読書のあしあと

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書評58 坂野潤治

『明治デモクラシー』

(岩波新書、2005年)


このブログでは明治時代を扱った本を書評したことはあるが(書評1・『開国・維新』書評7・『近代日本の政治家』書評11・『明治国家の建設』など)、それらは主に政治家や権力者などのいわゆる「ハイ・ポリティクス」に焦点を当てていた。しかし、やはりそれだけでは時代を捉えるのには片手落ちである。「上からのデモクラシー」だけでなく「下からのデモクラシー」にも目を向ける必要があろう。何よりも、私たちは政治家ではなく、一般の有権者なのだから。


【著者紹介】
ばんの・じゅんじ (1937年─) 東京大学名誉教授。専攻は近代日本政治史。
東京大学文学部国史学科卒、千葉大学人文学部助教授、東京大学社会科学研究所教授などを歴任。1997年『近代日本の国家構想』(岩波書店)にて吉野作造賞受賞。
他の著書に『近代日本の外交と政治』(研文出版、1985年)、『大系日本の歴史(13)近代日本の出発』(小学館、1989年)、Democracy in Pre-War Japan 1871-1937, trans. by Andrew Frasen, (Routledge, 2001). 『近代日本政治史』(岩波書店, 2006年)など多数。
本ブログで過去に取り上げた作品に短評11・『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書、2004年)がある。


【目次】
第1章 士族と農民の結合
第2章 参加か抵抗か
第3章 分裂と挫折
第4章 束の間の復活──大同団結運動
第5章 「官民調和」──明治憲法体制の定着
第6章 継承と発展──「大正デモクラシー」へ


【本書の内容】
明治日本には、民主主義の思想と運動の豊かな蓄積があった。「主権在民」論と「議院内閣制」論の間のせめぎあいの中で、それはどう深まり、挫折していったのか。また後の時代に何を遺したのか。福沢諭吉、植木枝盛、中江兆民、徳富蘇峰、北一輝、美濃部達吉らの議論を読み解きながら、日本の現在の姿をも照らし出す刺激的な歴史叙述。(岩波新書紹介より)


お薦め度:★★★☆☆

【本書の感想】

<全体の感想>
本書の意図を明確にするために、「はじめに」の一節を引いておこう。

筆者は、日本の近代史を、上からの「富国強兵」の枠組みではなく、下からの「デモクラシー」の枠組みで捉えなおし、それを「連続」的なものとして理解することに努め、そのために「明治デモクラシー」、「大正デモクラシー」、「昭和デモクラシー」という用語で分析していきたいと考えている。本書は、その第一着手として、これまで「自由民権運動」、「大同団結運動」、「初期大正デモクラシー」と区別されてきた明治12年(1879年)から明治末年(1912年)までの民主化の波を、「主権論」と「二大政党制論」を中心に「明治デモクラシー」として総体的に理解しようとするものである。(「はじめに」鷙燹

このように、明治史の中に「主権在民論」(立志社─中江兆民路線)と「二大政党制論」(交詢社─福沢諭吉路線)の競合としての「デモクラシー」が存在したというのが主張の核心である。こういった視点で読み解いた明治史というのは今までになく、非常に新鮮だ。新しい時代の幕開けに、息荒く理想を掲げる人々の息吹が感じられる。
以下では「主権在民論」と「二大政党制論」が明治史の中でどう位置づけられるのか、を意識しながら要約・感想を述べていく。


<民主主義思想の萌芽──中江兆民と福沢諭吉>
かつて北一輝が論じたように、欧米の市民革命と違って明治維新に決定的に欠けていたのは民主主義の思想であった。しかし明治10年(1877年)には士族の反乱が収まり、農地経営も安定化すると、徐々に民主主義思想を理論的支柱にした国会開設運動が始まる。

自由民権運動の先陣を切ったのは何と言っても高知の立志社、そしてその全国版の愛国社であるが、そのブレーンは中江兆民や植木枝盛であった。そして中江や植木の民主主義思想はルソーの『社会契約論』をそのバイブルとしていた。つまり「自由な個人が他人の自由と両立する『社会』を作るための契約として法を定めた」という考え方であり、これは政治制度的には直接民主制を主張し、「主権在民論」の流れを作った。

一方、当時の愛国社を批判してイギリス型の議院内閣制を唱えたのが福沢諭吉とその直系の交詢社である。19世紀末に生きた福沢は、同時代のヨーロッパ大陸で社会主義などの急進的勢力と帝政反動主義が激しい衝突を繰り返し、秩序が崩壊する様をつぶさに観察していた。そしてそれをもたらしたものこそルソーのようなフランス型民主主義思想(=直接民主制)であると断じ、その処方箋をイギリス型議院内閣制(=間接民主制)に求めたのである(36項)。


ここに「明治デモクラシー」を動かしていく二つの思想的源流が出揃うことになるが、注目すべきはルソーを理論的支柱とする愛国社グループが「『政府』と『人民』を対等な、しかし相交わることのできない国家の二要素と見なす考えにもとづいていた」ことである(45項)。

そして「国会」とは「政府」ではなく「全国人民」の意思決定機関である。福沢諭吉グループの議院内閣制論の立場に立てば、「政府」と「国会」が政党内閣の下で一つになる形で国民が間接的に政府に「参加」するが、愛国者グループにあっては、両者は対等かつ別々の存在であった。(47項)

こうして、

「主権在民論」 → 愛国社、ルソー=中江兆民型、直接民主制、政府・国会二分論
「二大政党制論」 → 交詢社、イギリス=福沢諭吉型、間接民主制、議院内閣制論

の二つの思想が「明治デモクラシー」の二大潮流をなすことになる。


<「主権在民論」の脱落と「官民調和」の勝利──「明治デモクラシー」の終焉>
この後大隈重信の失脚(明治14年の政変)により「二大政党制論」は自由党の穏健派に受け継がれることになる。明治20年頃までの二つの流をまとめると以下のような図に整理されると思う。

「主権在民論」 → 運動:三大事件建白運動 担い手:自由党急進派 理論家:中江兆民
「二大政党制論」 → 運動:大同団結運動 担い手:自由党穏健派、後藤象二郎ら 理論家:徳富蘇峰

ところが、これらはいずれも主権は国民の手にあるという大前提に立っていた。「主権在民論」はもとより「二大政党制論」も政党内閣制を主張するため、当然ながら君主主権型憲法とは調和しにくい。ところが発布された明治憲法はプロイセン型であり、天皇主権を明確に定めていた。しかるに日本の立憲政治は発足間もないうちに民党が政府に強く反発し、機能不全に陥る可能性が高くなってきた。特に「主権在民論」はその急進性の故に現実性を失い、ますます勢力を弱めた。


そこで板垣退助を中心とした旧愛国公党が政府との妥協を模索し始める。これが「主権在民論」にとって替わる「官民調和」路線である。

「官民調和体制」とは、一方で軍部や官僚や貴族院を一つの保守勢力が掌握し、他方で衆議院の恒常的多数を一つの政党が握り、両者が各々の内部の利害を調整しながら、安定的に国政を運営していく体制である。(162項)

「官民調和体制」もすぐに確立したわけではないが、「二大政党制論」との競合の末に、日露戦争後の1907年以降、軍部・官僚を掌握する桂太郎と衆議院多数を握る政友会総裁の西園寺公望の協調による「桂園時代」の成立をもって「官民調和体制」は確立し、同時に「二大政党制論」の敗退をもって「明治デモクラシー」は終焉を迎えるのであった。
ちなみに、「桂園時代」を擬似二大政党制と評価する論者もいるが、坂野潤治は桂太郎内閣が何ら政党に基盤を有さないので到底二大政党制とは呼べないとしている(177項)。


余談だが、この「官民調和体制」というのは、実は戦後政治にも影を落としている。半永久的に政権の座にある自由民主党が、族議員を媒介にしながら官僚と協調する55年体制は、まさに「官民調和体制」そのものである。果たして、「2001年体制」は「官民調和」から脱却できるのだろうか。


<おわりに>
「明治デモクラシー」の軌跡を跡付けるという本書の狙いは非常に明確であり、著者はそれに見事に成功していると言えよう。ただし、坂野の他の著作でもそうだが(例えば短評11・『昭和史の決定的瞬間』)、史料の引用が頻繁になされており、旧字・旧かなを改めてあるとはいえ読み易いものではない。脱線も案外多い。いかにも玄人の歴史家らしい実証的な著作にはなっているのだが、初学者はちょっと気を抜くと全体の流れを見失ってしまうかもしれない。とはいえ、上述した坂野の意図を常に念頭に置きながら読めば問題なく読めると思う。

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