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ここ最近は、日本人の国際秩序認識についての本を読んでいる。今回は『戦争の論理』以来の加藤陽子の本。 【著者紹介】 かとう・ようこ (1960年─) 東京大学大学院人文社会系研究科助教授。専攻は日本近代史。加藤は旧姓で、現在本名は野島陽子。 東京大学文学部国史学科卒業後、同大学大学院人文科学研究科博士課程で学ぶ(指導教授は伊藤隆)。山梨大学教育学部講師・助教授を経て、1995年より現職。 著書に『模索する1930年代──日米関係と陸軍中堅層』(山川出版社、1993年)、『徴兵制と近代日本──1868-1945』(吉川弘文館、1996年)など。 本ブログで取り上げた著書に書評9:『戦争の論理』がある。 【目次】 第1講 「戦争」を学ぶ意味は何か 第2講 軍備拡張論はいかにして受け入れられたか 第3講 日本にとって朝鮮半島はなぜ重要だったか 第4講 利益線論はいかにして誕生したか 第5講 なぜ清は「改革を拒絶する国」とされたのか 第6講 なぜロシアは「文明の敵」とされたのか 第7講 第一次世界大戦が日本に与えた真の衝撃とは何か 第8講 なぜ満州事変は起こされたのか 第9講 なぜ日中・太平洋戦争への拡大したのか 【本書の内容】 戦争を受けとめる論理──本書が最終的に描こうとしているのは、偽政者や国民が、「だから戦争にうったえなければならない」「だから戦争をしていいのだ」という感覚をもつようになり、政策文書や手紙や日記などに書きとめるようになるのは、いかなる論理の道筋を手にしたときなのかという、その歴史的経緯についてです。…… 国民の認識のレベルにある変化が生じていき、戦争を主体的に受けとめるようになっていく瞬間というものが、個々の戦争の過程には、たしかにあったようにみえます。それはどのような歴史的過程と論理から起こったのか、その問いによって日本の近代を振り返ってみたいのです。──(本書より) お薦め度:★★★☆☆ 【本書の感想】 <全体の感想> 本書の内容は上に引いた通りである。為政者が戦争に訴えようとするとき、国民が戦争を主体的に受け入れるとき、どのような論理がそれを正当化したのか。この問題は今まで研究されているようで、意外にも新鮮なテーマである。加藤陽子の本を読むのはこれで三冊目だが、やはり視点の鋭さには拍手を送りたくなる。「研究書を水割りしたような本にはしたくない」という著者の意図はある程度成功している。 時代としては戦前全体をカバーしているので、順を追って気になったところに感想を加えていく。 <日清・日露戦争は「文野の戦争」> 明治維新以来、日本は一貫して「万国公法」に象徴される19世紀的国際秩序に適応しようと努力し、それは驚異的な効果を挙げてきた。このあたりについてはこのブログで何度も見てきたが(例えば書評36:「『万国公法』と『文明世界』」など)、本書で新しく学んだのは主にそれ以降である。 日清戦争を「文野の戦争なり」として正当化したのは福沢諭吉や徳富蘇峰、内村鑑三らであったが(書評66:『徳富蘇峰』)、日露戦争に際してその役割を担ったのは意外にも吉野作造であった。 吉野は1899年の有名な門戸開放宣言をとらえてこれを普遍的原理とし、義和団事件以後も撤兵しないロシアを「門戸を閉鎖する野蛮国」と断じ、日露戦争を正当化した(141─142項)。これも当時の国際秩序や万国公法の中で国益を追求し、正当化しようとする行動の一例であった。 <頂点に達する移民問題> 本書を読んで認識を新たにしたのが、カリフォルニア州移民問題の重要性である。教科書的な政治史や外交史の観点のみならば、移民問題はワシントン体制下の平和な日米関係の“雑音”としてしか認識されないが、移民問題は1930年代の伏線となる、重要な問題であった。 国際秩序に適応しようとする日本の努力は、日露戦争に前後して不平等条約の改正が一通りの成功をみたことにより実を結んだかに見えた。しかし、第一次大戦後のパリ講和会議では日本が提案した人種平等条項は否決され、「NO」を突きつけられた形になった。そこへきて日本人移民を排斥する法案がアメリカで成立したことは、日本の知識人や大衆を刺激した。徳富蘇峰がアジア主義に傾倒し始めるのもこの問題がきっかけである(書評66:『徳富蘇峰』)。 こういった民間レベルで高まるナショナリズムもさることながら、この移民問題に関して著者が注目するのが陸軍の見方である。陸軍参謀本部は、日本人移民が排斥されることは日本人の国際的評価を低めることになり、果ては中国の日本に対する侮蔑を生むから移民問題を解決しなければいけないのだと言う。しかもそのためには国際連盟に訴えるなり国際的枠組みでアメリカに圧力を加えるべきであると言うのである(192─193項)。 中国の評価を気にしたり、「国際的枠組みでアメリカに圧力をかける」といった発想は、一見陸軍らしからぬ視点である。しかしそれはパリ講和会議で人種平等条項を提案した日本全権と発想は同様であり、皮肉にもアメリカが最も嫌う手法であった。 <「中国」というアポリア> もう一つ面白かったのは、中国に対するイメージ形成である。これまで見てきたように、日本は一貫して国際秩序を守る日本という自画像を描き、またそれに見合うように行動してきた。 ところが、中国は20年代から革命外交を展開し始める。強権的に押し付けられた不平等条約は守るに値しないとして、日本の満州権益を脅かし始めたのである。その当否はともかく、日本からすればそれは「秩序を守る日本」に対する「法を犯す中国」の挑戦だったのである(254─256項)。 さらにそれに中国の対日ボイコット運動が加わった。このボイコット運動には幣原喜重郎外相や吉野作造までもが厳しい批判を加えており、この運動が日本の中国イメージを決定的に悪化させたと思われる。 こういった諸要因が重なって、満州事変を用意する国民的雰囲気を醸成していったのである。 <おわりに> 以上、他の本には比較的見られない視点を中心にレヴューしてきた。 しかしながら、これもやはりというか、一冊の本として見た時にそれほど完成度が高いとは言えない。前半は為政者と国民の国際秩序の絡み合いがかなり読ませるが、後半は為政者の戦争正当化論理に偏っていて、もう少し国民の側の論理・思想にも紙幅を割いて欲しいところであった。 また書評9:『戦争の論理』でも述べたことだが、文章がわかりにくい。加えて、本書は編集部の意向からか、ですます調になっており、余計読みにくくなってしまっている。 最後に、これも文句を言うなら編集部に言うべきか、「東大式レッスン!」というサブタイトルは全く不要である。別にどこも「東大式」ではないし…。 内容はそこそこ面白いんだけれど、細かいところで点を落としている、損な本である。
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書評 近代日本
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でも、陸軍がこのような考えを持っていたというのは面白いですね。これは逆に江戸時代の長期間の平和が日本人に遵法する事による利点を軍人に植え付けたと言うことにでもなるのでしょうか。
2007/2/22(木) 午前 7:04 [ gak*1*66* ]
>gakiさん:江戸時代までの「武士」意識は明治のうちに完全に消えてしまっていますので、遵法の利点はおそらく他からきているのだと思います。敢えて挙げれば、やはり19世紀的な「万国公法=ヨーロッパ国際秩序」の観念でしょうか。それほど、陸軍の軍人にとってさえ、ヨーロッパから「野蛮」と名指しされることの恐ろしさとデメリットを自覚していたということなのだと思います。
2007/2/23(金) 午前 0:31
優れたレヴュー、妥当な総評。同感です。TBさせて戴きましたので、弊ブログ記事もご参照戴ければ幸甚。
2012/1/9(月) 午後 3:13 [ renqing ]
>renqingさん:はじめまして、ご訪問&コメントありがとうございます。
加藤陽子はいい書き手になりましたね。今では日本近代史研究の牽引者の一人です。
2012/1/9(月) 午後 10:43