閉感)、耳に水が入ったりしたような感じになるという。原因は現在のところ不明だが、ウイルス感染、耳の奥にある内耳を通る血管の痙攣や出血、血栓などによる循環障害の2つが有力視されている。(Yahoo辞書)

突然難聴になった人は大変です。平衡感覚が無くなったり、両耳で聞いていた音も立体感を無くし、慣れるまでに時間を要します。

ほんおじの場合は、子供の頃から難聴だったので少しずつ慣れていきました。
でも子供時代は、先生の話しも友人の話も良く聞こえないと「えっ」とか「何?」とか聞きなおすので、嫌な顔をされました。
次第に子供心にも聞きなおすのが嫌になり、「感」で多分こんなことを言っているのだろうと相手の顔や口元を見て判断する癖がついてしまいました。

困ったのは会社に入ってから電話をかけている時、後ろから上司や先輩が「ほんおじ!その電話が終わったら俺に代われ!!」と声をかけられた時でした。電話を切ってしまうと「今代われと言っただろ!」と怒り出します。
電話を右耳に当てると全く外部からの音が聞こえません。
お陰で電話中も360度周りの様子を気をつける癖までつきました。

でも良いこともあります。どんな騒がしい場所でも、隣に歯ぎしり、イビキをかく人がいても右耳を下に枕を当てていれば、騒音が聞こえずよく眠れることです。

恐らく将来医学が進歩していつか聞こえるようになるかもしれませんが、今更手術はしたくありません。

急に世の中がうるさくなるのが嫌だからです。^^

画像:浜崎あゆみオフィシャルファンクラブ「Team Ayu」の紹介
   http://avexnet.or.jp/ayu/jp/teamayu/

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現在の北京市消防局は1987年消防課から消防局に格上げされ、その後消防関連設備の充実、消防訓練センターの設置なども進み、既に先進国レベルに達しつつあると思います。

昨年11月から「北京五輪消防ボランティア」の活動も始まり、北京市消防局も北京オリンピックに向けて一段と忙しくなり、消防士など人員も大幅に増員し、中国最大の消防態勢をしいています。

実は、以前日本のODA(政府開発援助)による消防技術援助が行われました。

当時ほんおじも以前勤務していた会社の時、ソフト面でお手伝いしたのですが、北京市の地図を詳細に作成しそれを元に大画面に映し出し、どこで火災が発生したか特定するためのシステムでした。

当時地図そのものは中国側が作成するために、日本で制作技術を研修してもらいました。

北京での設備設置完了後、消防副局長さんに局内で宴会を開いていただいたのですが、食後「カラオケはいかがですか?」と言われ何処に行くのかと思ったら、同じ局内にカラオケの出来る部屋がありびっくりしました。

消防局の方は全員制服なので最初は緊張しましたが、みなさんは歌も上手な上接待上手で次第に緊張も解け、ほんおじは「北国の春」を歌いました。^^

写真:FIRE RESCUE EMS 
http://www.signalos.co.jp/html_w_report/w_report_37.html

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