読書のあしあと

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書評50 中島敦

「山月記」

『中島敦全集1』(ちくま文庫、1993年)所収


私はちくま文庫の個人全集の隠れコレクターである。もちろん全て読んでいるわけではないが、一通り読んだものもある。最初は単純に「本棚にあるとかっこいいから」という何とも浅はかな理由で集め始めたこのシリーズ、読み始めるとなかなか癖になってしまって気に入った。

50回目の書評に取り上げるのは言わずと知れた国語教科書の定番小説。ちくま文庫の中島敦全集版のほかに、角川文庫・岩波文庫・新潮文庫などでも読むことができる。

イメージ 2角川文庫版 イメージ 3岩波文庫版 イメージ 4新潮文庫版


【著者紹介】
なかじま・あつし (1909─1942年) 作家。
東京帝国大学卒。1942年、「光と風と夢」が第15回芥川賞候補に。同年『光と風と夢』『南島譚』を刊行するが、12月4日喘息により33歳で死去。『李陵』他いくつかの作品は没後に発表された。漢文調の格調高い文体とユーモラスに語る独特の文体を巧みに使い分けている。


【あらすじ】
隴西の李徴はかつての郷里の秀才であったが、狷介で自負心が高く、自らの身分に満足しきれず、詩人として名を成そうとするも挫折。その後、狂して山奥に奔り、行方知れずとなった。 一年後、彼の旧友袁傪は旅の途中で虎となった李徴と邂逅する。李徴が詩業への執着ゆえに人の精神や姿を失って虎に変身した己を省み、なお執着を捨てきれぬ悲哀を友に述懐する有様を描出した……。


お薦め度:★★★☆☆

【本書の感想】

<全体の感想>
中島敦の作品はどれも簡潔でありながらうまくまとまっていて、読む度に味が出る。この「山月記」もちくま文庫版でわずか10ページである。しかしながらそのインパクト、メッセージ性、作品としての完成度は到底10ページに収まるものではない。
弱冠30歳そこそこでこれだけのものを書いた中島敦、恐るべしである。


<臆病な自尊心、尊大な羞恥心>
この作品はあまりに有名なので、あらすじの説明などは蛇足に思われるが、印象的な部分を引用して感想を記したい。
この作品の山場は、李徴がかつての友人に自分が虎になった理由を告白する箇所である。そこでは、李徴は自らの半生を真摯に反省し、こう述懐する。

己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、わが臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することもできなかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。(34項)

痛々しいまでの悲痛な告白である。虎になった理由を自覚した李徴は、その運命を受け入れ、藪に帰って行く。
中島敦の名文で綴られる李徴の後悔の念は、何度読んでも辛くなる。


<自覚と反省──「山月記」の問い>
「山月記」が問いかけるものは、「あなたは虎になっていないか」という自問を促すことだという解釈が多いようである。それも重要なメッセージだろう。しかし私はそれ以上に、虎になった理由を省みることのできる李徴もまだ救いがあるように思えるのである。
虎になってしまう人は、往々にして虎になったことに気づかないだろう。そして虎になった理由に気づく人もそれほど多くないように思う。李徴が遺した教訓は、「虎になってはいけない」という命題とともに、「もし虎になってもそれに気づいて反省・修正すること」の大切さなのではないだろうか。

李徴を批判するのは容易い。しかし、自分の身に引き付けて──かつてのジョージ・オーウェルのように──「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を考えた時、それに気づくだけでも難しいと思う。虎になった自分を反省できた李徴はそれなりに評価されるのではないだろうか。


こんな李徴評価は甘すぎるでしょうか、皆さん?


<おわりに>
このように、中島敦の短編は含蓄に富んでいるわりにコンパクトにまとまっていて、様々なことをふくらませて考えるのに必要な素材を豊富に含んでいる。
ここらへんが教科書の定番となっている理由かもしれない。

「昔読んだことあったな」と思った方も、是非再読してみて下さい。

閉じる コメント(26)

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中島敦、私も結構お気に入りです。それにしてもちくま文庫の個人全集は手軽で並べるとカッコいいですが、ちょっと気を緩めると「あっ」という間に店頭からなくなるので困ります(苦笑)。値が張るけど見つけたら即、買わないとだめですね。

2006/11/2(木) 午前 7:47 [ ちいらば ] 返信する

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中島敦、私のストライクゾーンです。あの骨太な文章を読んでいると、噛めば噛むほど味が出るスルメのようだと思います。芯がしっかりある文章は気持ちよいですね。引用文、とても惹かれた部分です。ブログを始めた当初の記事で恥ずかしいですが、TBさせてくださいね(でも、今より素直に書けている気もする‥)

2006/11/2(木) 午後 5:51 mepo 返信する

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>gakiさん:そうですね、中島敦を読んでいると端正というか、本当に質のいい文学に触れているなぁと思わされます。ストーリーや含蓄もさることながら、文章だけでもあれだけ読ませるのもすごいですよね。

2006/11/3(金) 午前 0:17 大三元 返信する

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>ちいらばさん:そうそう、そうなんですよね。しかもなかなか古本で出回らないし…。中島敦や宮沢賢治、それに太宰や芥川なんかは結構出回ってるんですが、安吾、漱石、鴎外なんかは全然見ませんね。ここらへんを買う人は文庫じゃなくて単行本版全集で買うんでしょうかねぇ?

2006/11/3(金) 午前 0:20 大三元 返信する

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>mepoさん:トラックバックありがとうございます!芯がしっかりある「噛めば噛むほど味が出るスルメ」という表現は全くその通りだと思います。中島敦の作品はどれもそれほど長くないので、じっくり時間をかけて噛み締めたいですね。

2006/11/3(金) 午前 0:22 大三元 返信する

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おばかな李徴とおりこう袁傪(サンの字ちゃんと表示されてるかな〜?)の対比が切ないですね。「山月記」の記事って,意外と少ないので,私もmepoさんにならい,トラックバックしていきます。

2006/11/5(日) 午後 10:36 NONAJUN 返信する

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>NONAJUNさん:トラックバックありがとうございます。そうですね、有名な作品の割に(むしろ有名すぎて?)ヤフーブログではあまり記事が書かれていないようです。読みやすくて意義深い作品だと思いますけどね〜。

2006/11/6(月) 午前 0:23 大三元 返信する

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トラバありがとうございます。「李徴を批判するのは容易い」というのはまさにその通りで,おりこうエンサンを批判しなきゃ…という気もします。

2006/11/6(月) 午前 7:47 NONAJUN 返信する

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ん?今さらですけど,これ,書評50本目なんですね。おめでとうございます!

2006/11/6(月) 午前 7:52 NONAJUN 返信する

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>NONAJUNさん:カントの記事でもオーウェルの記事でも書いたことですが、「李徴を批判するのは容易い」と言っている私自身実行できているかと自問すると簡単に首を縦に振れないんですよね。結局、そのディレンマを困難さとともに自覚するしかないのかもしれません。

2006/11/7(火) 午後 4:02 大三元 返信する

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>NONAJUNさん:そうなんです、地味に(笑)。いつまで続くかわかりませんが、息の長いブログにしていければいいなと思っております。今後とも叱咤激励よろしくお願いしますm(_ _)m

2006/11/7(火) 午後 4:03 大三元 返信する

大三元さん、はじめまして。山月記は学生時代、教材として学びました。懐かしく思い出します。臆病な心って誰にでもありますよね。恐らく今読んでも新鮮です。

2006/12/9(土) 午後 7:43 [ zen*92*1* ] 返信する

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>ぜんさん:初めまして、ご訪問&コメントありがとうございます。山月記は教科書の定番ですよね。でも、少し成長してから読んで自分の身に引き付けて考えると、単に「教科書のお話」で片付けられない内容であることに気づきました。そこらへんがやはり古典の恐ろしいところですね。

2006/12/10(日) 午前 2:15 大三元 返信する

私も中島敦の『山月記』を高校1年の教科書で学びました。国語の先生が鑑賞眼の高い人で、作品の面白さをよく分かるように解説してくれました。「ロウセイのリチョウは博学才英で、若くして名をコボウに連ね……」と今でもその冒頭部分は印象深く覚えております。

2007/1/23(火) 午後 6:26 [ yuzukijoutrou ] 返信する

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>yuzukijoutarouさん:初めまして、ご訪問&コメントありがとうございます。私も高校時代にお世話になった先生の授業の端々は、鮮明に覚えていることがあります。高校でどれだけ教養のある先生に当たるかって、結構大事ですよね。そんな先生に「山月記」を習ったというのは羨ましく感じてしまいます。

2007/1/24(水) 午前 2:56 大三元 返信する

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こんにちは。私も遅ればせながら『山月記』の記事を書いてみたのでTBさせていただければと思います。中島敦の文章は密度が凄いですね。

2007/5/2(水) 午前 0:37 KING王 返信する

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>KING王さん:トラバありがとうございました。早速拝見させていただきますね。

2007/5/2(水) 午前 0:51 大三元 返信する

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はじめまして。
兄に昔、「李徴はなんで詩人として成功しなかったんだろう?」「兄さんは漢文得意だけど虎になった李徴の詩はいい詩なの?」と訊いたことがあります。
兄は自分の思った解答を言うのではなく半日一緒になって考えてくれました。
「虎になった理由と詩人として成功しなかった理由は異なる。」
「虎になったのは彼の自尊心や羞恥心がもたらした怪異かもしれない。しかし、芸術家にも人でなしはたくさんいて李徴の人間性が詩人としての挫折に関係するとは思えない。」
「彼の詩は成功するために書いた詩、であって心情を素直に描写するものではなかった。故に人の心を打つものがなかった。これが技巧に劣る他の詩人が成功し、李徴が失敗した理由である。」
「最後の詩は作中で名作の扱いである。それが証拠にあの詩の直後のみエンサンは李徴を薄幸の“詩人”と呼んでいる。虎になったことで名声欲から離れ、戯れに今の心情を吐露したこの詩こそが彼の最高傑作であり、それ以外の今まで詠んだ詩は実は詩とも呼べないような形だけの何かでしかなかったのだ。だけどそこには気付かず彼はやがて虎になりきってしまうのだろう。」
そんなことを二 削除

2012/6/11(月) 午後 9:31 [ じぇにー ] 返信する

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そんなことを二人で語ったのを思い出しました。長くなってすいません。
兄は今では高校で国語の教師をしています。 削除

2012/6/11(月) 午後 9:35 [ じぇにー ] 返信する

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>じぇにーさん:はじめまして、ご訪問&コメントありがとうございました。虎になったあとの詩が最高傑作との話、なるほどなあと思いました。しかし、反省した李徴は虎になりきってしまうのか?大方そうなるような気がしますが、どこかでそうならないように希望を持ちたいような気もします。
お兄さんは、とてもいい国語の先生になっていそうですね。国語はとくに、指導を受ける先生によってその後の感性が全く変わってくるように思います。

2012/6/17(日) 午前 0:27 大三元 返信する

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